2012年5月1日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年04月30日

『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫(ちくまプリマ—新書)

「世界征服」は可能か? →bookwebで購入

「「男子的野望」を転換させるための特効薬」

 読後感が実に爽快な一冊である。期待以上の内容といってよい。当初は「?」のついた疑問形の書名が頼りなさげに感じられて仕方なかったのだが、まさに 「どんでん返し」ともいえる結論を読んで、スッキリした。コンパクトで読みやすい本なので、ちょっとした時間の合間にでも、前から順に読んでほしいと思 う。

 さて、「はじめに」において、「小さい頃、一度くらいは「世界征服」にあこがれたこと、ないですか?」(P15)と問いかけられているように、そ れはある時代までの男の子にとって、実にメジャーな野望(あるいは夢)だったといってよい。あるいは、これも本文中で触れられているように、アニメや特撮 に登場する悪の組織の野望は、たいていの場合、「世界征服」であった。


 このように、ある時代までは当たり前のように語られていた「世界征服」という野望について、本書では、いくつものマンガ・アニメ・特撮作品の設定内容を 事例として取り上げながら、丹念な検証がなされていく(このあたりは、まさにオタキングたる岡田氏の面目躍如という感じである)。


 具体的には、「世界征服」をすることの背景にはどのような目的がありうるのか、征服した際にどのような支配者になりうるのか、そしてそれはどのような手順でなしうるのか、といった点について検証が進められている。

 そして、これらの検証を経たうえで、第4章で書名と同じ問い、「世界征服は可能か?」が問われることになるのだが、この問いに対する岡田氏の答えは、「不可能と思われるが、可能でもある」というものである。


 すなわち、いわゆる旧来イメージされてきた「世界征服」についていえば、それは理論上は不可能なことではないという。確かに、強大な軍事力があれば、一時的に世界を支配下に置くことは不可能ではないだろう。


 だが、これだけ複雑化した現代の社会を、一人の支配者が独裁的に支配し続けることは、おそらくは不可能であろうことも想像に難くない。いわば、それは 「世界という学級の先生」「世界の校長先生」(P158)のようなものであり、これだけ問題の多発する現代社会においては、「その労力に見合った「うま み」」(P160)がなく、不可能であるというよりも、「かつてのイメージみたいな「世界征服」は無意味なこと」(P176)になってしまったのだ。


 しかしその一方で、岡田氏は「世界征服」は可能だともいう。「「その時代に信じられている価値観に反対すること」が悪の定義」(P183)であり、それに従えば、旧来イメージされてきたのとは、異なった「世界征服」がなしうるはずだという提言がなされている。


 以降の詳細は、本書をお読みいただきたいが、最後に岡田氏が提言している新たな「悪の定義」や「世界征服」については、特に、かつてそれを野望として描いていた男性たちに読んでほしいと思う。


 数年前、閉塞する社会状況を打破するには「戦争」にしか希望を見だせないという評論が注目をされたことがあったが、そのような幼児的な野望を乗り越えていくためにも、本書は特効薬的な効き目を持ち合わせた一冊だと思う。


→bookwebで購入

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