2012年09月29日
『メディアオーディエンスとは何か』カレン・ロス/バージニア・ナイチンゲール 著 / 児島和人・高橋利枝・阿部潔 訳(新曜社)
「メディア論を通した、「われわれとは誰か?」という問いの軌跡」
「われわれとは誰か?」という問いが、急速に重要なものになりつつある。それは、「日本人である」「労働者(サラリーマン)である」「○○党支持者であ る」「若者である」云々といったように、それまで当たり前のようになされてきた答えが、急速にその自明性を失いつつあるからだ。それは、この社会のありよ うが根本から大きく変化しつつあることの表れでもある。1980年代以降、急速に浮上してきたオーディエンス研究とは、メディア論の視点から、こうした問いに答えようとしてきた軌跡であったと位置づけ ることができる。そして、本書『メディアオーディエンスとは何か』は、まさしくそうした軌跡を、幅広くバランスよくまとめ上げた好著である。
さて、オーディエンス研究とは何かと言われれば、端的には、それまで「受け手」と呼ばれ、マスメディアに隷属する存在と見なされていた人々について、対 抗的な「能動性」を認めたり、あるいは多元的に現実社会を生きる存在であることを問い直していった研究であるということができるだろう。
そもそも、メディア論という言葉自体が比較的新しいのだが、「マスコミ論(マスメディア論)」という言葉が主流だった時代には(あるいはいまでもその思 考から抜けきっていない人も多いのだが)、マスコミ万能論がまかり通り、「受け手」と呼ばれた「われわれ」にはあまり注目がなされなかったという経緯があ る。
だが、1980年代以降、カルチュラル・スタディーズと呼ばれる研究の潮流の中で、こうした「受け手」の中に、マスコミに対抗する「能動性」であったり、あるいはその属性によるバリエーションの多様さが見出されてきた。
今となっては、当たり前のように思われることがらだが、いわば日々メディアを利用する「われわれ」という存在が、単なる「受け手」ではないものとして注目されるに至ったということができるだろう。
そしてその背景には、マスコミ中心の時代から、インターネットのようなインタラクティブ性の高いものを交えた、複雑なメディア状況が到来したことも強く 関係しよう。すなわち、来るべき次の時代へと向けて、メディア研究は今、極めて重要な問いのいくつかに直面しているのである。
それは、概略以下のようなものだということができよう。
まずもって、マスメディアやインターネットを交えた複雑なメディア状況における利用者のことを何と呼ぶべきなのか、あるいはどうとらえるべきなのか。そし て、「われわれ」は、こうしたメディアをいかに使いこなすべきなのか、あるいはこれからの社会はいかにあるべきか、あるいはそもそも「われわれ」とは、い かなる存在であり、今後どうなっていくのか。
こうした重要な問いが浮上している中で、メディアを利用する「われわれ」に対して、いまだ和訳が定まらずに用いられてきた「オーディエンス」という概念 は、いうなれば、マスコミ中心の時代からその次の時代へとこうした研究を橋渡ししていくための、仮の呼称なのだということもできるだろう。
また本書も、今後の社会を見据えたメディア論の大きな進展へとつながる、重要な橋頭保の一つとして、位置付けることができるだろう。
メディア論におけるこうした研究の方向性への台頭について、「オーディエンス論的ターン」と呼ぶこともあるが、本書では、それ以前のいわばマスコミ万能論 の時代の効果研究の歴史にまでさかのぼりつつ、さらに経済、政治、文化的な複数の側面から「オーディエンス」という存在について検討を行っている。こうし た多方面へと配慮の行きとどいたバランスの良さこそ本書の長所であるし、さらにそうした配慮は、来るべき新たな時代へのオーディエンス研究の展開を盛り込 んだ最終の第7章にまで及ぶものである。
本書のこうした特徴は、とりわけ共著者のバージニア・ナイチンゲール氏が、批判的なメディア研究の一潮流であるカルチュラル・スタディーズの論者として 位置づけられつつ、その中にあっても一方的な批判に傾注することなく、むしろ「オーディエンス」を文字通り丹念に記述することを通して、その実態の正確な 把握をすることを訴えてきたスタンスから来るものだということができるだろう。氏はこのほかにも、未邦訳なものを含めて、オーディエンス研究に関する重要 なアンソロジーやハンドブックを刊行している。
また翻訳書としての特徴を言うならば、本書は、こうした領域に関する国内でもトップレベルの研究者による翻訳がなされているため、非常に読みやすくわか りやすい。加えて、的確な「訳者解説」だけでなく、「用語解説」までついているので、初学者であっても十分に読み進めていくことができる。
このように、これまでの状況を踏まえながら、来るべき新たなメディア社会を考えていくための重要な一冊として本書をお勧めしたいと思う。
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