始祖鳥記　[著]飯嶋和一

[掲載] 2012年02月07日

■夢追う「江戸時代人」を描いた不思議な小説
　　
　飯嶋和一が電子書籍に出た！　とても嬉（うれ）しい。ひいきの役者が様々な舞台に出るのを見るような気分である。
　時代小説、歴史小説には非常にたくさんの作家がいるが、やがて淘汰（とうた）されて、著名な作家たちは一握りになる。そして「著名な作家」というのは往々にして映画化されたり、大河ドラマや連続ドラマに採用されたりする作品の作家である。読んでわかりやすい、くつろぐ、元気が出る、というのも著名になる理由のひとつかも知れない。
　と、こう並べていくほど、飯嶋和一が著名な作家として後に残る可能性が低く感じられてしまうのだが、しかし私は好きだ。
　いつも大著である。ほとんど書き下ろしで書く。詳細に資料を調べ上げる。太陽暦と太陰暦を使い分ける。当時の地理や交通手段を綿密に知った上で、登場人物がそこを歩く姿が目の前に見え、風景が浮かび上がってくるのだ。私は『黄金旅風』をわくわくしながら読んだのだが、それは私自身が江戸初期の長崎と海外貿易のストーリーが大好きで、自分で調べ上げていたからだった。まるで長崎を本当に歩いているように読んだ。船も海もはっきりと見えた。『黄金旅風』も電子化されている。
　『出星前夜』はあまり馴染（なじ）みのないキリシタン分野だったが、ガブリエル・マグダレナと外崎恵舟が島原の海のへりを一足一足歩きながら病人をめぐるシーンでは、島原事件の背景として何が人々に重要であったかが、最初に明確に心に染み込む。『出星前夜』は残念ながらまだ電子化されていない。
　そして『始祖鳥記』である。この岡山の備前屋幸吉という人物については、私は聞いたことも読んだこともなかった。実に奇妙な、それでいて読み終わると「これがまさに江戸時代人だ」という感慨に包まれながらついにやにやとしてしまう、不思議な小説である。「怪鳥が空を飛ぶ」と言われ、しかしそれが何であるかすぐに明らかにされる。とてもふだんは大人（おとな）しい、何も事件を起こしそうも無い表具屋なのだ。表具屋が、紙と木と竹で鳥となって空を飛ぶ。ふだんから鳥の鳴き声を真似（まね）ると、鳥たちが寄りついたという。私はアッシジのフランチェスコを思い出した。彼は呉服屋で、徴兵と病気を機に精神が別世界に飛んでしまったわけだが、そのフランチェスコのように目立たない無口な青年が、何の野心でもなくただ空を飛ぼうとする。私はもうひとつ思った。飯嶋和一もそんな人なのではないか、と。
　社会的野心や抵抗心など心に浮かぶいとまもないほど、何らかの夢が心を占めている。自分もかつてはそうであったと思いながら、空を飛ぶことを忘れた自らを見つめてしまう。そういう意味で、『始祖鳥記』は時代小説であるとともに現代小説でもある。