2012年12月21日金曜日

asahi shohyo 書評

重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る [著]大栗博司

[評者]大澤真幸(社会学者)

[掲載] 2012年12月18日

表紙画像著者:大栗博司  出版社:幻冬舎 価格:¥ 924

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■科学を危機に陥れる超難問を乗り越える
  
 優れた科学啓蒙(けいもう)書を読むことは実に愉(たの)しい。読書の喜びというものはこういうところにある、と実感させてくれる。
 ただし、「優れた」科学啓蒙書はそうたくさんはない。無知な素人のために、肝心なところはごまかしてでも易しく解説してあげようという態度で書かれた啓蒙書は、たいくつである。ならば、どのようなスタイルで書かれた啓蒙書が優れたものになるのだろうか。
 科学的探究の基礎には、原初的な問いがある。原初的な問いというのは、われわれが宇宙の中に立ったときの最初の驚きに発する問いということである。たとえば、「宇宙はなぜあるのか」とか、「宇宙はどうやって始まったのか」とか、あるいは「生命とは何か」とか、「心とは何か」とか、「人間はどこから来たのか」とか、さらに「数とは何か」とかといったような問いである。こうした問いは、そのままの生(なま)のかたちでは科学的な疑問にはなりえない。
 しかし、科学的な探究の対象になっているような疑問はすべて、こうした原初的な問いがその専門分野のゲームに乗るようなかたちに具体化したものである。たとえば、「純粋な量子状態が重力崩壊を起こしてブラックホールになった場合、ブラックホールが蒸発した後でも純粋な量子状態があるだろうか」などという専門的な疑問、一見、理論物理学者にしか関係なさそうな疑問も、原初的な問いの迂遠(うえん)な表現である。「優れた」科学啓蒙書とは原初的な問いとの繫(つな)がりを失っていない本、そうした繫がりを見えるようにしてくれる本のことだ。
 このような意味での優れた啓蒙書の書き手を、われわれは、何人か知っている。物理学の分野で言えば、リチャード・ファインマンとか、ジョージ・ガモフとか、最近だとブライアン・グリーンらが、そういう書き手であろう。そして本書の著者、大栗博司もこのような書き手の一人に入ることが、本書を読むとすぐにわかる。

 *重力という不思議

 本書の探究の入り口は、タイトルにある通り、重力である。重力をどう説明するかが、近代科学、とりわけ物理学の中核を作ってきたことは、科学についてそれほど詳しくない人でも知っているだろう。ニュートンの万有引力の理論もアインシュタインの相対論も、重力に関連した理論であった。
 重力の理論が形成されるまでの過程に関しては、山本義隆の『磁力と重力の発見』(みすず書房)という名著がある。これは、西洋の中世から科学革命(ニュートンの時代)にかけて、どのような思考の葛藤を経て人が重力への理解を深めていったのかを探究した科学史の専門書である。この研究によれば、大きな障害となったのは、重力が離れていても作用するという問題である。どうして離れている物体の間に力が働くことができるのか。この謎を受け入れるまでに、人類は長い時間と多くの努力を必要とした。
 本書『重力とは何か』は、この遠隔作用の謎を含む、重力についての七つの不思議を指摘するところから始まる。ほかに、
 ・「重力はなぜこれほど弱いのか」(たとえば磁力と比べて重力は圧倒的に弱い)
 ・「重力が重いものにも軽いものにも等しく働くのはなぜか」(これは「動かしにくさ」と「重力の強さ」がぴたりと一致するのはなぜか、という問題である)
 ・「重力がちょうどよい強さなのはなぜか」(もし重力がほんのちょっとでも強かったり弱かったりすると、宇宙の姿は根本的に異なったものになり、われわれのような生命体も生まれなかった。これはあまりにも幸運な偶然に感じられる)
といった謎が挙げられている。
 その後、アインシュタインの特殊相対論と一般相対論の分かりやすい解説が入る。続いて、ブラックホールや初期宇宙(始まった直後の宇宙)には「特異点」が必ず生ずる、ということが説明される。「特異点」がやっかいなのは、そこでアインシュタインの理論が通用しなくなるということ、相対論が破綻(はたん)してしまうということである。
 次いで、アインシュタインの相対論と並ぶ20世紀の物理学の革命的理論、量子力学の解説が入る。ここまでの諸理論の解説も分かりやすく、また随所に科学者の個人的な逸話なども組み込まれ、読み物として十分に成功している。
 しかし、本書の中心はやはり、大栗自身が目下その形成に関わっている超弦理論にふれる後半にあるだろう。「超弦理論」は量子力学と相対論を総合する理論である。この理論が超「弦」理論と呼ばれる理由は、素粒子の捉え方からくる。物質の基礎である素粒子を、われわれは長い間、小さな点のようなものと考えてきた。しかし超弦理論は、素粒子が振動する輪ゴム(弦)のようなものであると捉える。その振動のパターンによって、さまざまな種類の素粒子が区別される。

 *因果律を救出する超弦理論

 本書の要約を書いても意味がないので、本書の圧巻中の圧巻の部分だけ、予告編風に紹介しておこう。それは、物理学の中の一問題というより、科学そのものの可能性に関わる大問題に関連した部分である。
 科学は一般に因果律が成り立つということを前提にしている。個々の現象に関して実際に因果関係が特定できるかは別として、原理的には、因果律が成り立たなければ科学という知は不可能である。
 たとえば、次のようなことを考えてみよう。秦の始皇帝は、儒教を嫌って、儒教関連の書物を燃やしてしまった(いわゆる焚書[ふんしょ]である)。誰も儒教の古典を読むことができないようにするためである。しかし、物理学の原則からすると、いくら本を焼却しても、もとの本を再現できるはずである。焼却は、物理法則に従う現象である。したがって、焼却に使った炎、放射された物質、残った本の灰などについての情報を完璧に記録し、収集すれば、この情報をもとにして因果関係を逆に辿(たど)り、過去の状態を、つまりもともとの本をその内容も含めて完全に再現できるのである。このような前提を採用することは、物理学、というか科学が可能であるための基本条件である。この因果関係を前後に辿るために必要な情報をすべて知っている仮想的な超人を、ブラックホールの存在を予言した物理学者の名前を使って「ラプラスの悪魔」と呼ぶ。
 ところが、あの有名な物理学者スティーブン・ホーキングは、因果律に反する現象がある、と言い始めたのだ! 本を、始皇帝の炎にではなくて、ブラックホールに投げ入れたとしたらどうなるか。ブラックホールの質量はいったん本の分だけ大きくなるが、しかし「ホーキング放射」という過程を経て、元にもどってしまう。ホーキング放射というのは、ブラックホールがエネルギーを放出して、だんだん蒸発して消えていくように見える現象である。どんな本を投げ入れても、ホーキング放射によって、本の中身は完全に消え去ってしまう。始皇帝の焚書の場合と違って、ラプラスの悪魔を連れてきても、もとの本を再現することができない。これを「ブラックホールの情報問題」と呼ぶ。これは、物理学、科学の成立そのものを脅かす、極め付きの困難である。
 しかし超弦理論が、この困難から科学を救い出す。簡単に言えば、始皇帝の焚書の炎で本を燃やす場合も、ブラックホールがホーキング放射を通じて蒸発する場合も、同じ物理法則に従っていることを、超弦理論は示したのだ。だから、本を投げ入れた後のブラックホールの状態を厳密に調べれば、原理的には元の本を再現できるはずだ。ブラックホールの状態には、どの本が投げ込まれたかを区別することができるだけの多様性があり、その多様性は、ブラックホールの表面に記録されているのである。
 超弦理論は、科学という営みそのものを危機に陥れる難問、「ブラックホールの情報問題」を乗り越える。その際、超弦理論は、一般相対論と量子力学を、後者の量子力学の方をベースにして総合する。このスリリングな科学救出劇が出てくるのは、本書の最後から二番目の章である。その救出劇の中で、大栗が仲間と一緒に提案してきた「トポロジカルな弦理論」もきわめて重要な役割を果たす。このドラマチックな展開を堪能するためにも、前の章から読まなくてはならない。
 ところで「重力」はどうなるのか? 驚くなかれ。重力は「消えて」しまうのである。最後に登場するホログラフィー原理を活用した理論(三次元の空間のある領域で起きる重力現象は、すべてその空間の果てに設置されたスクリーンに投影されており、むしろ、逆にそのスクリーン上の二次元世界の方を「現実」と見なし、三次元の現象の方が「影」のようなものであると理解してもかまわないとする理論)の中では、重力は必要ない。謎が、それこそ蒸発してしまうのだ!

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