2011年10月5日水曜日

asahi shohyo 書評

まがたま模様の落書き ハンス・ブリンクマン著

[掲載]2005年04月24日   [ジャンル]歴史 

 まがたま模様の落書き あるオランダ人が見た昭和の日々
 戦後日本と歩んだ元銀行員の回想録

 十八歳で、占領下の日本に赴任したオランダの銀行員ハンス・ブリンクマンが、昭和四十九(一九七四)年に日本を去るまでの日々をつづった回想録である。
  海外渡航できない、書類にサインする権利もない、屈辱的な日々を恬淡(てんたん)として生きる日本人の姿がある。書かれていることの多くは、日本人の行員 や京都の芸術家との交流、名古屋の女性との結婚など個人的な体験だ。なのに、しなやかな感受性とまっすぐな観察眼ゆえか。戦後から高度成長期にかけての日 本が、一人の青年の成長物語と相まって、くっきりとした輪郭をもって現れるのを感じた。
 本人に自覚はないようだが、ハンスは日本を信じ、復興を 助けた数少ないエリート外国人の一人だったのだ。二十九歳で東京支店長になると、信頼を日本企業への融資という形で具体化した。昭和三十年代にそれがどれ ほど困難だったか。本社への説得材料はただひとつ。"私は日本を信じる。私と同じように信じてくれ"。だからこそ、東京五輪を機に経済成長を遂げる日本を 誇りに思った。
 だが、魔法も解ける日がくる。米国の銀行の日本担当重役になると、日銀や大蔵省との交渉に神経をすり減らし、市場開放を拒み続け る日本の甘え体質をだんだん擁護できなくなった。まがたま模様とは、明確な判断を避けたいとき、日本人がテーブルの上で指先でなぞる形のこと。はじめは欧 米人の攻撃性への対応策と思ったが、人を煙(けむ)に巻く曖昧(あいまい)な態度に我慢ならなくなった。欧米と日本の間で引き裂かれたハンスは、日記に書 いた。
 <人間の運命とは生を抱きしめることであって、対立するのではない>
 離日したハンスが金輪際、日本を見限ったかどうかはふれないでおく。ただ、一ビジネスマンとして日本の復興に青春をささげたハンスの言葉は、どんな評論家とも違う説得力をもって響くはずだ。
 読了後、飛行機のタラップに立つハンスの写真が一瞬、厚木飛行場に降り立つマッカーサーと重なった。いやいや、あの威圧的な姿とは大違い。こちらはスーツの襟にコサージュをつけ、少年のようにいたずらっぽい笑みを浮かべている。
 [評者]最相葉月(ノンフィクションライター)
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 溝口広美訳、新風舎・423ページ・1890円/Hans Brinckmann 32年ハーグ生まれ。元銀行員。文化交流にも尽力




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