2012年08月31日
『鉄道と国家−「我田引鉄」の近現代史』小牟田哲彦(講談社現代新書)
「鉄道と政治の切っても切り離せない関係」
面白かった、そして考えさせられた。というのが本書の感想だ。著者の小牟田哲彦氏については、アジア圏の鉄道について書かれた良質なルポルタージュで名前を知っていたのだが、本書についても、ありがちな感動物語や偉人伝に陥ることなく、冷静な社会科学的分析がなされていて一読に値する著作になっている。
評者も、鉄道についていくつかの文章を記してきたことがあるのだが、その根幹にあったのは、日本における鉄道が、政治や経済の文脈でばかり語られることが多く、むしろ日常生活や文化に対して及ぼした影響についてあまり顧みられていないという問題意識であった。
だからこそ、意図的に鉄道と文化のかかわりについて論じてきたのだが、本書を読んで思い知らされたのは、今日に至ってなお、日本の鉄道が政治とは切っても切り離せない関係にあるという事実であった。
鉄道と政治、あるいは軍事とのかかわりについては、これまでにもいくつもの優れた著作が存在してきた。近年に書かれたもので読みやすいものとしては、過去にも書評で取り上げた、『鉄道と日本軍』(竹内正浩)などが存在する。
こうした著作では、明治政府がなぜ他国と比べて狭いレールの幅(ゲージ)を選択したのか、初期の鉄道のルートはどのように決められていったのか、鉄道の発展と日清日露戦争との深いかかわりなどが検討されており、本書でもこうした経緯に触れられている。
だが、本書がさらに興味深いのは、明治以降の、そして今日に至るまでの日本の近現代史を辿りながら、それでもやはり鉄道と政治が深いつながりにあることを示している点なのだ。
それは、私が少年時代に好んで乗車した地方の鉄道が、田中角栄の「日本改造計画」の負の遺産としての赤字ローカル線であったという話にとどまらず、むし ろごく近年の、東日本大震災以降の鉄道の復興であれ、新幹線の海外輸出についてであれ、結局のところ政治的な決断と切っても切り離せない関係にあるという ことである。
政治と鉄道のかかわりというと、どうしてもよからぬ方向の話を想像してしまいがちだが、決してそうとばかりは限らない。筆者が言うには、新幹線の海外輸 出についても、もし不利益を被るような結果が見えているのなら、そこから勇気ある撤退をするのにもまた政治的決断が不可欠なのだという。
以前にも書評で取り上げた中央リニア新幹線の問題や(『必要か、リニア新幹線』橋山 禮治郎)、先ごろ急に着工が決められた整備新幹線の問題を考えていく上でも、本書は示唆に富む一冊だと言えよう。
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