2012年3月13日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年03月13日

『オオカミの護符』小倉美惠子(新潮社)

オオカミの護符 →bookwebで購入

 きっかけは、一枚の護符だった。「武蔵國 大口眞神 御嶽山」という文字の下に、黒い犬のような獣の図像が描かれているその紙切れは、生家の土蔵の扉に貼られていた。
 著者はそこから、地元でひっそりと受け継がれている「御嶽講」の歴史をたどって、青梅の御嶽山・武蔵御嶽神社、さらにはその奧に連なる秩父の山々へと導かれ、その一帯に伝わるオオカミ信仰と神事、これを受け継ぐ人びとの�山の世界�へと分け入ってゆく。
 それらは映像として記録され、映画『オオカミの護符——里びとと山びとのあわいに』として2009年に公開、これを元に書かれたのが本書である。

 著者が生まれ育ったのは神奈川県川崎市宮前区土橋。東急田園都市線の宮前平から鷺沼にかけての一帯である。
 東急グループが、「開発総面積5,000万�という、民間事業としては我が国最大の規模である「多摩田園都市」の街づくり」と言うように、この沿線には 整備された街々が連なる。鷺沼の先のたまプラーザは、その駅名からして�あたらしく作られた街�感にあふれている。子どもの頃、不思議な駅名だと田園都市 線に乗るたび思い、自分の住まう小田急線沿線とは雰囲気の違う、「きれいなおうち」が建ち並ぶ街並みに見入っていたものだ。

 土橋はかつては橘樹【たちばな】郡宮前村大字土橋といい、多摩丘陵の谷戸に50戸あまりの農家が点在する寒村だったが、戦後の開発によって現在で は7000戸を数える住宅地となった。この地で代々農業を営む家で生まれ育った著者は、雑木山に囲まれた小さな農村が様変わりしてゆくのを目の当たりにし て育っている。
 生徒数が増えたため新しく開校した小学校に移った著者は、そこで出会ったクラスメイトたちから、それまで知らなかった、土橋の新しい住人たちの生活文化 に触れる。彼等の言葉、服装、お弁当、住んでいる家、すべてが違っていた。そして、自分が「お百姓の家」の子であることを恥じるようになった。長じて、大 学に通い、都心へ勤めに出るようになると、古くからの地元の生活を顧みることもなくなってしまった。

 祖父の亡くなる昭和五〇年頃まで、この土蔵の隣には家族が暮らす茅葺屋根の母屋があった。母屋の裏手には清水が湧く井戸があ り、南向きでよく陽の当たる前庭には、放し飼いの鶏が行き交い、筵の上に干された豆をときどき啄んでいた。離れには茅葺屋根の牛小屋と物置小屋があり、そ の先には竹藪が生い茂り、その全ては背後から小高い雑木山にやさしく抱かれていた。そしてこの小さな世界の同心円状に村は広がっていた。
 土蔵の隣にどっしりと構えていた茅葺の母家はすでになく、庭先の小屋も姿を消し、そのすべてを包み込んでいた雑木山も、もはや原姿をとどめていない。
 土蔵のひんやりした空気に包まれるのが好きな私は、ある夏の日、土蔵の扉を開けようとしてふと立ち止まった。そこに貼られた「オイヌさま」が、鋭い眼をますます輝かせ、強く何かを語りかけてきたのだ。
 祖父母と暮らした故郷としての面影が消えるとともに、いつの間にかこの街で「護符」を見かけることはなくなり、この街に住む人の多くは、その存在を知ることもなくなった。
 私にとって、この街中ポツンと残され、場違いな存在となってしまった土蔵と、その扉に貼られた「オイヌさま」だけが、遠ざかる村の記憶が確かなものであったことを物語る証しなのだ。
 そのことを確信したときに、「オイヌさま」は何かを伝えてほしいと訴えているように思われた。
 

 著者にとっては、子供のころから見慣れていたはずの「オオカミの護符」。それがある時から気になりはじめ、「オイヌさま」——それは絶滅して久し いニホンオオカミを象ったものだ——が、「強く何かを語りかけてきた」と著者は書く。それは、人びとから忘れ去られ、消えてしまいそうなものを絶やさない でくれとの訴えであったろう。私はそこに、護符という紙切れの持つ信仰のかたちの力を感じた。

 この護符についてたずねると、母親は「オイヌさまは百姓の神様だよ」「御嶽講の講中の家に配られるもんだ」と言う。
 土橋では年に一度、農作業をはじめる前の春先に、村を代表して御嶽山の武蔵御嶽神社へお参りする者を選出する。この行事、さらには御嶽山への信仰とこれを軸とした共同体が「御嶽講」である。

 東京都に隣接する川崎といえば、同じ神奈川で生まれ育った私の世代にとっては光化学スモッグの街、あるいは前述したように、田園都市線沿線の広大 な住宅地などが思い浮かぶ。都心へのアクセスもよいそんな都会の街に、こうした山への信仰が未だ生きていることが、なによりの驚きだった。
 二〇〇〇年代に入った頃から盛り上がりはじめた地方ブーム。地域の伝統を受け継ぎ、守っていこうとする若い世代の活動に注目が集まり、メディアなどに取 りあげられることも多くなった。著者がこうして自らの生まれ育った土地に伝わる「御嶽講」を記録にとどめようと思い立ったのも、彼女が仕事でたずねた日本 の各地やアジアの国々で、若い人たちが地元の行事や芸能を誇りを持って伝える姿に心打たれたためだという。

 これまで目を背けてきたはずの自分の足元から、両親、祖父母、祖先たちが受け継いできた「御嶽講」に目を向け、そこからおなじオオカミ信仰の残る秩父で、畏怖と敬意をもっと山々を拝み、その自然に身を委ねて生きる人びとの暮らしに触れた著者。

 現代の生活では「流行」や「新奇なもの」は常に都会からもたらされる。  ファッションや流行りのレストラン、書籍や芸能に至るまで、まずは東京から発信される。それゆえに自ずと人びとの目は都市に注がれ、釘付けにされてしまう。
 ところが秩父に通うようになって、土橋をはじめ多摩丘陵の地に伝えられる伝承や文物の多くは、どうやら山の世界からもたらされているらしいと気づいた。
 

 川崎という、私からすれば都会である地に、山への信仰がいまだ息づいていることに驚いたのは、思えば東京という中央に目を向け、これを基準に「地 方」や「地域」というものを考えているせいなのだった。中央から遠く離れていようと、渋谷から電車で30分のところであろうと、それはひとつの地方にはち がいないのだ。



→bookwebで購入







0 件のコメント: