2011年2月22日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年02月21日

『バウドリーノ』 エーコ (岩波書店)

バウドリーノ
→bookwebで購入
バウドリーノ
→bookwebで購入

 ウンベルト・エーコは北イタリアのピエモント州アレッサンドリア市に生まれた。彼はピエモント人であることを誇りにしていて、故郷のアレッサンド リアにもなみなみならぬ思いいれをもっているらしい。このほど翻訳された『バウドリーノ』もアレッサンドリア市の沿革が発端になっている。

 アレッサンドリア市は12世紀にジェノヴァなど近隣都市国家の援助で誕生した。この小説には20年ぶりに帰郷したバウドリーノが城壁が築かれ、地割りされ、建物がたちならび、どんどん都市らしくなっていく故郷に目を丸くする場面が出てくる。

 市の名前アレッサンドリアは時の教皇アレクサンデル三世にちなむ。新しくできた都市に法的な裏づけをあたえるために、アレクサンデル三世に献納するという手続をとったのだ。

 都市をローマ教皇に献納するのは裏技だった。当時のイタリアは神聖ローマ帝国の一部であり、皇帝の認可なしに新たな都市を作ることなど許されなかった。アレッサンドリア建設の報に赤髭王(バルバロッサ)の異名をもつ皇帝フリードリヒ一世は烈火のごとく怒り、すぐにも攻めようとしたが諸般の事情が許さず、ようやく10年後にアレッサンドリアを攻囲した。だが、戦いは長引き市側も皇帝側も疲弊した。この時、ガリアウドという農夫が牝牛の詭計で市を救ったと伝えられている。

 本作ではバウドリーノはガリアウドの息子という設定になっている。まだアレッサンドリアが影も形もなかった頃、バウドリーノは森の中で狩猟をして いたフリードリヒと出会い、とっさに自分と同じ名前の聖人のお告げと称してテルドーナ征服の予言を伝える。フリードリヒはこの予言をテルドーナとの交渉に 役立てようとバウドリーノを実の父親から買いとり、養子にする。

 皇帝の養子になったバウドリーノは天性の語学の才とほら吹きの才を愛され、パリに遊学してほら話の技術に磨きをかけ、一癖も二癖もある友人を作 る。バウドリーノは友人ともども皇帝の側近にとりたてられる。いかがわしい聖遺物がもてはやされ、都市の盛衰をも左右していた中世にあって、ほら話は重要 な政治手段だったのである。

 バウドリーノは皇帝のためにさまざまなほら話をでっちあげるが(アレッサンドリアを救った牝牛もバウドリーノのしかけで、軍を引く口実を探していた皇帝は策略と承知でしかけに乗った)、最大のほらは司祭ヨハネの書簡だった。

 司祭ヨハネ(プレスビュテル・ヨハネス)(日 本では英語読みの「プレスター・ジョン」で知られている)とはイエス生誕の時に訪れた東方三賢王の子孫で、イスラム帝国の東側にあるキリスト教国に君臨し ているとされた。十字軍熱の高まった時代、司祭ヨハネと同盟してイスラム帝国を挟み撃ちにしようという夢がたびたび語られたが、バウドリーノは友人たちの 協力をえて司祭ヨハネが皇帝フリードリヒに宛てた手紙を捏造する。泥沼のようなイタリアの政治にはまりこみ進退きわまった皇帝を救うためだ(この偽書簡は 実際に流布し、フリードリヒの宮廷の作とされている)。

 物語の後半ではバウドリーノは自分がでっち上げた司祭ヨハネ伝説にとりつかれ、司祭ヨハネの国をもとめて、友人たちとともに中世の地理書や旅行記 に描かれるままの化物が跋扈する土地を遍歴する。友人の一人、アブドゥラは実在するかどうかすらもわからぬ貴婦人に恋の歌を書きつづるが、司祭ヨハネの国 をさがすバウドリーノの情熱もアブドゥラのかなわぬ恋と同じかもしれない。

 エーコのことであるから、ここでもうひと捻りある。フリードリヒ一世が率いた第三回十字軍とコンスタンティノープルに襲いかかった第四回十字軍を ビザンチン帝国側から記録したとして歴史に名を残すニケタス・コニアテスがバウドリーノの数奇な生涯を聞かされるという物語が全体の額縁になっているので ある。

 エーコの小説は『薔薇の名前』も『フーコーの振り子』も『前日島』も密室的な印象が強かったが、第四作にあたる『バウドリーノ』は一転して明るく開放的だ。笑いも前面に出てきている。これまで邦訳されたエーコの小説の中では本作が一番とっつきやすいかもしれない。

→ 上巻を購入

→ 下巻を購入

0 件のコメント: