2010年11月27日土曜日

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足利義満創建の「鹿苑院」跡か 京都で遺構発見

2010年11月24日22時27分

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写真:鹿苑院を示す「鹿」の文字が残る器鹿苑院を示す「鹿」の文字が残る器

写真:鹿苑院の遺構が見つかった調査地=京都市上京区の同志社大今出川キャンパス鹿苑院の遺構が見つかった調査地=京都市上京区の同志社大今出川キャンパス

 室町幕府3代将軍・足利義満(1358〜1408)が創建した「鹿苑院(ろくおんいん)」の遺構が、同志社大の今出川キャンパス(京都市上京区)で見つ かった。建物は江戸時代の古地図に記されていたが、研究者は「存在が初めて裏付けられた」と説明する。同大が24日、発表した。

 同大によると、鹿苑院は大学に隣接する相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)として、義満が1383(永徳3)年に創建した。義満の禅の修行場に使われ、当時の有力な禅寺「京都五山」(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)を統括する役割も担ったとされる。

 今回、建物の柱を支える「根固石(ねがためいし)」を6カ所で確認。それぞれ拳大の石が直径約1メートルの円状に敷き詰められており、鹿苑院の仏堂跡と みられる。周辺からは、器の底に「鹿」と書かれた瀬戸焼も見つかった。その形から14世紀末ごろの製作とみられ、鹿苑院の創建時期とも一致。鹿苑院が当時 からこの地にあった可能性が高まったという。

 同大はキャンパス整備に伴う発掘調査を8月から始め、来年3月まで続ける。鹿苑院には義満の墓もあったと文献にあり、同大歴史資料館の浜中邦弘講師は「戦乱で破壊されていなければ、今後の調査で墓石の発見も期待できる」と話す。(渡辺秀行)





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