2012年3月28日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年03月27日

『ベリーダンスの官能――ダンサー33人の軌跡と証言』関口義人(青土社)

ベリーダンスの官能――ダンサー33人の軌跡と証言 →bookwebで購入

「ベリーダンスの多様性と官能性」



 ベリーダンスをめぐる個人的な経験からはじめたい。評者にとってベリーダンスとは、テレビや映画やアニメ、ゲームなどのサブカルチャーを通じた皮相の視覚経験でしかなかった。

 それは例えば、映画やアーティストやアイドルのプロモーションビデオ、ロールプレイングゲームで中東を思わせる地域に登場するベリーダンサーらしきキャ ラクターなどである。ざっくり言ってしまえば、それらに描かれているのは陳腐な中東イメージであり、かつセクシャルなまなざしであったように記憶してい る。

 ベリーダンスをテーマにした書籍やムックのタイトルからキーワードを拾ってみても、「くびれを作る」といったダイエット志向に「魅惑の」「魅せる」「愛 される」というセクシャルなものが組み合わさったものが目立つ。そこからはベリーダンスが性的で異性愛的なものとしてイメージされていることが連想され る。

 評者が本書を手に取ってみたのは、そのようなサブカルチャーやメディアを介したベリーダンス経験のなかには見られないものに触れてみたかったからだ。さ らにいえば、上記のようなまなざしのなかで、ダンサーたちがベリーダンスを通じて何を体感し、それらを通じてどのような人生を生きているのかを知りたかっ たのである。

「この本を書くために大勢のベリーダンサーを取材した。それぞれの取材の結果はいずれもそこでだけ語られた踊り手たちの固有の歴史だった。おなじベリーダンスに喜びを見出しつつも、それらはあまりに異なる記憶の塊だったし、人生の試行錯誤の結果でもあった」(10頁)

 「はじめに」からは、評者が抱いた興味関心と著者の問題設定がクロスオーバーしていることがすぐさまわかった。著者自身、取材を重ねているなかでダン サーたちの固有の歴史、それぞれが持つ異なるベリーダンスの記憶やその意味付けを記述することの重要性に気づいていったという。だが、本書の意義は彼女ら の軌跡を記述したことに留まるものでもない。後述するが、多様で深みのある語りの数々からはがさまざまな示唆が与えられる。

 いい意味で予想を覆してくれるものがあった。それはここで「官能」が持つ意味合いである。タイトルから、本書もまた上記のようなまなざしやイメージに染 まったものかと思いつつ読み進めたが、そうではないことがわかる。著者は、「本書のタイトルは最初から『ベリーダンスの官能』と決めていた」(10頁)と いう。

 その官能を著者は異性に対する情動という一枚岩なものではなく、もっと広がりのある複数の経験としてとらえているのだ。それらは身体的な超越性、ホモセクシャルな関係性、集団が生み出す連帯感などであり、その官能性こそが躍る女性たちを魅了しているというのである。

 本書は7つの章からなる。また、各章に付されているコラムはベリーダンスと日本人の関係史、ベリーダンスのグローバルな展開が平易な文章ながらも的確に まとめられている。なかでもCOLUMN3「ベリーダンスとジプシー」、COLUMN7「オリエンタリズムとエジプトの二〇世紀」は、音楽評論家としての 活動に留まらず、ジプシー・ロマ文化の研究者としても活躍する著者の専門性が如何なく発揮されている。

 ダンサー33人の語りが中心だが、さらにベリーダンスに深くかかわってきた5人へも聞き取りを行うことで、ダンスそのものだけではなくその周辺文化から もベリーダンスをとらえようとする。33の物語をすべて紹介することはできない。またそれぞれの語りの断片を安易に理論化したり一般化したりすることは慎 まなければならないように思う。だが、どうしても触れておきたい語りがいくつかある。

 日本におけるベリーダンスの先駆者、海老原美代子は、ベリーダンス独特の身体技法を習得しそれを教え子たちに伝授していく。それは海外から輸入されたそ れまでの舞踊とは異なるものだったが、もっと重要なのは、彼女がベリーダンスを「女性の官能的な表現であるばかりではなく、踊り手と音楽、そしてオーディ エンスとが一体となった空間芸術」(17頁)として位置付け、高めていったことだろう。

 第2世代といわれるNéuphar(ネニュファー、松本眞寿美)は、活況を呈している現在の日本のベリーダンスについて、「かつてベリーダンスにあった神秘性やある種の密室性から解放され、大衆化したことで面白味が薄れた」(60頁)と述べている。

 世界的に著名で、日本のベリーダンスにも多大な影響を与えた米国のダンサー、Mishaal(ミシャール)も個人の革新性や創造性が発揮されず、同じ振 付を学ぶことで似たようなダンスに陥りがちという点で、日本の現状に批判的な見解を示している。ネニュファーがいうような脱神秘化、平板化も含め、このよ うな傾向はダンスシーンに特定のものではなく、現在の文化状況を反映したものだろう。

 一方で、トップレスバーでも踊ってきた経歴を持つタカダアキコの語りは、芸術作品を志向するものとは異なるベクトルにある。「自分にとっては、音楽との 対話や、そこに存在するっていうのが基本で、そこにうさん臭さや人間臭さ、サブカル感のあるものが好き」(103頁)だという。

 KANKO(田中寛子)は、ベリーダンスに向けられたセクシャルなまなざしに対してこう述べる。「同性の客(多くは踊り手の生徒たち)に対するアピー ル、逆に言うと生徒(女性の)たちが憧れるようなダンサーの踊りとパフォーマンス、これが日本のベリーダンスショーの基本である。そこに男性客の視線はほ ぼ不在であり、『女のセクシーな魅力』は同性の客たちに対して誇示される」(128頁)

 この二つの語りからは、ベリーダンスを実践する女性が多様な意味づけを行っていることがうかがい知れる。このようにベリーダンスをめぐる経験は多様だ。 性的/非性的、中東的/日本的/西洋的、現代的/古典的などさまざまな軸が交錯し、それぞれのダンサーにおけるその意味づけもさまざまだ。

 ダンサーのなかには、ルーツを求める「エジプト回帰」という傾向が見られるが、著者はその混淆なダンスのルーツを単一のものに求めることもしないし、ベ リーダンスを性的なものとも、反対に非性的なものとも規定しない。唯一それらを束ねるのが、まさに著者のいう「官能性」なのだろう。


  【本書の構成】

はじめに
先駆者たち Pioneers
COLUMN1 日本人とアラブ、そして"アラビアン・ナイト"
第2世代 Next Generation
COLUMN2 日本に上陸した「踊り」の文化
異才たち Conspicuous Figures
COLUMN3 ベリーダンスとジプシー
躍動の時代 Stirring Performers
COLUMN4 ガワジィーとエジプトのダンス
異国で暮らす Immigrant Stars
COLUMN5 オスマン帝国時代のトルコの踊り~ターキッシュ・ロマの系譜
第3世代 3rd Generation
COLUMN6 アメリカの時代~ベリーダンスの新展開
新進の個性 Rising Characters
COLUMN7 オリエンタリズムとエジプトの二〇世紀
観察者たち Observers
あとがき

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