2012年9月5日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年08月21日

『歴史のなかの熱帯生存圏−温帯パラダイムを超えて−』杉原薫・脇村孝平・藤田幸一・田辺明生編(京都大学学術出版会)

歴史のなかの熱帯生存圏−温帯パラダイムを超えて− →bookwebで購入

 本書は、1冊の本として理解しやすいものではない。だからこそ、全体を通して読みたい本である。本書が目指しているものを端的にあらわしているのは、 「終章 多様性のなかの平等−生存基盤の思想の深化に向けて−」のつぎの冒頭のことばである。「人間のなすあらゆる学問の目的は、世界に対する人間の関係 を探求することにある」。しかし、学問の現状は、「世界に対する人間の関係」のほんの一部しか手をつけていないし、手をつけている分野でも、進んでいる分 野はごく一部である。本書が、1冊の本として理解しやすいものではないのは、進んでいる分野のかなりこなれた記述と、手をつけはじめたばかりのまだ整理が 充分でない記述が、混じりあっているからである。さらに、序章、4編14章、終章からなる本書のそれぞれの編と編、章と章とのつながりがよくわからないも のがあるからである。それだけ、本書、本講座が目指しているものが、とてつもなく巨大なものだということだ。その現状を知るためにも、本書全体から個々の 分野の位置を確認したい。

 本書は、全6巻からなる「講座 生存基盤論」の第1巻である。ほかの巻は、以下の通りである。「第2巻 地球圏・生命圏の潜在力−熱帯地域社会の生存基 盤−」「第3巻 人間圏の再構築−熱帯社会の潜在力−」「第4巻 熱帯バイオマス社会の再生−スマトラの泥炭湿地から−」「第5巻 生存基盤指数−人間開 発指数を超えて−」「第6巻 持続型生存基盤論ハンドブック」。

 本講座は、「京都大学グローバルCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」(2007-2012年)の最終報告書」である。本講座 は、「これまでのアジア・アフリカ研究の多くは、欧米や日本の歴史的経験に基づいた、したがってアジア・アフリカ地域全体からみればバイアスのかかった認 識枠組から自由ではなかった」という認識の偏りを克服するために、「これまで「地表」から人間の眼で見てきた世界を、より三次元的で複眼的な「生存圏」か ら捉え直すことを提案する」。「そして、現在なお広く共有されていると思われる二つの見方の根本的な転換を示唆する」。

 「その第一は、「生産」から「生存」への視座の転換である」。「現在必要とされているのは、生産性の向上や労働の尊さといった価値を否定することなく、 しかしその意味を、もう一度この「生存」の観点から捉え直すこと」である。「第二は、「温帯」から「熱帯」への視座の転換である」。「われわれは、地球環 境における熱帯の本質的な基軸性と、技術や制度の発達における温帯の主導性との間に大きなミスマッチをみる。これを矯正しなければ、人類が地球環境を理解 し、それと共生していくことはできない」。

 そして、「本講座の刊行によせて」の最後に、本講座の課題をつぎのように説明している。「人類生存基盤が持続する条件をできるだけ幅広く探ることであ る。人間環境の持続性を分析する基本単位として「生存圏」を設定し、そこで個人が生きるために、あるいは地域社会が自己を維持するために必要な物質的精神 的諸条件を「生存基盤」と呼ぶとすれば、われわれの最終目標は、ローカルな、リージョナルな、あるいはグローバルな文脈で、持続型の生存基盤を構築する可 能性を具体的に明らかにすることである。生存基盤論は、そのための分析枠組として構想された」。

 この講座の第1巻である本書の課題は、「持続型生存基盤論の基礎となる長期の歴史的パースペクティブを示すとともに、それによって熱帯生存圏の新しい理解を提示することである」。4編それぞれ冒頭で、編の「ねらい」を簡潔に、つぎのように述べている。

 「第1編 生存基盤の歴史的形成−生産の人類史から生存の人類史へ−」が「目指すのは、「生産の人類史」から「生存の人類史」への歴史叙述の書き換えで ある。これまでの人類史(主として現生人類史)では、「狩猟・採集」の時代から「農業(と家畜使用)」の時代、さらには「産業」の時代へといったように、 生業を基軸にして時代区分やそれぞれの時代の特徴が叙述されてきた。しかし本編では、「生存」を規定する諸条件に着目する「生存の人類史」を目指してい る。「生存の人類史」とは何か。それは、人類史すなわち「人間圏」の歴史を、「地球圏」および「生命圏」の論理との強い連関のなかで理解することにあ る」。

 「第2編 近代世界システムと熱帯生存圏」は、「近現代史を念頭に置き、人間圏、とくに温帯で生まれた技術革新が熱帯生存圏をどのように変容させてきた のか、変容させようとしているのかを論じる」。「本編は、熱帯生存圏が温帯における経済と技術の発展にどのようなインパクトを受け、いかなる対応を迫られ てきたのかを論じた3本の論考を収録する。ここでの焦点は、温帯の発展を支えた近代的な技術でもなければ、熱帯地域に蓄積された在来の技術でもなく、温帯 と熱帯のあいだに生じた、あるいは生じつつある、まさしく地球規模での技術革新とその伝播の帰趨をどう理解するかにある」。

 「第3編 モンスーン・アジアの発展径路と日本−発展を支えた農村制度に着目して−」は、「日本を含む東(北)アジアから東南アジア経由でインドまで広 がる「モンスーン・アジア」について、同地域に特徴的な生態的基盤のうえに展開した、農業や森林利用・管理におけるさまざまな制度 (institutions)に着目し、制度がいかに進化(evolve)し、技術の開発や外部からの受容を媒介として発展径路を規定してきたかを論じた ものである」。

 そして、「第4編 熱帯における生存基盤の諸相−植民地支配・脱植民地化・石油依存−」は、生存基盤持続型発展のために熱帯地域が有する現代的可能性に 着目する。とくに植民地期から現代までの長期ダイナミクスという歴史的視角およびグローバルなつながりのなかの地域の固有性という地域研究的視角から、熱 帯の生存基盤の変容と現状を検討することをつうじて、温帯パラダイムを乗り越え、熱帯を焦点において歴史観・世界観を見直す試みをなす」。

 このような大きな構想の下での共同研究、しかもさまざまな分野の研究をまとめることは並大抵のことではない。それを批判することは、それほど難しいこと ではないが、それは逆説的で、このようにまとめられたからこそ、批判ができるようになったということができる。それだけ、本書、本講座の出版の意義がある ということである。これを出発点として、さらなる共同研究、個々の研究の発展を期待したい。

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