2011年10月18日
『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー著、小沢千重子訳(紀伊國屋書店)
著者は、「アフガニスタン出身、サンフランシスコ在住の作家」、「アメリカにおける複数の世界史の教科書の主要執筆者である」。著者は大人になってから 気づくのだが、「驚くほどヨーロッパ中心的な歴史叙述で、無神経な人種差別に満ち満ちた」本を最初の愛読書として育ち、10歳のころ住んでいた小さな町を 通りかかったトインビーと同席する機会を得、本をプレゼントされるという希有な体験をもつ。
著者は、本書をつぎのようなものだという。「本書は教科書でも学術書でもない。いうなれば、喫茶店で談笑中に「もう一つ(パラレル)の世界史ってどうい うこと?」と聞かれたときに、日常的な言葉で答えたようなものだ」。そして、著者がめざしたのは、「「実際に生じた」出来事を掘り起こすこと」ではなく、 「実際に生じたとムスリムたちが思っている出来事を読者に伝えること」だった。「なぜなら、それこそが、ムスリムをこれまで動かしてきた原動力であり、世 界史における彼らの役割を理解する手立てとなるからだ」。
著者は、これまでわたしたちが思ってきた「世界史」とはどういうものか、つぎのように述べた後、「もう一つの世界史」とはどういうものか、説明してい る。「世界史とは常に、いかにして「私たち」が「現状の状況」に到達したかを物語るものであるがゆえに、そのストーリーは必然的に「私たち」とは誰か、 「現在の状況」とは何を意味するのか、によって変わってくる。西洋版の世界史は伝統的に、「現在の状況」を民主的で工業化した(ないしは脱工業化した)文 明社会と規定している。アメリカではさらに、世界史は自由と平等という建国の理想の実現に向かい、その結果アメリカが地球を未来に導く超大国(スーパーパ ワー)として興隆する、と想定されている」。
それにたいして、「イスラームの歴史には時の流れ全体を「以前」と「以後」に画然と分かつ独自の境界、西洋世界とは異なる境界が存在するからだ。ムスリ ムにとっての紀元元年は、預言者ムハンマドがマッカからマディーナに移住し、それによってムスリムの共同体が生まれたヒジュラ〔聖遷〕の年である。この共 同体は「文明化」という概念を体現するものであり、かかる理想的な共同体を完璧に実現することこそが、歴史を形づくり、その方向を定めてきた原動力だった ように思えるのだ」。「ところが、過去数世紀のあいだ、ムスリムは歴史の流れがどこかでねじれてしまったと感じてきた。ムスリム共同体はもはや拡大するこ とはなく、混乱の度を深め、本来進むべき歴史の方向に抗う破壊的な逆流にいつしか呑みこまれてしまった。ムスリムの伝統の継承者として、私たちは勝利では なく敗北の中に歴史の意味を探ることを余儀なくされ、二つの衝動のあいだで葛藤してきた。歴史の流れに合わせてムスリム独自の「文明化」の概念を変えるべ きか、あるいは、それに歴史の流れに合わせるために闘うべきか、と」。「現在、イスラーム社会はムスリム共同体の理想から遠くかけ離れた停滞した状態に置 かれている」。
著者が、現状を充分に認識したうえで「世界史」を物語ろうとしていることは、「後記−日本の読者へ」で2011年5月8日までの状況を把握していること からもよくわかる。否、著者は、現状をよりよく理解するために、「世界史」を物語ろうとしているのかもしれない。現状のイスラームの位置づけを、つぎのよ うに述べている。「西洋が拡大したために、非西洋社会は突然侵入してきた外来の文化に適応することを余儀なくされ、それに伴って世界各地で軋轢(あつれ き)と反発が生じた。今日では東洋世界と西世界洋(ママ)[西洋世界]の勢力はほぼ拮抗しつつあり、成長著しい中国は日本と肩を並べる世界有数の強国と なった。韓国などの東アジア諸国も急激な発展を遂げて国際経済を牽引している。これは東アジアが西洋化したというより、「西洋」が先導した科学技術の飛躍 的な進歩を東アジア社会がその文化的枠組みに取りこんだということだろう。その結果、東洋世界と西洋世界はますます結びつきを深めており、その相互作用の 中から両者をともに包摂する世界史の物語が生まれでようとしている」。「とはいえ、世界は西洋と東洋だけで成り立っているのではない。中国とヨーロッパの あいだには、インド北部から中央アジアのステップ地帯にまで広がるミドルワールドが存在している。私たちがイスラーム世界というとき、それはこの広大な地 域を指しているのだ。この地域に居住する一群の社会集団は今日にいたるまで西洋流の近代性に異議を申し立て、西洋そのものに敵対してきた」。
本書で、イスラームの発展の特徴を最もよくあらわしているのは、つぎのようなところだろう。「アッバース朝の貴族たちはこれらの思想におおいに関心を抱 いた。ギリシア語、サンスクリット語、中国語、あるいはペルシア語の書物をアラビア語に翻訳できる者は、誰もが高額の報酬で雇われた。プロの翻訳者が各地 からバグダードにやって来た。彼らは首都や主要な都市の図書館に、さまざまな言語で著わされた古代の文献のアラビア語版を大量に提供した。いまやムスリム の知識人は史上初めて−たとえば、ギリシアとインドの数学および医学、ペルシアと中国の天文学、さまざまな文化圏の形而上学を−直接比較できるようになっ たのだ。彼らはこれら古代の思想について、いかにすればそれらを互いに、あるいはイスラームの啓示と調和させられるのか、霊性と理性を関連づけられるの か、宇宙全体を説明しうる単一の枠組みに天と地を組みこめるのか等々を探求しはじめた」。
本書は、「イスラームから見た」ものであるが、イスラームを過度に美化しているわけではない。たとえば、ジハードについても、歴史的に冷静な目で、つぎ のように見ている。「私はしばしばアメリカ在住のリベラルなムスリムが「ジハードとは単に『よい人間になるべく努力すること』を意味するに過ぎない」と述 べ、この言葉を暴力と結びつけるのは反ムスリムの偏狭な人間だけだと主張するのを耳にする。だが、彼らは、預言者ムハンマド自身の生涯にまで遡る歴史の過 程で、ムスリムにとってジハードが意味してきたものを無視している。ジハードは暴力と無関係だと主張する者は、最初期のムスリムが「ジハード」の名のもと に遂行した戦争について説明しなければならない。初期のムスリムは彼ら独特のジハード観をもっていたが、われわれ現代のムスリムはジハード(と、イスラー ムのそのほかの諸側面)を全面的に定義しなおせる、と主張したい者は、ムスリムが長い年月をかけて練り上げてきたイスラームの教義と正面から取り組まなけ ればならない」。
「もう一つの世界史」である本書は、西洋版を意識して書かれた。その本書が日本語に翻訳されると知って、著者は東洋があることに気づいたのだろうが、東 洋版「世界史」については知らない。本書も、西洋版と同じく世界性をもった「世界史」ではない。イスラーム世界だけでも、本書で扱ったのはミドルワールド だけで、その全体像は描けていない。17世紀後半まで西洋世界とイスラーム世界のふたつの物語は、交差することはなかった、と著者はいうが、今日、もはや アメリカを含む西洋世界に対峙するだけでは、イスラーム世界は理解できなくなっている。本書の「イスラーム世界」のなかに入っていない東南アジアやサハラ 以南のアフリカ、ロシア、中国などのことも考えなければならなくなっている。本書でいう「世界」は、地理的な地球規模という意味ではなく、自分たちの「世 界」、自分たちとは違う「世界」の「世界」にすぎない。それを克服するために「世界史」ということばを使わず、「グローバル史」ということばを使う人たち がいる。「世界」ということばを使うのは難しい。
著者は、本書をつぎのようなものだという。「本書は教科書でも学術書でもない。いうなれば、喫茶店で談笑中に「もう一つ(パラレル)の世界史ってどうい うこと?」と聞かれたときに、日常的な言葉で答えたようなものだ」。そして、著者がめざしたのは、「「実際に生じた」出来事を掘り起こすこと」ではなく、 「実際に生じたとムスリムたちが思っている出来事を読者に伝えること」だった。「なぜなら、それこそが、ムスリムをこれまで動かしてきた原動力であり、世 界史における彼らの役割を理解する手立てとなるからだ」。
著者は、これまでわたしたちが思ってきた「世界史」とはどういうものか、つぎのように述べた後、「もう一つの世界史」とはどういうものか、説明してい る。「世界史とは常に、いかにして「私たち」が「現状の状況」に到達したかを物語るものであるがゆえに、そのストーリーは必然的に「私たち」とは誰か、 「現在の状況」とは何を意味するのか、によって変わってくる。西洋版の世界史は伝統的に、「現在の状況」を民主的で工業化した(ないしは脱工業化した)文 明社会と規定している。アメリカではさらに、世界史は自由と平等という建国の理想の実現に向かい、その結果アメリカが地球を未来に導く超大国(スーパーパ ワー)として興隆する、と想定されている」。
それにたいして、「イスラームの歴史には時の流れ全体を「以前」と「以後」に画然と分かつ独自の境界、西洋世界とは異なる境界が存在するからだ。ムスリ ムにとっての紀元元年は、預言者ムハンマドがマッカからマディーナに移住し、それによってムスリムの共同体が生まれたヒジュラ〔聖遷〕の年である。この共 同体は「文明化」という概念を体現するものであり、かかる理想的な共同体を完璧に実現することこそが、歴史を形づくり、その方向を定めてきた原動力だった ように思えるのだ」。「ところが、過去数世紀のあいだ、ムスリムは歴史の流れがどこかでねじれてしまったと感じてきた。ムスリム共同体はもはや拡大するこ とはなく、混乱の度を深め、本来進むべき歴史の方向に抗う破壊的な逆流にいつしか呑みこまれてしまった。ムスリムの伝統の継承者として、私たちは勝利では なく敗北の中に歴史の意味を探ることを余儀なくされ、二つの衝動のあいだで葛藤してきた。歴史の流れに合わせてムスリム独自の「文明化」の概念を変えるべ きか、あるいは、それに歴史の流れに合わせるために闘うべきか、と」。「現在、イスラーム社会はムスリム共同体の理想から遠くかけ離れた停滞した状態に置 かれている」。
著者が、現状を充分に認識したうえで「世界史」を物語ろうとしていることは、「後記−日本の読者へ」で2011年5月8日までの状況を把握していること からもよくわかる。否、著者は、現状をよりよく理解するために、「世界史」を物語ろうとしているのかもしれない。現状のイスラームの位置づけを、つぎのよ うに述べている。「西洋が拡大したために、非西洋社会は突然侵入してきた外来の文化に適応することを余儀なくされ、それに伴って世界各地で軋轢(あつれ き)と反発が生じた。今日では東洋世界と西世界洋(ママ)[西洋世界]の勢力はほぼ拮抗しつつあり、成長著しい中国は日本と肩を並べる世界有数の強国と なった。韓国などの東アジア諸国も急激な発展を遂げて国際経済を牽引している。これは東アジアが西洋化したというより、「西洋」が先導した科学技術の飛躍 的な進歩を東アジア社会がその文化的枠組みに取りこんだということだろう。その結果、東洋世界と西洋世界はますます結びつきを深めており、その相互作用の 中から両者をともに包摂する世界史の物語が生まれでようとしている」。「とはいえ、世界は西洋と東洋だけで成り立っているのではない。中国とヨーロッパの あいだには、インド北部から中央アジアのステップ地帯にまで広がるミドルワールドが存在している。私たちがイスラーム世界というとき、それはこの広大な地 域を指しているのだ。この地域に居住する一群の社会集団は今日にいたるまで西洋流の近代性に異議を申し立て、西洋そのものに敵対してきた」。
本書で、イスラームの発展の特徴を最もよくあらわしているのは、つぎのようなところだろう。「アッバース朝の貴族たちはこれらの思想におおいに関心を抱 いた。ギリシア語、サンスクリット語、中国語、あるいはペルシア語の書物をアラビア語に翻訳できる者は、誰もが高額の報酬で雇われた。プロの翻訳者が各地 からバグダードにやって来た。彼らは首都や主要な都市の図書館に、さまざまな言語で著わされた古代の文献のアラビア語版を大量に提供した。いまやムスリム の知識人は史上初めて−たとえば、ギリシアとインドの数学および医学、ペルシアと中国の天文学、さまざまな文化圏の形而上学を−直接比較できるようになっ たのだ。彼らはこれら古代の思想について、いかにすればそれらを互いに、あるいはイスラームの啓示と調和させられるのか、霊性と理性を関連づけられるの か、宇宙全体を説明しうる単一の枠組みに天と地を組みこめるのか等々を探求しはじめた」。
本書は、「イスラームから見た」ものであるが、イスラームを過度に美化しているわけではない。たとえば、ジハードについても、歴史的に冷静な目で、つぎ のように見ている。「私はしばしばアメリカ在住のリベラルなムスリムが「ジハードとは単に『よい人間になるべく努力すること』を意味するに過ぎない」と述 べ、この言葉を暴力と結びつけるのは反ムスリムの偏狭な人間だけだと主張するのを耳にする。だが、彼らは、預言者ムハンマド自身の生涯にまで遡る歴史の過 程で、ムスリムにとってジハードが意味してきたものを無視している。ジハードは暴力と無関係だと主張する者は、最初期のムスリムが「ジハード」の名のもと に遂行した戦争について説明しなければならない。初期のムスリムは彼ら独特のジハード観をもっていたが、われわれ現代のムスリムはジハード(と、イスラー ムのそのほかの諸側面)を全面的に定義しなおせる、と主張したい者は、ムスリムが長い年月をかけて練り上げてきたイスラームの教義と正面から取り組まなけ ればならない」。
「もう一つの世界史」である本書は、西洋版を意識して書かれた。その本書が日本語に翻訳されると知って、著者は東洋があることに気づいたのだろうが、東 洋版「世界史」については知らない。本書も、西洋版と同じく世界性をもった「世界史」ではない。イスラーム世界だけでも、本書で扱ったのはミドルワールド だけで、その全体像は描けていない。17世紀後半まで西洋世界とイスラーム世界のふたつの物語は、交差することはなかった、と著者はいうが、今日、もはや アメリカを含む西洋世界に対峙するだけでは、イスラーム世界は理解できなくなっている。本書の「イスラーム世界」のなかに入っていない東南アジアやサハラ 以南のアフリカ、ロシア、中国などのことも考えなければならなくなっている。本書でいう「世界」は、地理的な地球規模という意味ではなく、自分たちの「世 界」、自分たちとは違う「世界」の「世界」にすぎない。それを克服するために「世界史」ということばを使わず、「グローバル史」ということばを使う人たち がいる。「世界」ということばを使うのは難しい。
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