科学の科学—コレージュ・ド・フランス最終講義 [著]ピエール・ブルデュー
[評者]斎藤環(精神科医)
[掲載]2011年1月9日
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■科学の現場の「構造」、明らかに
1998年、新3種混合ワクチンの接種が自閉症の原因となるとする論文が発表され、大きな反響を呼んだ。ところが最近の調査で、この報告が執筆者である医師のでっちあげだったと判明した。なぜ科学者がこうしたスキャンダルを起こすのか。
私たちは科学を厳正かつ中立な、自律性の高い学問だと考えている。しかしその科学にすら政治や人間関係といった不純な要因が影響を及ぼしてしまう。
社会学者ブルデューによれば、それは科学の現場が本来的にはらみ持つ、構造的な問題だ。この最後の著作の本書で、ブルデューは 彼の思想のキーワードでもあると言うべき「界」「ハビトゥス」「文化資本」といった諸概念を自在に駆使して、その構造を解き明かそうとする(最終章には彼 自身の自伝的自己分析もあり、ちょっとしたブルデュー入門としても読める)。
とりわけ重要なのは「界」の概念だ。科学の主体は「界」である。「界」とは簡単に言えば、行為者(個々の科学者)、チーム、実 験室、学会、大学といった諸要素がおりなす関係性の構造を指す。そこには「緊密に結びついた二つの根本的な属性」として、「閉鎖性」と「実在の審判とから 派生する対話と論証の法則」があるとされる。
科学「界」から生まれた特殊な発見が、「界」内部での反証や検証を経て、普遍的な科学的事実を構成すること。このとき科学者の取るべき態度は、素朴実在論でも相対主義でもない「実在論的合理主義」であるとされる。
「界」においては科学的客観性も、個人の倫理的判断ではなく、むしろ科学者同士の関係性の中で決定づけられることになる。同じ意味でニュートンやアインシュタインは天才的個人ではない。彼らもまた「集合的主体」なのだ。
本書を読みながら、科学「界」とIT業「界」の違いがしきりに頭をよぎった。スティーブ・ジョブズを、あるいはマーク・ザッカーバーグを生んだ「ハビトゥス」や「界」と、科学「界」との違いは何か。後続研究をぜひ望みたい。
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加藤晴久訳/Pierre Bourdieu 1930〜2002年。フランスの社会学者。
- 科学の科学—コレージュ・ド・フランス最終講義
著者:ブルデュー
出版社:藤原書店 価格:¥ 3,780
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