2010年8月17日火曜日

asahi shohyo 書評

ともいきの思想 [著]阿部珠理

[掲載]週刊朝日2010年8月20日号

  • [評者]谷本束

■癒やしスポットでは手に入らない言葉

  アメリカインディアンの言葉はしばしば、心に沁みいるような響きをもっている。癒やしを求めて彼らの土地を訪れる人も多いと聞く。アメリカ先住民研究の第 一人者が、ラコタ族との交流の中で出会った言葉と、背景にある「ともいき(共生)」の思想、現代に生きる彼らの姿をつづっている。

 他者を助ける気前の良さ、寛大さが徳とされるラコタには、ギブ・アウェイ(与え尽くし)という儀式がある。子供の成人や病気回 復などの折に、持っているものを集まった人にあげてしまうのだが、来たい人が勝手に来るので数が読めない。ギフトが足りるか心配する著者にラコタ女性が答 えた言葉が、「足りることになっている」。心をこめて準備すれば足りるのだ、と。日本人からするとそんないいかげんな、と思うが、実際、過不足なく儀式は 無事に終わる。

 大切なもの、必要なものも無理に手に入れたりはしない。「持つに相応しい時期がきたら、自然とその人の元に来る」からだ。世界 は自分以外の何ものかの力が働いて動く、人の力など知れたもの。そういう静かで謙虚な姿勢がそこここにある。物事をいつも思い通りに進めようとゴリゴリ やっている私たちが、本当のところ、賢いかどうか。

 著者の目は、ラコタの困難な現実も真っ直ぐとらえている。アメリカ最貧地区の一つで、高い失業率、犯罪など深刻な問題がうずま く。平気で金を無心する人、教祖サマのようにふるまう胡散くさいメディスンマン、有名な父祖の偉業を売り物にして金を稼ぐ子孫もいる。浄化だ、癒やしだと 先住民を特別な存在のようにもてはやす人々にとっては幻滅かもしれない。

 優れた思想、哲学というものは癒やしのスポットに行けば手に入る、そんなお安いものではないだろう。聖も邪もあわせ持つ普通の 人々が、生活の中から長い時間をかけてつかみとった叡智なのだ。言葉の後ろにある人々の喜びや苦悩、絶望と再生がどっしりと快い重さを与えて、言葉の本当 の価値を伝えている。

0 件のコメント: