見て見ぬふりをする社会 [著]マーガレット・ヘファーナン [訳]仁木めぐみ
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家) [掲載]2012年01月22日 [ジャンル]人文 社会
■心理を分析、時代の見方説く
正義が退嬰(たいえい)化する社会を嘆くかに見える書だが、実 はそうではない。見えないふりをする人間心理を具体的な事例や近年の脳科学、社会関係学、さらには史実解析などを通じて分析している。見えないふりをする のではなく、見ない、見たくないとの心理を浮き彫りにすることで、歴史や時代の見方を説いた書というべきだろう。
著者は事例の細部を執拗(しつ よう)に描写することで、読者に判断を迫る。ヒトラーの側近でナチのエリート、シュペーアはユダヤ人虐殺など見て見ぬふりをする。しかし現実に見なければ ならない、知らなければならない立場になった時、彼は仕事から離れる。耐えられなくなったのだ。著者は言う。「自分の姿を現実とは違う形で信じたときに 我々は無力になる」
アメリカの元国防長官のマクナマラに、北ベトナムのタク元外相が、ベトナム戦争後、「あなたは歴史書を読んだことがないので しょう」と質(ただ)す。著者は言う。「当時彼は戦争に疑問を投げかけるのではなく、遂行するのが自分の仕事だと考えていた」。自己保身で、都合の悪い情 報を一切排除していたのだ。
ニューヨークの街中で女性が刺殺された。38人が事件を目撃したとされる。警察に通報した者は一人もいない。若き心 理学者の研究では、「危機的状況を目撃した人数が多ければ多いほど、なにか行動を起こす人が減る」との鉄則があり、そのとおりの現実が各国で起こってい る。一人なら認識できることが、集団では見えなくなるのだ。
社会的事件、企業内部の人間関係、いじめ、不倫、児童虐待など多様な面での見ぬふり の根底には、「人間の目はその人が惹(ひ)かれるものには焦点を合わせるが、惹かれないものには合わせない」という特有の習性がある。文中にこうした警句 が幾つも詰まっていて、我が身と照らして時に愕然(がくぜん)とし、時に苦笑する。
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河出書房新社・2100円/Margaret Heffernan ケンブリッジ大卒。企業経営者、著述家、脚本家。
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