2012年9月5日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年08月22日

『ホテルオークラ総料理長の美食貼』根岸規雄(新潮選書)

ホテルオークラ総料理長の美食貼 →bookwebで購入

「自信を取り戻すための一冊」

 S君という教え子がいる。数年前、東京のホテルオークラで友人と昼食をとり、エントランスの付近で午後から向かう会議の場所を地図で確認していたら、 「どこかお探しですか?」と一人のドアマンが優しく声をかけてくれた。何と、S君だった。ホテルオークラに就職した事は知っていたが、まさかこんな所で会 えるとは思っていなかったので、嬉しい偶然だった。

 就職が決まり、卒業前旅行にパリに来たS君と食事をしながら、ホテルオークラを選んだ経緯を聞いた。ホテル業界で仕事をしたいと考えたS君は、ア ルバイトでお金を貯めて、希望するホテルを泊まり歩いた。その中で一番素晴しいサービスをしてくれたのが、ホテルオークラだったそうだ。そして頑張って希 望のホテルに就職することができた。教室で後輩たちにもその話をしてくれたが、非常に説得力があった。

 家内の実家が東京なので、東京のホテルオークラに宿泊する機会は無いが、旧生徒たちとの同窓会もあり、毎年のように京都に行く。その時は、S君へ の義理立てではないのだが(単に河原町や先斗町で遊んだ後、帰るのに丁度良い場所というのが理由だが)京都ホテル・オークラに泊まる事が多い。きめの細か いサービスは、心地の良いものがある。

 根岸規雄の『ホテルオークラ総料理長の美食貼』は、2001年から2009年までホテルオークラで総料理長を務めた筆者の回顧録である。ただし、 氏がいかに「美食」を楽しんで来たかではなく、「美食」を作り上げるためにどのような苦労と努力をして来たかが、臨場感を持って描かれている。

 ホテルオークラ創立の経緯も面白い。帝国ホテルの会長であった大倉喜七郎が、戦後の財閥解体で職を追われ、1952年に復帰し帝国ホテルに足を踏 み入れようとした時に、時の経営者から「ここはあなたがくる場所ではありません」と拒否された。激怒した喜七郎が、帝国ホテルを凌駕するホテルを作ると構 想したのが、ホテルオークラ誕生となったというのだ。

 伝説のシェフ、小野正吉の指導の下、根岸は研鑽を積んでいく。日本に於けるフランス料理の曙の時代であるから、フランスから一流シェフを招いて学 ぶ事も多く、まさに試行錯誤の時である。帝国ホテル系とホテルニューグランド系の料理人との対立もあり、ホテルオークラのスタンダードを作り上げるための 苦労は並大抵のものではない。そうして作り上げて来たのが、看板料理であるダブルコンソメであり、ローストビーフである。

 創業当時、質の良い上フィレ肉を仕入れるために、買い付け担当者が上司に上フィレ肉が1本900円だったと報告すると、上司が言う「では1本 950円で買いなさい。同じ質のものを買うのなら、常に50円上乗せして買うように」そうすると、業者は喜んで良い肉をホテルオークラに優先的に届けてく れるというのだ。良質のサービスをするための飽くなき追求の姿がある。

 将来のリーダーを育てるために経営陣も努力する。根岸は6年間に渡ってヨーロッパで修行するのだ。多くのレストランで修行し、数々の発見をし、技 術を学んで来る。日本に帰って来て彼は気づく「自分の中で日本の味や食材に対する価値が高まった」と。「日本の食材を生かしたフランス料理があっても然る べきだ」と。

 今でこそ当然の考え方だが、40年前の日本におけるフランス料理界では、革新的発想であっただろう。しかもこれは奇しくもホテルオークラ創業者の コンセプトと一致している。「日本に西洋風のホテルを建てても、それは模倣の二流品にしかならない」、「世界からやってくるゲストに、日本古来の空間美を 味わっていただくことこそが最大のおもてなし」、「日本の伝統美術そのものがユニバーサルな美術である」。

 長引く経済不況に加えて、東日本大震災、原発事故が続き、現在私たちは伝統的価値観に対する自信を失い勝ちだ。築き上げて来た伝統の力を信じ、それを継続するために全力を尽くす人々の姿は、私たちに勇気と力を与えてくれる。


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