2013年7月10日水曜日

asahi shohyo 書評

シッダールタの旅 [著]ヘッセ [構成・写真]竹田武史

[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 国際 

表紙画像 著者:竹田武史、ヘルマン・ヘッセ、高橋健二  出版社:新潮社 価格:¥ 1,575

■煩悩と解脱、輪廻の天地を活写

 三島由紀夫氏の死の3日前の電話で「インドには呼ばれる者と そうでない者がいる。君はやっとインドに行く時期が来た」。なにやら呪術めいた言霊に背を押されて1974年にインドに発った。この年に奇(く)しくもこ の写真家が生まれている。彼は私がしたようにヘッセ芸術の結晶『シッダールタ』を伴侶にバイクに跨(またが)り、カメラを手に「仏陀との対話」の40日間 の旅に出た。私は7度渡印したが、著者の写真が語るような濃密な魂体験には及ばなかった。
 彼のインドを凝視する裸眼は、禁欲的、瞑想(めいそう)的、求道的な隠者ヘッセと、解脱の境を求めて呻吟(しんぎん)するシッダールタを二重写しにしているが、そんな写真は見る者の眼(め)を浄化する力を宿している。
  著者はインドの早朝、生きとし生ける万物が眠りから覚め、プラーナの霊気が辺り一帯を支配し光の粒子と混じる頃と、日没の長い影が夕闇の中に姿を晦(く ら)ますのを待ちかまえるかのように、どこからともなく聞こえてくるアリ・アクバル・カーンのラーガの楽曲に導かれ、夜の帳(とばり)が天と地をひとつに する瞬間をカメラにより見事に活写する。
 そんな静寂の中、「女が何であるかまだ全く知らない愚かな沙門(しゃもん)」であるシッダールタは快楽 を求めて美妓(びき)との性愛の陶酔へと下降していく。古代インドでは人生の三大目的のひとつに性愛(カーマ)を通した解脱の道を説く。著者はこの性愛を カジュラホの性愛像の写真で説明するが、シッダールタの快楽と苦悩の狭間(はざま)で魂が裂かれようとする、愛なき性愛の描写に他に如何(いか)なる表現 があろうか。
 灼熱(しゃくねつ)の下、瞑想的で宗教的なインドの静寂と反対に、喧噪(けんそう)と悪臭、人と物の過密空間の中で沸騰する人間の 欲望。これもインド時間だ。輪廻(りんね)と涅槃(ねはん)、煩悩と解脱を分かつのではなく、これらを一体化する時、シッダールタは老いを前に生死の時間 の束縛から脱するのだった。
    ◇
 高橋健二訳、新潮社・1575円/たけだ・たけし 74年生まれ。写真家。文化、歴史をテーマに旅のルポを手がける。

この記事に関する関連書籍

シッダールタの旅

著者:竹田武史、ヘルマン・ヘッセ、高橋健二/ 出版社:新潮社/ 価格:¥1,575/ 発売時期: 2013年04月

☆☆☆☆☆ マイ本棚登録(1 レビュー(0 書評・記事 (1


シッダールタ

著者:H・ヘッセ、岡田朝雄/ 出版社:草思社/ 価格:¥1,365/ 発売時期: 2006年02月

☆☆☆☆☆ マイ本棚登録(1 レビュー(0 書評・記事 (0




0 件のコメント: