2012年3月7日水曜日

asahi shohyo 書評

世界を騙しつづける科学者たち〈上・下〉 [著]ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ

[評者]福岡伸一(青山学院大学教授)  [掲載]2012年03月04日   [ジャンル]科学・生物 

表紙画像 著者:ナオミ・オレスケス、エリック・M.コンウェイ  出版社:楽工社 価格:¥ 1,995

■「懐疑の売人」はなぜ消えないか

 殺虫剤DDTは当初、奇跡の化学物質に見えた。即効性が あって、効果も長持ちする。なのにヒトには害がない。しかし、効き目があるからこそ、生態系の平衡を崩していた。分解されにくいDDTは昆虫の細胞内に残 留し、次の捕食者に移行して、生殖組織まで害するのだ。食物連鎖による生物濃縮。それは最後には鳥がさえずることのない季節をもたらす。
 1960年代初め、『沈黙の春』を刊行し、環境問題に大きな警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソン。その彼女が今、ネット上で徹底的に非難されているのをご存じだろうか。彼女は間違っており、ナチス、スターリンよりも多くの人を殺したと。
 主張はこうだ。カーソンの警告によってDDTが40年前に禁止されたせいでその後何百万人ものアフリカ人がマラリアで死んだというのだ。ひるがえって、DDTで直接、死んだ人はほとんどいない。人間の生命より環境の方が大事だという考え方は誤りだと。
 本書は、今更展開されているこのような批判の隠された意図を暴露している。政府による規制が、成功ではなく実は失敗だったと人々に思い込ませることができるなら、他の規制に対しても懐疑論を醸成、強化できるという意図を。
  世の中には規制を受けたくない人々が存在する。酸性雨、オゾンホール、二次喫煙、地球温暖化。いずれの問題も、科学者の中には反規制陣営に味方するものが いる。その裏にはカネやイデオロギーが潜んでいる。本書ではこれらの問題を順に検討し、そんな科学者たちを名指しで糾弾する(原題は「懐疑の売人」)。
  科学的な問題のほとんどは、科学の問題ではなく、実は科学の限界の問題である。本当に危険があるのかどうか、今すぐにはリスクを立証できない問題。その時 私たちはもっと研究が必要だとして立ち止まるべきか。それとも行動を起こすべきか。そこに懐疑の売人がつけいる隙ができる。
 DDTに関する米大 統領科学諮問委員会は行動を要求した。リスクの立証責任は、規制側ではなく、安全だと主張している側にあると。DDTは、直ちに人を殺さなかったが、自然 界に取り返しがつかない変化をもたらした。DDTは禁止前から使用量が減っていた。効かなくなりつつあったからだ。カーソンは生物の耐性の問題にも言及し ていた。一方で、生態系をゆっくり浸潤していった。
 私たちも、科学をめぐる議論の真っただ中にいる。今こそ、真偽、善悪そして美醜の基準を確かめなければならない。カーソンをために非難することは、科学的に間違っているばかりでなく、悪意に満ち、醜い行為なのである。
    ◇
 福岡洋一訳、楽工社・上下共に1995円/Naomi Oreskes カリフォルニア大サンディエゴ校教授、専門は科学史 Erik M.Conway 米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所研究員。

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