ピーテル・ブリューゲル—ロマニズムとの共生 [著]幸福輝
[評者]池上俊一(東京大学教授) [掲載]2005年03月13日 [ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能
■あの大画家もかつてはマイナーだった
十六世紀フランドルを代表する画家ピーテル・ブリューゲルは、写実的な農村風景や活力溢(あふ)れる楽しい農民風俗を描いていて、日本でも人気が高い。
ところが著者は、開口一番、ブリューゲルがフランドル画家として代表者扱いされているのは、十九世紀末以来の美術史研究の偏重によってもたらされた異常事 態であり、同時代には、人気の点でも画題の一般性の点でも、マイナー画家にすぎなかったと主張する。それどころかアントウェルペンの知識人サークルに属し ていた彼を、農民画家と呼ぶことさえおかしいと、ブリューゲル神話解体を宣言する。
こうなると、ブリューゲル好きの読者は心配になってくるのだ が、もちろん著者は、美術史家たちが長年塗り固めてきた虚構を暴くだけですましてはいない。ブリューゲルの作品の真の意味に、思い掛けない方角から光を当 てようと企てているのだ。それはまず、画家志望者のお定まりのコースであったイタリア修行を経験したにもかかわらず、他の画家のようには古代遺跡や神話の 物語を描かずに、ただひたすら精緻(せいち)な再現性をもつ自然風景描写にこだわった初期ブリューゲルに、イタリア的理念とフランドルの伝統との融合を見 出(みいだ)すことから始まる。
さらに瞠目(どうもく)すべきは、名作「十字架を運ぶキリスト」にネーデルラント絵画の集大成としての性格を探 り当て、月暦画連作を、その購入者であった大商人ヨンゲリンクの邸宅の装飾プログラム、とりわけ、同時に飾られた画家フランス・フローリスのイタリア人文 主義的作品との関連の下で論ずるという、後半部の水際立った議論である。
近年全盛の図像学を中心にした解釈学では見落とされがちな、絵画の展 示、受容、国民意識といった、社会における画家と作品の意味に迫った本書は、美術史研究の流れに一石を投ずることだろう。「ブリューゲルの作品群は、いっ そうその偉大な輝きを増しているように見える」との結論に、なんだやっぱりブリューゲルは、フランドルの代表的な画家なんじゃないか、と一安心。
[評者]池上俊一(東京大学教授=西洋史)
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ありな書房・302ページ・5040円/こうふく・あきら 51年生まれ。美術史家、国立西洋美術館学芸課長。
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著者:幸福輝 出版社:ありな書房 価格:¥5,040
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