2011年4月24日日曜日

kinokuniya shohyo 書評

2011年04月22日

『デジタル書物学事始め—グーテンベルク聖書とその周辺』 安形麻理 (勉誠出版)

デジタル書物学事始め →bookwebで購入

 グーテンベルク聖書を例にして書誌学の歴史と未来を展望した本である。書誌学というと図書館のデータベースや文献リストを思いうかべる人が多いと思うが、本書によるとそれは体系書誌学とか列挙書誌学と呼ばれる分野で、それとは別に分析書誌学という分野がある。

 分析書誌学は物理的な「モノ」としての本を研究する学問で、紙や活字、印刷面、構成といった物理的証拠から本の成り立ちや伝承経路をさぐる。グー テンベルク聖書はもっとも進んだ技術で調査されてきたから、分析書誌学の現在を紹介するにはうってつけの題材といえよう。学問的なレビューなので読み物を 期待する人には向かないかもしれないが、コンピュータによる典籍研究に関心のある人には参考になる本だと思う。

 第1章「活版印刷術の誕生」はグーテンベルクの生涯と活版印刷の簡単な解説で、今回紹介したような本を読んだことのある人なら飛ばしてかまわないだろう。

 第2章「解体・グーテンベルク聖書」は「モノ」としてのグーテンベルク聖書を記述していて、ジョン・マン高宮利行氏の本で断片的にふれられていた最新の研究がいきなり出てくる。

 レビュー的な本なので突っこんだ説明はないが、図版が多いので百聞は一見に如かずである。『グーテンベルク聖書の行方』と重なる図版もあるが、活 字が倒れた跡と推定される版面の汚れや星形の透かしがどのような位置関係ではいっているとか実に面白い。透かしを撮影するのに紙葉を放射性炭素を含んだア クリルガラスの板と感光紙ではさみ、放射性炭素のβ線で感光させる。こうすると表面に印刷された文字は透過し、透かしだけが浮かびあがるというが、まさか 放射線を使うとは思わなかった。

 第3章「書物研究とデジタル画像」は画像方式による貴重書のデジタル化プロジェクトとハイテクによる研究の現況を紹介している。

 貴重書はそのままの形状で後世に残していくことが大切だが、貴重な本であればあるほど公開して欲しいという声が強まるだろう。貴重書を高精度のデ ジタル画像にすれば保存と公開の矛盾はとりあえず解決されるが、どのくらいの精度が必要なのか、どんな手順でデジタル化するのかを著者も参加したことのあ る慶応大学のHUMIプロジェクトを例に解説している。また昔からある赤外線撮影や紫外線撮影、最近開発されたPIXIE(荷電粒子励起X線放射)やラマ ン分光法で何がわかるかにもふれている。

 グーテンベルクの最大の貢献は父型(パンチ)を銅に打ちこんで活字の母型(マトリクス)を作る手法を確立した点にあるとされてきたが、プリンストン大学のニーダムとアルカスが高精度画像によってそれを否定する仮説を発表した。これまでにとりあげた本でもこの話は出てきたが、こちらにはさらに新しい情報がある。同一文字の字形の変異が多すぎることから『さまよえるグーテンベルク聖書』 では砂の鋳型を使った可能性が示唆されていたが、本書によるとそうではなく、文字のパーツ(「i」でいえば点と縦棒)の父型を別々に金属に打ちこんで母型 を作った可能性があるというのだ。砂の鋳型はいくらなんでもと思ったが、パーツ組みあわせ説だったらありかもしれない。

 第4章「デジタル画像を用いた校合手法」は肉眼による校合がデジタル化されたという話だが、欧米では肉眼による校合のために特別な光学装置を作っ ていたそうで、長持くらいある巨大な校合機の写真が載っている。和本なら薄いので比較するテキストを簡単に並べることができるが、ヨーロッパの二折本や四 折本は大きい上に板張りの表紙をつけていたりして重いので、並べるのが不可能な場合があるのだそうである。そこで鏡とレンズを組みあわせて二つの本のペー ジを光学的に重ねあわせる機械を作ったわけである。もちろんデジタル化すると二つのページの比較がいろいろな方法でできるようになる。

 第5章「デジタル画像を用いたグーテンベルク聖書の校合」ではHUMIプロジェクトでおこなったグーテンベルク聖書の各本の比較校合の結果を紹介 している。字間を広げるといった植字の微妙な修正や校正で直された箇所が確認されているが、修正・変更箇所の分布にはかなりばらつきがあることから、専門 の校正担当者がまとめて校正したのではなく、分業のユニットごとに校正がおこなわれたらしい。そうなると大学で教育を受けたペーター・シェッファーが校正 係として雇われたという説が怪しくなるだろう。

 第6章「デジタル書物学事始め」ではデジタル技術を駆使した新たな分析書誌学の未来が語られている。著者は新時代の分析書誌学を「デジタル書物学」と呼ぶことを提唱しているが、確かに楽しみな分野である。

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