2011年05月24日
『日本の迷走はいつから始まったのか−近代史からみた日本の弱点』小林英夫(小学館新書)
歴史叙述は、なんのために語るかによって、その時間と空間の設定が変わってくる。当然、歴史学の研究者は、あるゆる時間と空間の組み合わせを考えたうえ で、もっとも効果的に語ることのできるものを選ばなければならない。しかし、現実には、そのようなことができる研究者はいないので、専門とする分野の時間 と空間を拡げたり狭めたりして語ることになる。ところが、狭めるのはさほど問題がないのだが、すこし拡げただけで狭い範囲でしか歴史を語ることのできない 研究者から、総攻撃を受けることになる。
専門外に視野を拡げれば、原史料を読むこともなく他人の研究成果に頼ることになり、その参考文献もすべてを読むことはできず、信頼できると思った代表的 なものにも正しくない記述があったりする。その結果、わずかな事実の間違いや誤解を招く表現からすべてが信用できないと評価され、こんなことも知らないの かと勉強不足を指摘されて「書く資格がない」と非難される。また、幅広く考えるためにいろいろな見解を紹介すると、主義主張がなく、危険な歴史修正主義者 だとまでいわれる。指摘はごもっともなことが多く反論しにくいが、ちょっと考えれば短所より長所のほうが大きいことに、良識ある研究者なら気づくだろう。 ましてや、研究者がすくなく、あまり書かれることのない時間と空間の設定で書かれたものは、書くこと自体冒険で、たとえ捨て石になっても、その意義は大き い。
著者の小林英夫は、そのあたりのことを充分に認識しているので、「おわりに」でつぎのように述べている。「先の見えない現在の状況に対して、文学者や哲 学者、文化人類学者などからの発言はあっても、歴史家の発言が見られないのはいかがなものかと思う。昔は「歴史家」がいたが、今は「歴史研究者」しかいな いのだろうか。「ほかにできる人はいないでしょう」と言われ、おだてと知りつつも重い腰をあげて執筆に取り掛かったという次第である」。歴史家の「冒険」 を妨げている一因は、視野の狭い「歴史研究者」にある。
本書は、「迷走」する日本の姿を憂い、日本再浮上のカギを日本近現代史のなかに見いだそうと、つぎのように述べている。「現在の未曾有(みぞう)の危機 を切り拓く知恵は、日本がこれまで歩んできた近現代の歴史そのもののなかにある。過去の教訓から学んで未来を見つめる、というこの普遍的とも言える解決策 以外に、この迷走を離脱する解は見当たらない。本書は、そのために日本近代の歴史を見直そうというものである。しかし、ただ見直すのではなく、現状の国難 を克服する方策を求めるには、それなりの方法が必要である」。
そして、4つの方法を具体的にあげている。「まず第一にそれは、通史であるべきだ。たしかにある特定の問題に関して詳細な研究史はしばしばお目にかか る。しかしここ一〇〇年、二〇〇年を通した歴史書にお目にかかることはまれである。...数人の共著者で描く通史や数冊の連続書で通史というのは、本当の 意味で通史ではない。一人の著者がある特定の歴史観に基づいて描いてこそ、初めて通史の名に値するのである」。「第二には世界ルールの推移に焦点を当てる 必要があると考える。個別の事象にとらわれてそれに埋没するのではなく、歴史を動かしてきた力を考えるべきだと言い換えてもよい」。「第三は、日本の国家 戦略を描き、その強さと弱さを浮き彫りにすることである。明治以来の日本の戦略の基本的特徴は、前述した世界ルールをすばやくキャッチし、時の最強国と結 んでその同盟国として東アジアの覇権を確立・拡大していくことだった」。「第四に、二一世紀をいかに生き抜くかを提示することである。国家としては、ハー ドパワーよりはソフトパワーを重視して複眼的な外交を駆使して世界に貢献していく道を考えていく。人類的課題としては、戦争ではなく共生を基調とした平和 を実現するための考え方と筋道を示したい」。
さらに、本書をわかりやすくするために、つぎのような工夫をしている。「各章の構成は、最初に「この章のねらい」として、その章で何を論じるかを提示し た上で、以下の二つに分けて論述した」。「まず、その時代に何があったかを記述するとともに、日本と日本人がどういう選択をしてきたかを述べてその時期の 歴史を通覧する。次にそれを前提に、Q&A方式で先に示した本書の課題に即して、現代と未来につながる論点について考察する。これによって、論点を明確に することができ、未来を切り拓く指針を示すことができたと思う」。
著者が、「日本再浮上のカギ」としたもののキーワードは、「終章 地球規模の問題に、日本はどう取り組むのか?」の4つの節のタイトルとそれぞれの見出 しにあらわれている。「一、世界ルールの動揺と日本の迷走」「世界ルールの現状」「グローバル経済とネットワーク型社会」「取り残される日本」「政治改革 の必要性」;「二、地球環境と経済成長」「持続可能な経済成長策を求めて」「環境問題と先進的な日本の施策」「環境対策を通じたアジアへの寄与」;「三、 貧困解決の道」「労働の規制緩和が後押ししたワーキング・プアの急増」「子どもの貧困と教育問題」「物づくりの国復活が貧困解決のカギ」「世代力で少子高 齢化を乗り切る」;「四、望ましい未来のために」「紛争の危険はどこにあるのか」「攻めないため、攻められないために何が必要か」「二一世紀を生き抜くた めのソフトパワー」。
本書を通読して、近現代日本は、けっこううまくやってきたようにも思ったが、うまくやったと思った後がまずかったとも思った。何度かの危機を乗り越え、 繁栄と平和を手に入れたが、それを維持するためには、余裕のあるときにつぎに備えなければならなかった。だが、「過去の成功体験にとらわれ」妙な自信を もって、新たな「世界ルール」にたいして後手後手になっていった。かつての危機は国家として乗り切ることができたが、今日は地球規模で、とくに近隣諸国と の共生のなかで問題を克服していかなければならない。そのためには、ソフトパワーを維持・発展させていける人材を、いかに日本が多く育てるかだろう。それ は、もう日本人とは限らなくなっている。
専門外に視野を拡げれば、原史料を読むこともなく他人の研究成果に頼ることになり、その参考文献もすべてを読むことはできず、信頼できると思った代表的 なものにも正しくない記述があったりする。その結果、わずかな事実の間違いや誤解を招く表現からすべてが信用できないと評価され、こんなことも知らないの かと勉強不足を指摘されて「書く資格がない」と非難される。また、幅広く考えるためにいろいろな見解を紹介すると、主義主張がなく、危険な歴史修正主義者 だとまでいわれる。指摘はごもっともなことが多く反論しにくいが、ちょっと考えれば短所より長所のほうが大きいことに、良識ある研究者なら気づくだろう。 ましてや、研究者がすくなく、あまり書かれることのない時間と空間の設定で書かれたものは、書くこと自体冒険で、たとえ捨て石になっても、その意義は大き い。
著者の小林英夫は、そのあたりのことを充分に認識しているので、「おわりに」でつぎのように述べている。「先の見えない現在の状況に対して、文学者や哲 学者、文化人類学者などからの発言はあっても、歴史家の発言が見られないのはいかがなものかと思う。昔は「歴史家」がいたが、今は「歴史研究者」しかいな いのだろうか。「ほかにできる人はいないでしょう」と言われ、おだてと知りつつも重い腰をあげて執筆に取り掛かったという次第である」。歴史家の「冒険」 を妨げている一因は、視野の狭い「歴史研究者」にある。
本書は、「迷走」する日本の姿を憂い、日本再浮上のカギを日本近現代史のなかに見いだそうと、つぎのように述べている。「現在の未曾有(みぞう)の危機 を切り拓く知恵は、日本がこれまで歩んできた近現代の歴史そのもののなかにある。過去の教訓から学んで未来を見つめる、というこの普遍的とも言える解決策 以外に、この迷走を離脱する解は見当たらない。本書は、そのために日本近代の歴史を見直そうというものである。しかし、ただ見直すのではなく、現状の国難 を克服する方策を求めるには、それなりの方法が必要である」。
そして、4つの方法を具体的にあげている。「まず第一にそれは、通史であるべきだ。たしかにある特定の問題に関して詳細な研究史はしばしばお目にかか る。しかしここ一〇〇年、二〇〇年を通した歴史書にお目にかかることはまれである。...数人の共著者で描く通史や数冊の連続書で通史というのは、本当の 意味で通史ではない。一人の著者がある特定の歴史観に基づいて描いてこそ、初めて通史の名に値するのである」。「第二には世界ルールの推移に焦点を当てる 必要があると考える。個別の事象にとらわれてそれに埋没するのではなく、歴史を動かしてきた力を考えるべきだと言い換えてもよい」。「第三は、日本の国家 戦略を描き、その強さと弱さを浮き彫りにすることである。明治以来の日本の戦略の基本的特徴は、前述した世界ルールをすばやくキャッチし、時の最強国と結 んでその同盟国として東アジアの覇権を確立・拡大していくことだった」。「第四に、二一世紀をいかに生き抜くかを提示することである。国家としては、ハー ドパワーよりはソフトパワーを重視して複眼的な外交を駆使して世界に貢献していく道を考えていく。人類的課題としては、戦争ではなく共生を基調とした平和 を実現するための考え方と筋道を示したい」。
さらに、本書をわかりやすくするために、つぎのような工夫をしている。「各章の構成は、最初に「この章のねらい」として、その章で何を論じるかを提示し た上で、以下の二つに分けて論述した」。「まず、その時代に何があったかを記述するとともに、日本と日本人がどういう選択をしてきたかを述べてその時期の 歴史を通覧する。次にそれを前提に、Q&A方式で先に示した本書の課題に即して、現代と未来につながる論点について考察する。これによって、論点を明確に することができ、未来を切り拓く指針を示すことができたと思う」。
著者が、「日本再浮上のカギ」としたもののキーワードは、「終章 地球規模の問題に、日本はどう取り組むのか?」の4つの節のタイトルとそれぞれの見出 しにあらわれている。「一、世界ルールの動揺と日本の迷走」「世界ルールの現状」「グローバル経済とネットワーク型社会」「取り残される日本」「政治改革 の必要性」;「二、地球環境と経済成長」「持続可能な経済成長策を求めて」「環境問題と先進的な日本の施策」「環境対策を通じたアジアへの寄与」;「三、 貧困解決の道」「労働の規制緩和が後押ししたワーキング・プアの急増」「子どもの貧困と教育問題」「物づくりの国復活が貧困解決のカギ」「世代力で少子高 齢化を乗り切る」;「四、望ましい未来のために」「紛争の危険はどこにあるのか」「攻めないため、攻められないために何が必要か」「二一世紀を生き抜くた めのソフトパワー」。
本書を通読して、近現代日本は、けっこううまくやってきたようにも思ったが、うまくやったと思った後がまずかったとも思った。何度かの危機を乗り越え、 繁栄と平和を手に入れたが、それを維持するためには、余裕のあるときにつぎに備えなければならなかった。だが、「過去の成功体験にとらわれ」妙な自信を もって、新たな「世界ルール」にたいして後手後手になっていった。かつての危機は国家として乗り切ることができたが、今日は地球規模で、とくに近隣諸国と の共生のなかで問題を克服していかなければならない。そのためには、ソフトパワーを維持・発展させていける人材を、いかに日本が多く育てるかだろう。それ は、もう日本人とは限らなくなっている。
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