2011年2月28日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年02月27日

『美の歴史』 エーコ&デ・ミケーレ (東洋書院)

美の歴史 →bookwebで購入

 エーコが美術史家のジローラモ・デ・ミケーレとともに編纂した西洋三千年の美の歴史である。450ページ近い大冊に300点以上の大判のカラー図版がひしめいており、美しい印刷といい、ゴージャスな装丁といい、ずしりとした重さといい、所有欲を満たしてくれる本である。

 最初に芸術の歴史ではなく美の歴史だと断ってあるように、本書は単なる美術史の本ではない。図版とともに古代ギリシアから現代にいたるさまざまな文章が引用されており、美をめぐる詞華集ともなっているのだ。

 美術史としては特にどうということはないが、哲学や神学や文学、さらには社会史までからめるとなると博識をもって鳴るエーコの独擅場である。

 古代ギリシアにおいて美が自覚的に論じられるようになった時、ピタゴラス派が比例という決定的な理論を提唱する。万物が秩序づけられているのは数学的法則を実現しているからで、美の原因は比例という数学的秩序にあるというわけだ。

 この比例という観念が解体していくことによって美の歴史が展開していくという構図が本書のおおよその骨格となっている。

 宇宙は存在の源からのただ一つの光エネルギー流で作られるとする新プラトン派の思想を受けて偽ディオニシウスが光の神学をあみだす。神は「光」、 「炎」、「輝く泉」だとする偽ディオニシウスの思想は中世社会に広まり、輝きが美の原因として認められるようになるが、輝きは質であって比例ではないだろ う。そこで輝きを比例に還元しようという試みが何度かくわだてられたが、トマス・アクィナスにいたって輝きは比例とは別の原理とされ、美が存在するには全 体性・輝き・比例の三つが必要ということになった。

 ルネサンス期は古代回帰で比例理論がまた力を持つようになったが、後期になると緊張のねじれから美が生まれるという美の観念が生まれ、マニエリスムやバロックにつながっていく。

 18世紀になると理性・規律・計画を重んじる市民階級が勃興して新古典主義が流行するが、新古典主義は比例を復活させるかに見えて、その実、比例 の根拠を掘り崩すことになる。新古典主義もまた美は客体の側ではなく主体の側の現象だとする新しい考え方にもとづいていたからだ。

 実際、18世紀には主体の審美能力に係わる「趣味」「天賦の才」「想像力」「感情」が重視されていた。この新しい美学の代表者はヒュームである。『道徳、政治、文学に関するエッセイ』から引こう。

美や醜は、甘さや苦さ以上に事物に内在する性質ではなく、内的であれ外的であれ、感情に全く属していることは明らかであるが、事物の中に、本性に よってそのような特別な感情を産み出すのに適したある種の性質が実在することは認めなくてはならない。……中略……もし同一の性質が、持続した構造内にご くわずかな程度しかないために、ある人にははっきりとした喜びや不安をもって感官に作用しないのであればそのような人は精妙さに欠けるとするのである。

 ヒュームの美学を継承し発展させたのはカントである。カントは美的判断とはすべての花でなく、特定の花が美しいと語ることだとした、なぜなら美的判断は原則ではなく感情にもとづくからである。

 この後にロマン主義の渇望の美学が来る。ロマン主義の時代は産業資本主義の勃興期にあたっていたが、産業が社会を変えていくと変化についていけない芸術家たちが芸術至上主義に引きこもり、デカダンスにあこがれるようになる。そしていよいよ20世紀となるわけだ。

 思想史の側面はこれくらいにして、詞華集の面にもどろう。どんな作品が集められているのだろうか。

 『カルミナ・ブラーナ』はオルフの歌曲で有名だが、もともとはベネディクトボイエルン修道院で発見された俗謡集であり、エーコはこんなけしからぬ詩を選んでいる。

私は目的に近づくが、娘はさめざめと泣き、乙女の扉をあけるのをためらいながら、私の炎をさらに掻きたてる。彼女は泣き、私はその甘美な涙をのむ。こうして私はますます酔い、ますます情熱に身を焦がす。

涙に濡れた接吻のいっそう甘美な味に刺激され、心はさらに内なる愛撫へと向かう。情熱に引きずられ、欲望の炎は私の中でますます激しく燃え盛る。そ うするうちにコロニスはしゃくりあげながら苦痛を打ち明け、私が頼んでも静まってはくれない。頼みをくりかえし、接吻をくりかえすが、彼女は涙を流しつづ け、私をののしり、私を憎らしげににらんだり、嘆願するように見つめたり、抵抗したり、懇願したり。私は彼女に懇願するが、彼女の愛撫はますます私の願い を無視してくる。

そこで私は大胆になり、力をふるった。彼女は爪を立てて私を引っ掻き、私の髪をひっぱって泣き、全力で私をはねつけ、体を曲げて、恥じらいの扉が開かぬよう、膝を閉じた。

 これはほとんどポルノではないか。

 一方、純愛に殉じた詩人もいる。『バウドリーノ』のアブドゥラのモデルとなったジョフレ・リュデルというトゥルバドゥールである。

わたしを決して見ることのない彼の地のひとを
わたしが愛したとて驚くことはありませぬ
他の恋を喜ぶ心をもたないのですから
この地でそのようなひとに会ったこともなく
他の喜びがわたしを楽しませたこともなく
どのようにしたらよいかわからないのです
ああ、ああ

 時代がくだってロマン主義の時代になると、ナポレオンが自ら書いた小説『クリッソンとユージェニー』の一節が引かれている。

アメリーは美しい身体、美しい瞳、美しい髪、美しい肌色の持ち主で、17歳だった。ユージェニーは彼女より一歳年少で、美しさでも劣っていた。アメ リーが人を見つめると、こんな風に言っているようだった。あなたは私に恋をしているんでしょ、でもあなただけじゃないのよ、他にもたくさんいるの、だから 私に好かれたかったら、私の機嫌をとらなきゃだめなのよ。私はお世辞が大好きだし、きちんとした人が好きなのよ。ユージェニーは決して男性をじっと見つめ たりはしなかった。想像しうる限りもっとも美しい歯を見せるために、優しく微笑むのだった。彼女が手を差し出すときは、おずおずと差し出し、あっというま に引っ込めてしまうのだった。

 文学作品だけでなく哲学や神学の文章も集められているが、ここでは渋いところでヘーゲルの『美学』から引用しよう。

キリストのこの生涯において重大なのは、彼がこの人間としての唯一の存在を捨てたこと、十字架上の苦しみ、霊の長い苦難、死の責苦である。個人とし ての直接的な存在、外的な、身体的な見かけが否定的なものとしてのまさに拒絶の苦悩において示されるという内容自体にここには暗に含まれているほどであ る。それは、精神が主観的な独自性と感受性を犠牲にすることによって真実に、天に到達するためであり、この表現の領域を古典的な造型の理想から全く別のも のに切離すためなのである。

 本書は視覚的にも好奇心的にも満腹にしてくれる。

→bookwebで購入

kinokuniya shohyo 書評

2011年02月26日

『記号論と言語哲学』 エーコ (国文社)
『テクストの概念』 エーコ (而立書房)

記号論と言語哲学
→bookwebで購入
テクストの概念
→bookwebで購入

 エーコの記号論を二冊紹介しよう。

 エーコは記号論関係の本をたくさん書いているが、中心となるのは記号論三部作と呼ばれる『記号論』、『物語における読者』と今回とりあげる『記号論と言語哲学』である。

 『記号論』はソシュールからパース、イェルムスレウ、記号論理学、情報理論にいたるまで、記号に関するさまざまな視点を網羅し整理した記号論大全というべき本で、記号を論ずる上での基本図書中の基本図書といえよう。

 『物語における読者』は『記号論』の整理をもとにテクストに複数の読み方が成立するメカニズムを精密に跡づけた本で、1982年の『開かれた作品』の深化といえる。読みの複数性を様相論理学の可能世界論で記述したのがポイントだろう。

 『記号論と言語哲学』は前二作における共時的な議論を歴史的にとらえなおした本で、若い日にスコラ哲学を学んだエーコならではの学説史が展開されている。

 『記号論と言語哲学』は読者は前二作を読んでいるという前提で書かれているが、困ったことに『記号論』の邦訳も『物語における読者』の邦訳も絶版(長期品切?)であり、しばらく前から入手がむずかいくなっているのだ。

 英語で読むという手もあるが("Theory of Semiotics"と"The Role of the Reader")、幸いなことに両著をダイジェストした本が邦訳されている。『テクストの概念』である。

 『テクストの概念』はサンパウロ大学大学院で1979年にエーコがおこなった講義をブラジルで出版したもので、『記号論』と『物語における読者』 を要約した内容となっている。いわば二番煎じ本だが、あれもこれも詰めこみすぎの二作と較べるとずいぶん見通しがよくなっているのも確かだ。原著はポルト ガル語でイタリア語版は出ていないが、翻訳にあたって講義のもとになったエーコのイタリア語原稿をとりよせたということだから重訳ではない。

 『記号論』にあたる部分ではパースの

       解釈項
     /    \
  代表項………………直接対象
  (記号)    (イメージ)
             ↓
           力動的対象
           (物自体)

という図式からはじめ、構造意味論で意味の階層構造を紹介した後、換喩と提喩の考察に移っていく。

 換喩とは「沖の白帆」のように「帆」という部分で「船」という全体をあらわすことをいい、提喩とは「痩せたソクラテス」のように「ソクラテス」で 「賢者」という上位概念をあらわすことをいう(上位概念で下位概念をあらわしてもいい)。では「春秋をかさねて」のように「春秋」で「歳月」をあらわす場 合は換喩だろうか、提喩だろうか。

 こういう曖昧なケースをどう受けとるかは読者の問題になり、ここで読者論に話が移る。読者論では『物語における読者』と同様、アルファンス・アレーの二編の笑劇を題材にして考察しており、大筋は同じである。

 訳文がややぎこちないのが難だが、本書を出してくれたことは感謝したい。

 さて『記号論と言語哲学』である。エーコは言語や人為的記号のみならず、煙が火事をあらわすといった自然的記号をも統一的に論ずるパースの立場を引きついでいるが、それに対するギルバート・ハーマンという論理学者の批判を槍玉にあげることからはじめる。

 ハーマンはパースの記号論は三つの異なる分野の理論——意図された意味の理論、徴候の理論、絵画的表示の理論——を含んでいるが、これら三つの分 野が共通の原理にもとづいているという証拠はないとしている。エーコはストア派から中世のスコラ哲学、ロック、フッサール、ヴィトゲンシュタインにいたる まで、こうした三つの分野のための共通の基盤を見いだそうと試みてきたと反論するが、ここで重要なのは「ストア派から」と書いている点である。ストア派の 論理学が出てくるまでは言語と記号は別ものと考えられていたからである。

 記号はギリシア語ではセーメイオンだが、糸口、徴候、症状の同義語とみなされていた。一方、言葉は名称(オノマ)と同一視されており、パルメニデスは記号(セーマタ)と名称(オノマゼイン)を 対比して論じていた。アリストテレスも記号と言葉は区別しており、言葉にはシンボルという語をあてていた。アリストテレスが記号に距離をおこうとしたのは 糸口、徴候、症状という意味での記号は三段論法の根拠として不十分だからだ。熱があるからといって、風邪をひいているとは限らないのだ。

 これに対してストア派の論理学は p⊃q という命題論理学であり、語の意味するものも霊魂の状態でもイデアでもなく、非物体的なものという範疇があらたに設けられ(本書では「無体的」と訳してい るが、ストア派の訳語としてはあまり使わないのではないか)、言語理論と記号理論の統合が試みられている。

 言語理論と記号論を最終的に統合したのはアウグスティヌスだそうで、いよいよスコラ哲学者エーコの本領が発揮されるが、興味のある方は本書を読んでほしい。

 ややこしい議論にはこれ以上立ち入らないが、特筆したいのは最後の章で鏡像は記号といえるのかどうかという意表をついた問題提起をしていること だ。鏡を代名詞になぞらえるなど面白い観点が次々と出てきて、記号とは何かという問いに哲学史とは真反対の角度から光をあてている。映画の最後にNG集を つけるようなもので、お堅い本でこういう読者サービスをやるところがエーコである。

→ 『記号論と言語哲学』を購入

→ 『テクストの概念』を購入

asahi industry publish hitorishuppansha

注目集める「ひとり出版社」 埋もれた「名著」復活に一役

2011年2月26日12時25分

写真:夏葉社の島田潤一郎さんは、仲のよかったいとこを若くして事故で亡くした。「残された叔父と叔母を本で喜ばせたいという思いも」=東京都内拡大夏葉社の島田潤一郎さんは、仲のよかったいとこを若くして事故で亡くした。「残された叔父と叔母を本で喜ばせたいという思いも」=東京都内

写真:佐藤泰志作品集をはじめ、文弘樹さんは40冊ほど出してきた。「大きなもうけはなくても、心に刻まれるものを」=東京都内拡大佐藤泰志作品集をはじめ、文弘樹さんは40冊ほど出してきた。「大きなもうけはなくても、心に刻まれるものを」=東京都内

 本好きのあいだで、「ひとり出版社」が注目を集めている。100冊、千冊単位という少部数だが、埋もれた作家や名著の復活に一役買い、出版不況が進む中、「小さな」ヒット作を送り出している。

■足で稼ぎ 思い届ける

 ユダヤ系作家バーナード・マラマッドの短編集『レンブラントの帽子』、埋もれた名著とされた東京の古書店主のエッセー『昔日の客』。昨年出たこの2冊は 夏葉社(東京)の島田潤一郎さん(34)がひとりで編集から営業まで手がけた。どちらも新聞の書評欄に取り上げられ話題になり、各3千冊ほどを完売、増刷 した。

 島田さんは元フリーター。就職活動で出版社を中心に50社受けたが全敗。開き直り、アルバイトでためた資金をもとに一昨年、ひとりで会社を起こした。「200冊だけ厳選して売る本屋があれば、そこに入る何度も読み返したくなる一冊を作ろう」と。

 『レンブラントの帽子』は、尊敬するイラストレーター和田誠さんに「えたいの知れない人間ですが、いい本を作りたい。力をかしてください」と手紙を書い て装丁を頼んだ。絶版状態だった『昔日の客』は、古書店主の故関口良雄と作家尾崎一雄らとの交流がしみじみ描かれる。古書で1万5千円もするファン待望の 一冊を、うぐいす色の布の表紙で復刊した。

 出版前には首都圏や関西などでロングセラーが大事に置かれているような書店を150店ほど選び、営業に回った。「直接訪ね歩いた結果、気の毒に思ってくれたのか、返本がほとんどない。作者の心が届いたんだと思うとうれしい」。今後も足で売れるだけの冊数を作る。

 廃れた炭鉱町で不器用に生きる人たちを描いた「海炭市叙景」。昨秋に公開され話題を呼んだこの映画の原作は、41歳で自殺した佐藤泰志。5回も芥川賞候補になり、果たせなかった不遇の作家を最初に掘り起こしたのは、文弘樹さん(49)が主宰するクレイン(東京)だ。

 出版社に10年勤めたが、納得のいく本をじっくり作りたいと1997年に独立。「自分と同じことに興味を持つだろう千人に向けて本を届けたい」と、年3冊ペースで出してきた。

 在日の作家金鶴永の作品集を04年に出し評判になる。埋もれた作家に光を当てることが小出版社の役割だと、根強い人気があるのに単行本が絶版状態の佐藤に着目、07年に目録つきの700ページ近い作品集を、1年がかりで仕上げ出版した。

 これが佐藤の故郷である北海道函館市で話題になり、有志が寄付を集めて映画化。さらに小学館が文庫に。没後20年を経たブームのきっかけを作った。

 「与えられた生の条件下で懸命に生きてこそ人の輝きがある。そんな作品のメッセージが不況にあえぐ今の読者の心に響いたのか。地道に売れたおかげで次の本が出せる」と文さん。

■ネットで話題 直販も

 「ひとり出版社」という形態は昔からある。人文系専門書などを主に扱う出版取次会社JRC(東京)の場合、取引先約250社のうち2割超が、1、2人で 営む出版社だ。「著作権、採算と関門は多いが、光をあてれば売れる本が生まれるという部分を小出版社が担ってきた」と後藤克寛社長(62)は語る。

 それをインターネットの広がりが後押しする。近年、本好きな人のブログやツイッターで情報が流れ、小出版社の本でも欲しいと思う各地の人に届きやすくなった。書店委託しない、ネット直販が広まったこともある。

 芥川賞作家西村賢太さんが敬愛して再評価される藤澤清造の貧困小説集を10年前に出した勝井隆則さん(56)が営む亀鳴屋(かめなくや)(金沢)は直販 派だ。「いい作品を書きながら野垂れ死にしたような作家を紙の形で残したい」とマニアックな目線で「暴投系の手作り」を目指す。表紙に特注布をはったり、 昔風の活版印刷にしたり。凝り過ぎて利益が出せず、500部が売り切れないこともある。それでも、「亀鳴屋の本なら」と定着した全国のファンに向けての本 作りを続ける。

 また、徐々に各地で増えてきた配本だけに依らず、スタッフの並べたい本を置く個性派書店も応援団の役割を果たす。「昔日の客」の復刊をすすめた「古書善行堂」(京都)の山本善行さん(54)は『レンブラントの帽子』50冊、『昔日の客』を80冊売った。

 「大手は売れる本をつくり、いい作品だが地味、といったリスキーなものは手がけにくい。自分が感動したから届けたいというひとり出版社の思いは若い人にも通じ、さらにネットを介し広がる。新しい紙の文化を生みつつあるのではないか」(河合真美江)





2011年2月26日土曜日

asahi archeology history japan Chiharaoohaka kofun ancient oldest haniwa Sakurai Nara

笑っているようで武人 日本最古の人物埴輪か 奈良

2011年2月24日23時40分

印刷印刷用画面を開く

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影拡大茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影

写真:茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影拡大茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影

地図:  拡大  

 奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(国史跡、全長86メートル)で、古墳時代中期初め(4世紀末)に作られたとみられる武人の埴輪(はに わ)1体が見つかった。市教委が24日発表した。人を表現した人物埴輪の出土例は、これまで5世紀初め〜前半が最古とされてきた。市教委は「人を埴輪で表 現するようになった契機がわかる重要な発見」と話している。

 同古墳東側のくびれ部で数百の埴輪片が見つかった。つなぎ合わせたところ、高さ67センチ、幅50センチの武人と判明した。盾を構え、頭にはかぶとをか ぶっている。目と口は穴が開いた形で表現され、目やほおの周りに赤い顔料が残っていた。あごには入れ墨を示す線刻模様があった。

 市教委によると、今回の発掘で一緒に見つかった円筒埴輪が4世紀末のものとされることから、この人物埴輪も同時期に作られたとみられるという。古墳上部から滑り落ちた形跡があり、本来は古墳の上に立っていたらしい。

 埴輪は、古墳時代に円筒や水鳥、家などの形で現れたといわれる。しばらく人の形は作られず、大和王権の中枢があった畿内に現れたあと、全国へ広まったと 考えられている。人物の最古の出土例は、5世紀初め〜前半の拝塚(はいづか)古墳(福岡市)や墓山(はかやま)古墳(大阪府羽曳野市)だった。

 茅原大墓古墳は、帆立貝式古墳といわれ、前方部が短いホタテ貝のような形が特徴だ。葬られた人物は不明だが、古来、神の山とあがめられた三輪山の西のふ もとにあることから、石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「三輪山の信仰と強い関わりのある一族が古墳を守護する意味で作ったのだろう」とみる。

 現地説明会は26日午前10時〜午後3時。埴輪も見ることができる。JR三輪駅の北約1キロ。問い合わせは市立埋蔵文化財センター(0744・42・6005)へ。(渡義人)



2011年2月25日金曜日

asahi archeology history japan ruin tateana jukyo Keio University Yagami campus Yokohama

弥生〜奈良時代の大集落遺跡出土 慶応大矢上キャンパス

2011年2月25日20時43分

印刷印刷用画面を開く

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 慶応大学は横浜市港北区の慶大矢上キャンパスで、弥生・古墳・奈良時代にわたる60軒以上の竪穴住居を確認したと、25日発表した。今回の発掘調査地を 含む矢上台遺跡は住居の密集度が高く、慶大は約9万平方メートルの遺跡内に1千軒を超える住居が存在していたとみている。

 今回見つかったのは、竪穴住居のほか、弥生土器、土師器(はじき)、須恵器、弥生時代の指輪状青銅器など。住居のうち1軒は床面積が100平方メートル前後ある巨大なものだった。

 発掘したのは約1500平方メートルで、慶大矢上キャンパス・テクノロジーセンター(仮称)の建設予定地にあたる。

 矢上台遺跡の東端には4世紀の観音松古墳(全長約100メートル)が見つかっており、弥生時代後期・終末期から古墳時代への権力構造の変遷を考える上で 重要。同遺跡南側には日吉台遺跡群が広がっていることから、この地域が弥生時代後期・終末期に鶴見川流域一帯の中核的集落群だった可能性が高いと、調査に あたった慶応義塾矢上地区文化財調査室はみている。

 3月5日、午前10時から一般向けの現地見学会を開く。