2012年11月18日
『なんらかの事情』岸本佐知子(筑摩書房)
「岸本道場の掟」
出た、と思った人も多いだろう。
『気になる部分』『ねにもつタイプ』につづく�タイトルが七五調�シリーズのエッセイ集第3弾。今回はちょっと字余りだが、細かいことは気にしなくていい。
電車の中で読んではいけない本だ。単に吹き出してしまうからではない。いや、岸本先生の�タイトルが七五調�シリーズのたちが悪いのは、表向き 「イヒヒ。笑わせちゃうぞ」という顔など、ぜんぜんしてないことである。むしろ、むっつりして「いえいえ。こちらこそ。かたじけない」とお辞儀でもしそう な気配。ところが、すれちがいざまにやられるのである。たとえば「物言う物」という、ごく地味なタイトルがついた文章。
このあいだ、デパートのトイレに入ったら便器がしゃべった。
「このトイレは、自動水洗です」
驚いた。便器に話しかけられることは、まったく想定していなかった。この先、さらに何か言うつもりだろうか。いろいろ指示したり感想を述べたりするのだろうか。そう考えだすと怖ろしくなり、何もしないで出てきてしまった。(25)
たぶん多くの人が、「いろいろ指示したり感想を述べたりするのだろうか」で、つい、顔がゆがむだろう。我慢できた? ならば、これはどうだ。「変化」という、これも何の変哲もないタイトルのものである。例によって出だしはごく静穏。
聞くと何かモヤモヤする言葉、というのがある。
たとえば「諭旨免職」なんかがそうだ。
何だかよくわからないが、そう言われてみるとたしかにモヤモヤするような気もする。けっこうまじめな話ではないのか、と思って油断するわけである。で、「はい。どうぞ」と耳を傾けると。
……たとえば「諭旨免職」なんかがそうだ。耳で聞くと、どうしても頭のなかで「油脂免職」と変換されてしまう。
油脂免職。それはどんなものなのか。たぶん、普通の免職つまりクビ、に何らかの油脂の要素が加えられたものだ。クビを言い渡されたあげく油を一気飲みさ せられる、とか。クビになり荷物を箱に入れて去っていく、その出口までの廊下にずっと油が塗ってある。あるいは油脂部屋と呼ばれる仕置き部屋が会社のどこ かにあり、そこに閉じこめられて全身に油脂を塗られる。(21)
どうだろう。おそらく多くの人は悔やむのだ。まさかこんな話を聞かされるなんて。しかもそのせいで顔が多少なりとゆるむなんて。実にくだらない!と。それで、悔しいから笑うまいとして、だけど、こらえきれずに「ぶふっ、ぶふっ、」と鼻から苦しい息を吐いてしまう。
ふと、思うのである。岸本先生の本は一種の道場なのではないか。この道場では、いかにアホなことを想像しつつ笑わずに堪えるかを競っているのでは ないか。そう言えば、この『なんらかの事情』を手に取りつつも、筆者は「次はぜったいに笑うものか」という妙に意固地な気分になっていたように思う。で も、あえなくやられるのだ。しかも、「あっははは〜♪」と健やかに笑うのではなく、まるで通り魔にいきなり脇腹を突っつかれたような、ほとんど苦痛に近い 悶絶。それで、「あ、先生! 今、いったい何をなすったのか!」と岸本先生の後ろ姿に呼びかけると、「いえいえ。こちらこそ。かたじけない」などとつぶや きながら先生は足早に去って行かれる。
道場に流れているのは、まったく何の変哲もないおだやかな時間である。たとえて言うなら静かな昼下がり。秋の夕暮れ。もしくは花粉舞う春の朝。そこへ誘いこまれるようにして私たちは足を踏み入れる。
中学、高校とつながった女子校に通っていた。
人生のかなり重要な時期をそこで過ごしたのというのに、何だか断片的なことしか思い出せない。
制服がなかったのでみんなでたらめな服を着てきて、中には下駄にハッピ、腐った学帽などという者もいたこと。
(中略)
物理のテストの学年平均点があまりにも低かったため、物理の先生が歯ぎしりして奥歯が割れたこと。
女子校なのにトイレが尋常でなく汚く、ついにある日緊急全校集会が招集され、お掃除のおばさん数名がトイレ掃除のつらさ大変さを壇上から切々と訴えたが効果がなかったこと。
ある年の国語の入試問題で、文中の「おいそれとは○○できない」と同じ用法の�おいそれ�を以下より選べ、の選択肢の一つが「おいそれ取ってくれ、大島君」であったこと。それが校長先生の名前であったこと。(96)
最後の「おいそれ」問題のところでは、思わず「マジッ!」と立ち上がる人もいるかもしれないが、そんなことで動揺していては岸本道場ではやっていけない。まだまだ修行がたりない。
だいたい筆者は、どちらかと言うと笑い上戸なのである。実は過去に苦い想い出がある。某学会でシンポジウムの司会をやったときに、まあ、アメリカ の学会みたいに皮切りに洒落のひとつも言ってやろうと思って、講師の先生方にキャッチフレーズをつけてみた。「マッハの思考で知られる××先生」「概念の 魔術師××先生」など。ところが、いざその場になって紹介をはじめようとすると、自分で勝手に考えたキャッチフレーズなのにやけにおかしくなって、壇上で 我慢できずにグフグフと笑い出してしまったのである。この書評を読んでいる方は「どこがおもしろいのかさっぱりわからない」とお思いだろうが、口で言おう とすると、字面で見るよりおかしいものです。それに、筆者はもともと笑い上戸なのである。しかし、もちろんのことだが、会場はシーンと静まりかえり、呼吸 困難になって身をよじりながらひとりで笑っている変な司会者を、冷たく白けた目で見つめていた。
そのあとの懇親会で言われたものである。「君、ああいうときは、自分が笑っちゃいけないんだよ」。その通りだ。笑ってはいけないのだ。笑ったら負 けだ。だからこそ、訓練が必要なのである。おかげで、ヨーロッパ風の、いかにもオチの明瞭な「一、二のさ〜ん」みたいな冗談ならだいたい耐えられるように なった。しかし、岸本先生のはいつどこから弾が飛んでくるかわからない。闇討ちというか。食あたりというか。気を抜いたとたんに、ぐさっとやられる。
本書の後半は同じ通り魔でも、脇腹系よりは、やや「宇宙的」な話が増えてくる。中でも筆者のお気に入りは「金づち」や「ザ・ベスト・ブック・オ ブ・マイ・ライフ」、あ、「海ほたる」も相当よかった。「ザ・ベスト・ブック」は『双子の棒切れ』という本の話なのだが、主人公が棒で、その名前が「棒 子」と「棒夫」なのである。これだけでもすでにやられた気分だ。ここからコズミックな話が広がるのだから、驚くほかない。
実は少し前に、岸本先生と公開討論会のようなことをやらせていただいた。せっかくの機会だから、�タイトルが七五調�シリーズの愛読者としてかね がね訊いてみたいことがあった。いや、でも、どうだろう。こんなこと、はじめてお会いする方に言うのは失礼か。でも……と、そんな逡巡をへて、討論会の流 れのどさくさもあったのだが、思い切って言ったのである。
「あのう。岸本先生って、ひょっとして、ちょっとだけ、Sな?」
すると、何と岸本先生、ふだんの道場の厳しさからは想像もつかないくらいやさしいほがらかな顔になられて、
「……と思うでしょう♪」とか何とか。
つづきはご想像ください。
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