ヤノマミ[著]国分拓
[掲載] 2012年09月21日
■森で産まれ、森を食べ、森に食べられる暮らし
不穏な報に接した。8月末、ブラジルとの国境 に近いベネズエラの密林地帯に住む先住民、ヤノマミ族が違法金採掘業者に大量虐殺されたというのである。狩猟用の弓矢とナイフ以外になんの武器ももたない 彼らの村が上空のヘリコプターから家屋もろとも焼き払われ、狩りに出ていた3人を除く80人が殺されたのだという。
ヤノマミの集落は、両国の国 境に沿って広がる奥アマゾンのヤノマミ族保護区に200以上点在し、総人口はおよそ2.5万から3万人といわれている。豊かな森林や鉱物資源に恵まれてい るため、過去にも森林伐採業者や金採掘業者によって土地を追われたり殺されたりする事件はたびたび起きていた。だが、これほどの規模の殺戮(さつりく)が 報じられたのは今世紀に入って初めてではないか。
ベネズエラ政府が証拠は見つからなかったとして虐殺を否定する一方、こんな短期間で調査できる はずがないと疑問を呈する報道もある。何がどうなっているのかと気にかけていたところ、なんと、そもそもこの情報を世界に向けて発信した英国のNGOが独 自に調査を行った結果、第一報を撤回した。ただし、「別の村だった可能性は残されている」と示唆しつつ。
いったい何が起きているのか--。自分の中にもあるモンゴロイドの原初的なDNAが傷つけられたような気がして、書棚にあったヤノマミの写真集やルポルタージュを取り出して読み直した。2011年に大宅賞を受賞した、国分拓著「ヤノマミ」もその中の一冊だ。
本書は、世界で初めて150日間に及ぶヤノマミとの同居生活に成功して制作されたNHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」(09年) のディレクターが、番組では伝えきれなかったエピソードを織り交ぜながら綴(つづ)った取材記録である。番組も十分に刺激的だったが、まったく未知の原始 的な世界に文明の側にいる取材者が踏みこんでいく内面の軌跡を赤裸に吐露した本書は、番組以上に揺さぶられる内容だった。
07年11月、取材班 が軽飛行機で降り立ったのは、ブラジル北部の密林地帯にあるワトリキという人口167人の村だった。ワトリキとは、ヤノマミの言葉で風の地を意味する。 シャボノと呼ばれる円形の家屋に間借りすることを許された著者らは、微風や旋風、突風など、様々な風を肌に感じながら、これまで報じられたことのないヤノ マミのありのままの生活に密着した。
ただ、その取材ぶりはちょっぴり情けない。天井から落ちてきた虫に驚愕(きょうがく)の声をあげ、ヤノマミ たちに「アハフー、アハフー」と笑われる。森を歩けば蚊やアブやダニに襲われ、夜、用を足そうと外に出ると目の前を横断するムカデの巨大さに驚いてまたぐ ことさえできない。ヤノマミには、人間という意味があり、よそから来た者をナプ(ヤノマミ以外の人間、あるいは人間以下の者の意)と呼んで蔑(さげす)む 風習がある。著者らもナプと呼ばれ、「お前たちは敵なのか、災いを持ってきたのか」と凄(すご)まれるたび、恐怖に身を縮めた。
彼らと同じもの を食べる現地食主義に徹すると決めたものの、バナナとタロ芋ではすぐに空腹になり、カロリーメイトやカップラーメンを隠れて食べてしまう。慢性的な栄養不 良で体はふらふら。男たちの狩りに同行するものの、歩くスピードについていけず置いてけぼりになる。そのたびに、「ワイハ!(待ってくれ)」「ワッシム (疲れて歩けない)」と叫ぶものだから、菅井カメラマンが「スガイ・ワッシム」と呼ばれるようになったという件(くだり)には思わず爆笑してしまった。
いや、失礼。つまり、都会暮らしに慣れたひ弱な日本人の感覚そのままに取材しているからこそ、著者らの驚きや戸惑いや恐怖心を通して、ヤノマミの暮らしぶりや彼らの精神生活のありようが生き生きと伝わってくるのである。
奔放に見えるヤノマミの暮らしにも、ルールや掟(おきて)はある。性にはおおらかだが、結婚は近親間を避けるためにいとこ同士までしか認められない。人が 死ぬと遺品を燃やして名前もすべて忘れ、死者の話は一切しない。獲物は解体して公平に分配するが、腹を裂いて胎児がいたら、食べずにそのまま土に還(か え)す。
〈ヤノマミの世界では、人も動物も、人間も精霊も、生も死も、全てが一つの大きな空間の中で一体となっているのだ。優劣とか善悪とか主従ではなく、ただ在るものとして繫(つな)がっているのだ〉。
そんな感慨に至るのも、森の深い闇を幾夜も経験し、彼らの笑い声や災いを取り除くため精霊と交信するシャーマンの祈りに耳を澄ましたからこそだろう。
カメラがどこまで踏み込むかについては、葛藤の連続である。ワトリキでは年に一度、死者を掘り起こし、その骨をバナナと煮込んで食べる祭りがある。これは どうしてもフィルムに収めたい。何度も交渉を試みるが、最終的には命の保証はできないといわれて恐れをなし、撮影を断念してしまう。
一方、同居 100日を経て撮影に成功したのが、わずか14歳の少女が出産したばかりの嬰児(えいじ)を自らの手で殺(あや)める場面である。撮影までの経緯に目を瞠 (みは)った。家系図をつくろうと血縁関係を調べていくうちに、ヤノマミは避妊の知識をもたないのに、ワトリキには年子のきょうだいや身体障害者がいない のはなぜかと疑問を抱くようになる。なんらかの産児調整が行われていることは過去の文献からも明らかだったが、これをなんとかカメラに収めることができな いものか。妊娠した女性がいるたび声をかけて出産の機会をうかがった結果、ある夜突然、女たちに「こっちへ来い」と呼ばれて撮影を許されたのである。
テレビでは子どもに手をかける瞬間は編集されていたと記憶するが、本書のほうは容赦ない。著者とカメラマンの正気を失う寸前のような精神の昂(たか)ぶりを背景に描かれる子殺しの場面は、読んでいるこちらも窒息しそうなほど心が搔(か)き乱された。
ただし、子殺し、というのはあくまでも部外者の認識だ。ヤノマミにとって、生まれたばかりの子どもは精霊であり、母親に抱き上げられて初めて人間になる。 人間として迎え入れるか否かは母親が判断する。迎え入れないならば自らの手で殺め、亡骸(なきがら)をバナナの皮で包んで白蟻(しろあり)の巣に納める。 白蟻が全てを食べ尽くしたあと、巣とともに燃やし、精霊のまま天に返すのである。
〈森で産まれ、森を食べ、森に食べられる〉。「森の摂理」としかいいようのない彼らの真理を前にして、部外者が自分たちの倫理観や死生観を持ち込むことがどれほど傲慢(ごうまん)であるかと思い知らされる。
もしかすると、たとえ夫であっても立ち入ることの許されない女だけの秘儀の撮影を許されたのは、狩りもできない「ナプ」と侮蔑された著者らが、彼女たちに は男とみなされなかったからなのかもしれない。著者らには気の毒な話かもしれないが、これを生涯に一度あるかないかのシャッターチャンスと捉えてカメラを 回し続けたカメラマンと、心身のバランスを崩しかけながらもすべての場面に寄り添い続けた著者の執念に、凄(すさ)まじいジャーナリスト魂を見た。「暴力 性と無垢(むく)さ」を併せもつ人間のわからなさをわからないまま提示するドキュメンタリーの力を改めて認識する思いだった。
だからこそ、ヤノ マミ社会を支える一方で破壊もする「文明」とは何かと問わずにはいられない。本書では、先住民の保護にあたる政府機関が設置した保健所の職員が、てんかん のために森に捨てられた子どもを育てていることが紹介されている。子どもたちへの予防接種や医薬品の提供も進んでいるという。こうした現代医療によって子 どもの死亡率が減る一方、精霊のまま天に返される嬰児が増えたという皮肉な現象をどう受け止めればいいのだろうか。ヤノマミの文脈にはなかった医療の介入 は、やがて精霊による治療を破壊してしまうのかもしれない。
それ以上に気がかりなのは、ヤノマミ自身の変容である。自らの意志で村を出てポルトガル語を学び、文明の品々と共に村に私有やプライバシーの概念を持ち込む。後半に描かれた、ブラジル社会を知る若者と長老の対立などは、先住民社会で起きていることの氷山の一角だろう。
だからといって、多様性の保全を大義名分に掲げ、彼らを文明の枠外に留(とど)めることが果たして彼らの望むところなのか。これまで宣教師やNGOの職員 たちがどれほど説得しても暮らしを変えようとしなかったヤノマミが、自らの力で内側から変わっていく。未開と文明はもはや対立するものではなく、相対した 瞬間からその境界を互いの温度差によってじわじわと溶かしながらいつのまにか融合しているものなのかもしれない。
著者らはたしかに、「何かが崩壊しようとしている寸前の、小さな裂け目」を記録したのである。
ブラジルではこのところ保護区の撤廃論議が盛んで、最大の理由はやはり資源にあるという。冒頭のような真偽不明の事件が世界に向けて発信されるのも、ヤノマミをめぐるさまざまな駆け引きが今も水面下で展開されているからなのだろう。
「あとがき」には、自分たちができるのは、ヤノマミたちが望む生き方を全うできるよう、友人として手を差し伸べることだと記されている。彼らが望むのであ れば、保護区存続運動の力になりたい、ともある。友人、とはヤノマミの言葉ではなんというのだろう。こんなありふれた日本語が、遠く離れた人と人のかけが えのない物語を照らし、結ぶ、やさしい言葉だとは思いもしなかった。
☆
余談になるが、私がヤノマミの存在を初めて 知ったのは、1990年代の半ば頃だ。ブラジルからヤノマミの村に入って取材をした写真家・長倉洋海さんの『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』に収 録された子どもたちの笑顔に魅了され、当時編集に携わっていた中学生向け新聞に写真をお借りすべく長倉さんにお目にかかって話を聞いた。
ヤノマ ミに接することができる外部の人間は限られ、ごく少数の宣教師や非政府組織の職員であること。シャーマンがいて毎日のように精霊と交信して病や災いを取り 除こうと祈りを捧げていること。数万人もの金採掘業者が村に押し入ってマラリアなどの伝染病が蔓延(まんえん)した時期があったこと。おみやげにはパンツ が喜ばれるので量販店でまとめ買いして持っていくこと、等々、どれも鮮烈なエピソードばかりだった。同じモンゴロイドとして親近感を抱いたのはこのときで ある。
医師で探検家の関野吉晴さんが、ベネズエラ側のヤノマミの村を再訪したのも同じ頃だったろうか。アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸 を経てベーリング海峡を渡り、南米最南端まで広がった行程を人力だけで遡行(そこう)する旅『グレートジャーニー』の途上である。彼らと同じものを食べる 暮らしを送った関野さんは「ヨシ」と親しく呼ばれるようになるが、いつしか、地球の裏側の悪霊の世界から来たと信じられてしまう。彼らが自分をどう扱うの か、最後の最後まで気が気でなかったという話にドキドキしたことが思い出される。
これらはまだ電子化されていないが、90年代のヤノマミの暮らしを知るには格好の参考資料である。ぜひ読んでみてほしい。
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