2008年2月20日水曜日

asahi history archeology japan china takamatsuzuka kofun 高松塚古墳

中国に高松塚のモデル? 構図や持ち物そっくり

2008年02月20日15時53分

 中国・山西省の太原市で00年に発見された北斉時代(550〜577年)の高級武官・徐顕秀(571年没)の墓に描かれた壁画の全容が19日、九州国立 博物館(福岡県太宰府市)であった研究会で太原市文物考古研究所の李非(りひ)所長から報告された。人物像には、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末 〜8世紀初め)に描かれた男子群像と構図や持ち物など、そっくりな点が多くあり、日本の彩色古墳壁画の源流を探る手がかりとなりそうだ。

 徐顕秀墓は墓道の入り口から、ドーム状の天井を持つ墓室の奥まで全長約30メートルの地下墓。墓道と墓室に約200人の人物像が等身大で描かれていた。00年に盗掘をきっかけに発見され、02年まで同研究所が発掘調査した。

 墓室の左右の壁には出かけようとする被葬者の魂につきそう従者を描いた「出行図」があった。西壁には主人にさしかける布製の傘や折りたたみ式のいす、やりのような長い棒状のものを入れた袋包みなどを持った男性像が見られる。

 高松塚古墳では人物像は35センチほどで、徐顕秀墓の等身大に比べてずっと小さいが、西壁に折りたたみ式のいすと長い袋包み、東壁に傘を持った男性像が描かれている。X形に開くいすや、四角い傘の四隅から房飾りなどを垂らした様子は、徐顕秀墓に描かれたものとそっくり。複数の人物が基本的に同じ方へ体を向けながら、顔は様々な向きになっている構図もよく似ている。

 築造年代は高松塚古墳が100年以上新しい。北斉の出行図が後世の隋・唐に伝わり、それが日本へもたらされた可能性もありそうだ。

 同じ太原市にある北斉時代の貴族・婁叡(ろうえい)の墓の壁には、最古の十二支壁画とされるウシやトラなどが描かれている。いずれも動物そのままの姿で、動物の顔に人間の体で描かれた明日香村のキトラ古墳の十二支像とは違うが、その関係も注目される。

0 件のコメント: