会田誠さん(現代美術家)と読む『劇画における若者論』
[掲載]2013年02月03日
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■芸術の核心を教えられた
『劇画における若者論』 [著]三島由紀夫 (『決定版 三島由紀夫全集36』に収録・新潮社・6090円)
高校1年の時、たまたま手に取ったエッセー集に、この一編が入っていました。三島由紀夫のことは「割腹した変な人」くらいにしか思っていませんでしたね。
でも、読んだらショックを受けました。あの手塚治虫の『火の鳥』を「日教組の御用漫画家になり果て」とこき下ろし、かわりに赤塚不二夫の『もーれつア太 郎』を「このナンセンスは徹底的」と激賞しています。さらに「劇画ファンの若者の教養の不足を嘆く人たちは、自分たちが教養と信じてゐたものの、上げ底に 巣喰(すく)つた蛆虫(うじむし)でもつくづく眺めてみるがいい」。しびれました。
手塚への批判は言い過ぎです。でも高校生の僕には、がつんと 来ました。たぶん、芸術というものの核心にある「価値の逆転」を教えられたからだと思います。僕の絵は美少女がミキサーにかけられたり、宇宙を「大きい方 のもの」が飛んでいたり……下品さが本質なのですが、その原点には三島の教えがあると思います。
品がなくて挑発的な漫画に芸術的価値があるとお墨付きをもらったことで、当時、漫画誌「ガロ」で活躍していた根本敬らの世界にはまるきっかけにもなりました。
父は新潟大学の社会学の教授で、よくいるソフト左翼でした。父と三島は同年代です。高校生の僕は父への反発もあって、三島に心酔したのかもしれません。
僕の部屋の本棚には、父の『マルクス・エンゲルス選集』がありましたが、もちろん読みませんでした。ずらりと並んだ外箱の奥に、自分で描いた西洋写実画並 みに精緻(せいち)な18禁絵画を隠すのには重宝しました。マルクスと18禁絵画の組み合わせ。考えてみると、アイロニーの感覚がありますね。現代美術で アイロニーというと、マルセル・デュシャンが思い浮かびますが、僕はこの感覚を三島から学んだと思っています。
『近代能楽集』も忘れられませ ん。能の形式は借りるものの、血液をまるごと入れ替えたような戯曲集です。僕の作品の二つに一つは、伝統的形式を換骨奪胎するこの手法にならっています ね。尾形光琳の「燕子花(かきつばた)図」のカキツバタを女子高生に置き換えたのも一例です。
三島は「劇画における若者論」の締めくくりに、 「若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与へたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしい」と書いています。この呼びかけに 応えてこられたか、ちょっと自信がありません。今でも、胸の中で響いている気がします。(構成・上原佳久)
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