2012年5月29日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年05月28日

『安部公房の都市』 苅部直 (講談社)

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 著者の苅部直氏は『丸山眞男―リベラリストの肖像』などで知られる新進気鋭の政治学者だそうだが、読んでいるうちに、こいつSF者だなと直覚し た。SF者の臭いがぷんぷんにおうのである。はたして『第四間氷期』を論じた章の扉には直接関係のないSFマガジンの表紙写真を掲げ、安部公房がSFを愛 読していたことや早川書房から出ていた『世界SF全集』の思い出を語っているばかりか、『榎本武揚』にジャック・フィニーの『盗まれた街』の影響がみられ るなどという、それまでの慎重な筆の運びからはそぐわない、明らかに我田引水の解釈まで披瀝しているではないか。やはりSF者だったのである。

 安部公房とSFというとぴんと来ない人がいるかもしれないが、安部公房はまぎれもなく年季のはいったSF者だった。安部は地球温暖化とバイオテク ノロジーを予見した『第四間氷期』を1958年に書いているし(翻訳SFを相当読みこんでいないと、ああいうものは書けない)、SFマガジンが新人発掘の ために開催した第一回「SFコンテスト」では選考委員をつとめ、小松左京の処女作を絶賛している。箱根の山荘を見せてもらったことがあるが、ベッドの枕元 の書棚にはハヤカワSFシリーズの銀背がずらりとならんでいて感無量だった。

 苅部氏はおびただしい先行研究を参照したり、共産党とこみいった関係に立ち入ったり、小説の舞台のモデル探しや専門の近代日本政治思想史に寄り道 したりして、一見、風に運ばれるまま方向を定めずにふわふわ書き進めているように見えるが、第三章あたりから安部公房のSF的な部分に照準を定めているこ とがしだいにはっきりしてくる。

 SF的な部分とはセンス・オブ・ワンダーであり、矌野のポエジーである。

 ブライアン・オールディスは『十億年の宴』においてSFの源流は18世紀後半に英国で流行したゴシック・ロマンスにあり、世界最初のSFはメア リ・シェリーの『フランケンシュタイン』だとした。ゴシック・ロマンスは荒れ果てた古城や墓場を舞台とした中世趣味に淫した小説であり、未来社会を主な舞 台とするSFとは真逆に見えるが、SFが描きだす異星の荒涼とした原野や遠い未来の廃墟はゴシック・ロマンスの舞台の現代版であり、そうした風景にふれた 時に生ずる寂寥感がSFの本質であるセンス・オブ・ワンダーとなったというわけだ。

 もちろんセンス・オブ・ワンダーなどと言ったら、そこで思考が停止してしまい、それ以上作品に近づけなくなってしまう。苅部氏は『燃えつきた地 図』を語る時には都市生活の寄る辺なさの周辺をさまよい、『榎本武揚』では日本近代における忠誠心の空洞化の歴史をなぞり、『第四間氷期』では未来予測を めぐる二つの対立した立場をゆきつもどりつしながら、最終的にはしかし「故郷としての荒野」に近づいていく。

 その荒野は安部公房が育った満州の荒野ということになっているが、視点は突然「身体全体の営み」に転移し、矌野のポエジーが前面に躍り出てくる。「故郷としての荒野」は満州という名の異星であってもかまわないのである。

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kinokuniya shohyo 書評

2012年05月27日

『安部公房文学の研究』 田中裕之 (和泉書院)

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 国語の授業で「それ」は何を意味するかとか、この文節はどこにかかるかといった分析的な読み方を習ったことがあるだろう。曖昧さが身上の日本文学 を相手に分析的な読み方が意味があるのか疑問に思っていたが、相手が安部公房だと意外に有効らしい。本書は国語の授業的な読み方を安部公房に対して生真面 目に実践しており、大きな成果をあげている。おそらく安部公房が理詰というか粘着質の作家だからだろう。

 本書は日本近代文学研究者である田中裕之氏による安部公房論で、1986年の『砂の女』論から2007年の『終りし道の標べに』論まで20年間に わたって紀要などに発表された論考を集めている。配列は対象とする作品の年代順となっており、三部にわかれる。第一部は最初の長編小説である『終りし道の 標べに』論、第二部は1949年の「デンドロカカリヤ」から1952年の「水中都市」まで2年半の間に集中的に書かれた「変形譚」論、第三部は中期を代表 する『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』、『箱男』の失踪者四部作論である。

 第一部「〈真善美社版〉『終りし道の標べに』の位相」では安部公房自身が後に語った「実存主義を観念から体験のレベルに投影したらどうなるかとい う一つの実験」という自作自解を検証しており、第一章は「第一のノート」におけるハイデガーの影響、第二章は「第二のノート」とリルケの「放蕩息子の物 語」、第三章は紙をめぐる思索とニーチェ、キルケゴール、ヤスパースの影響をあつかう。

 一部の先行研究に見られる安部公房は『終りし道の標べに』においてハイデガーを離脱して独自の哲学的思索を切り開いたとか、後期ハイデガーを読み こむ見解をはっきり斥け、「第一のノート」が最初から最後まで『存在と時間』のハイデガーを下敷きにして書かれていることを明らかにした点は重要である。 また同作における「故郷」が後期ハイデガーの「故郷」ではなく、リルケ的な「故郷」だという指摘もその通りだろう。「第三のノート」と「追録」を神の問題 ととらえ、ニーチェとキルケゴールの影響を読みこんだ部分にも教えられた。

 第一部の論は初期安部公房研究における大きな達成だと思うが、いくつか疑問がないわけではない。著者は安部公房が読んだであろう寺島実仁訳の『存在と時間』ではなく、後年の細谷貞雄訳を引用しているが、安部と同世代でやはり『存在と時間』に魅せられた木田元氏が『闇屋になりそこねた哲学者』などの自伝で語っているように、当時の翻訳やハイデガー理解には相当問題があり、研究の進んだ現在の理解をもちこむのはどうだろうか。また、リルケについては鳥羽耕史氏が『運動体・安部公房』で指摘したように大山定一訳『マルテの手記』というフィルターが介在しており、ワンクッションおいて考えなければならないのではないか。

 第二部「変形譚の世界」は共産党入党前後に集中的に書かれた変身物語を「変形譚」と一括し、リルケ的な「故郷」を脱して共産主義者としての新たな 「故郷」へと向かう物語として解読している。これ自体はよくある読み方で面白くもなんともないが、シャミッソーとの経歴の類似を指摘した第七章「安部公房 とシャミッソー」、変形譚を比喩との関連で捉え直した第八章「比喩と変形」は興味深かった。

 第三部「中・後期の文学世界」は著者の方法の長所と短所が一番よくあらわれている部分である。

 第九章「『砂の女』論——失踪者誕生の物語」は主人公のラストの選択に共産党除名を読みこむ解釈で新味はないが、ハンミョウに注目した後半部分は面白かった。

 第十章「『燃えつきた地図』における曖昧さの生成」は同作には分析的な読み方では接近できないと考えたのだろうか、著者には珍しくテーマ批評的な 描き方を試みているが、慣れないことをして無理をしているないるという印象を受けた。著者の本領はあくまで分析的な読み方にあるだろう。

 第十一章「安部公房のおける不整合」は書き下ろしで周到に原稿を練りあげたはずの『砂の女』と『他人の顔』に多数の不整合というかミスが含まれているという指摘で、こんなにたくさんあったのかと驚いた。

 もちろん「テクストはまちがわない」というテクスト論的な見方もあるわけだし、著者が特にこだわっている時間的不整合についてはミスといっていい のかどうか、あるいはもともとはミスだとしても、そのまま受けとった方がいいのではないかと思わないではないが、うっかりミスと見た方がいいものが多いの も確かである。どこまで意味があるかは置くとしても、労作であることは間違いない。

 第十二章と第十三章は『箱男論』である。第十二章「「箱男」という設定から」は『他人の顔』との関係を中心に論じており、『箱男』には『他人の 顔』には見られなかった自閉性がくわわったとする。第十三章「その構造について」はもっとも国語の授業的な部分で、各断片の記述者が誰かを徹底して明確に しようとし、結局「『箱男』は、そのすべてがただ一人の記述者の手になる虚構の産物なのである」という結論を引きだしている。

 記述者探しはロブ=グリエの翻訳で知られる平岡篤頼氏の『迷路の小説論』に触発される形ではじまったようだが、この結論はともかく、安部公房とアンチ・ロマンの関係は見直されてよい。

 最後の第十四章「前衛の衰弱」は安部の絶筆となった「さまざまな父」論で、作品として自立することのできなかった作品に対する割り切れない思いを語っている。安部公房が好きでたまらないという気持がよく出ている。

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asahi shohyo 書評

脳はすすんでだまされたがる—マジックが解き明かす錯覚の不思議 [著]スティーヴン・L・マクニックほか

[評者]逢坂剛(作家)  [掲載]2012年05月27日   [ジャンル]人文 

表紙画像 著者:スティーヴン・L・マクニック、スサナ・マルティネス=コンデ、サンドラ・ブレイクスリー  出版社:角川書店 価格:¥ 2,100

■ミステリー執筆の参考にも

 著者こそ異なるが、本書は評者がこの欄で1年前に紹介した、『錯覚の科学』と対をなすべき、啓蒙(けいもう)書である。
  ここでは、注意力の欠如や記憶の誤りなど、さまざまな理由で起こる錯誤のメカニズムを、マジックの成り立ちをとおして、解明しようとする。周知のとおり、 推理小説のトリックは、マジックの仕掛けとよく似ている。読者を、間違った方向に誘導しておき、最後に意外な真相を示して、度肝を抜く例の手法である。
 本書は、人がいかにだまされやすいかを、マジシャンのテクニックを紹介しつつ、興味深く解き明かす。関連するマジックの、実技と種明かしが随所に織り込まれているので、素人マジシャンの手引書としても、楽しく読める。
 推理小説の世界には、先年亡くなった泡坂妻夫さんという、マジックの名手がいた。もしかすると、本書はミステリー作家を目指す人が、トリックを考えるための参考書として、活用できるかもしれない。
    ◇
 鍛原多惠子訳、角川書店・2100円

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著者:スティーヴン・L・マクニック、スサナ・マルティネス=コンデ、サンドラ・ブレイクスリー  出版社:角川書店 価格:¥2,100

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錯覚の科学 あなたの脳が大ウソをつく

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著者:クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ、木村博江  出版社:文藝春秋 価格:¥1,650

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asahi shohyo 書評

星に願いを、月に祈りを [著]中村航

[掲載]2012年05月27日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:中村航  出版社:小学館 価格:¥ 1,680

 誰にでも一つくらい、セピア色に風化せず、みずみずしいまま心に息づく思い出があるだろう。この小説の冒頭で小学生3人が経験するキャンプの夜の 冒険のような。思いをうまくかたちにできない子供の不安定で研ぎ澄まされた感覚を、大人の言葉で上書きせず、鮮やかに切り取ってみせる。
 その 夜、闇の中で耳にした謎のラジオ放送が、全編を貫くモチーフとなる。ある出来事をめぐって起こりうる二つの道が、現実と幻との境をあいまいにしたまま進 み、やがて一つの未来へと収束していく。ファンタジー仕立ての成長物語にこだまし続けているのは、夜空を飾る星の数ほどもある命一つひとつへの、限りない 愛惜の念である。
    ◇
 小学館・1680円

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asahi shohyo 書評

若者の気分 少年犯罪〈減少〉のパラドクス [著]土井隆義

[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2012年05月27日   [ジャンル]社会 

表紙画像 著者:土井隆義  出版社:岩波書店 価格:¥ 1,680

■統計を検討、情緒的議論と決別

 20世紀最後の数年、少年による凶悪犯罪が散発し「少年犯罪 の増加!」と騒ぎになった。しかし長い目でみて減少傾向が明らかと分かると、世の論は少年犯罪の凶悪化、再犯の増加を問題にする方向に横滑りしていった。 今ではどれも現実にそぐわないと分かっているが、2010年の内閣府調査では75%もの回答者が「重大な少年犯罪が増えている」とした。
 著者は 丁寧に統計を検討し、誤解を解きほぐす。更に諸外国では犯罪増に直結する失業率が日本でも高まっているのに、少年犯罪が最低レベルであることにパラドック スを見いだす。このような視点は従来の論を見聞きしてきた者には意外だろう。しかし事実だ。むしろ、本書の真骨頂は「パラドックス」に社会学的分析を試み る点である。
 キーワードは「宿命主義的人生観の広がり」「人間関係の自由化」など。前者は現状を素直すぎるほど受け入れる態度。後者は、社会が あまりに自由になったため、むしろ仲間との絆を求め、空気を読んで自分が浮かないようにする態度につながる。「私(個性)探し」から「友だち探し」へ。ち なみに凶悪犯罪がかつて究極の個性だったことは、神戸連続児童殺傷事件(1997年)に続いた少年事件の聞き取りから分かる。しかしこんな極端な個性はも う誰も欲しくない。少年犯罪は減少し、90年代の特異な事件の再来も抑制される……。
 社会学に暗い評者には判じがたい部分もある。また描かれた若者像を固定的に捉(とら)えるのは危険だろう。検証し先に進むには、社会と犯罪の分野で因果関係の解明を目指す社会疫学、犯罪疫学を視野に収めるべきだとも感じた。
 いずれにしても安易な若者叩(たた)き言説と距離を取り「今」と真摯(しんし)に向き合う議論をさりげなく実現している点がよい。私たちの社会に跋扈(ばっこ)してきた情緒的若者論との決別のきっかけとなることを期待する。
    ◇
 岩波書店・1680円/どい・たかよし 60年生まれ。筑波大学教授。著書に『「個性」を煽られる子どもたち』など。

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著者:土井隆義  出版社:岩波書店 価格:¥1,680

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「個性」を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える

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著者:土井隆義  出版社:岩波書店 価格:¥504

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asahi shohyo 書評

近代仏教という視座—戦争・アジア・社会主義 [著]大谷栄一

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)  [掲載]2012年05月27日   [ジャンル]歴史 人文 ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:大谷栄一  出版社:ぺりかん社 価格:¥ 5,250

■様々な潮流と合流した歩み

 古代以来、日本人の精神に大きな影響を与えてきた仏教。しかし、 「仏教」という概念が定着したのは、近代に入ってからである。西洋によって「宗教」(レリジョン)という概念が持ち込まれ、宗派を超えた統一的単位として の「仏教」が明確に自覚されるようになった。「宗教」という概念の中核には、どうしてもキリスト教(特にプロテスタント)の影響が反映されている。個人の 信仰を基礎とし、儀礼的な要素を排した信仰形態は、「宗教」をビリーフ(信念の体系)中心的に規定し、プラクティス(実践)の側面を捨象した。
 大谷は、等閑視されてきたプラクティスの側面を包摂する「広義の近代仏教」を論じる重要性を提起しつつ、ビリーフ中心的な「狭義の近代仏教」がたどった軌跡を明らかにする。
 明治20年代、「新しい仏教」を掲げる運動が活発化した。旧仏教界を批判し、社会参加や内的信仰を重視する「新しい仏教」運動は、「青年仏教徒たちによる異議申し立てのユースカルチャー」として拡大した。ここで確立された「狭義の近代仏教」は多元的な展開を遂げていく。
  中でも大きな影響力を持ったのが、田中智学の日蓮主義運動だった。智学は国民と国家の統合を世界人類の統一へと敷衍(ふえん)し、仏国土という理想社会の 実現を構想した。彼の運動は、高山樗牛や石原莞爾、宮沢賢治らに熱狂的に支持され、影響は血盟団事件を首謀した井上日召にまで及んだ。一方で、同じ日蓮主 義者でも「新興仏教青年同盟」を率いた妹尾義郎は、反戦・反ファシズムの仏教社会運動を展開し、利己的な資本主義の変革を求めた。
 反戦平和から超国家主義まで、様々な思想潮流と合流した近代仏教。宗教の社会的役割が見つめ直される現在、近代仏教の歩みをたどることは、極めてアクチュアルな作業となるだろう。
    ◇
 ぺりかん社・5250円/おおたに・えいいち 68年生まれ。佛教大学准教授。著書に『近代日本の日蓮主義運動』など。

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著者:大谷栄一  出版社:ぺりかん社 価格:¥5,250

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著者:大谷栄一  出版社:法藏館 価格:¥6,825

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asahi shohyo 書評

健康不安と過剰医療の時代—医療化社会の正体を問う [編著]井上芳保

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2012年05月27日   [ジャンル]医学・福祉 

表紙画像 著者:井上芳保、近藤誠、浜六郎  出版社:長崎出版 価格:¥ 2,310

■「何かおかしい」と思う人に

 現代は江戸時代より「進化」していると言われる。進化のシンボルが科学技術の発展である。確かに江戸時代までは高度医療も保険制度もなく薬は高かった。であるから病気にならないことが重要で、「養生」が生活の上で大切な役目を果たしていた。
  一方、今の日本では薬は満腹になるほど出してくれるし、レントゲンやCTは無制限に撮ってくれる。が、何かおかしいと常々思っていた。薬の処方や治療は最 後の手段だろう。不安感だけで治療する必要はあるのだろうか? 本書はその疑問に答えてくれた。ずばり「健康不安」と「過剰医療」を暴いている。
  日本で癌(がん)にかかる人の三・二%は放射線による診断被曝(ひばく)が原因と推定され、検査回数も調査した十五カ国平均の一・八倍である。必要とされ ない多くの事例でCTが安易に使われているからだという。血圧が高い人に処方される降圧剤も、実は脳梗塞(こうそく)につながりやすい。コレステロールの 薬も骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の薬も不要な場合が多く、副作用をともなう。バリウムによる胃の検査が本当に安全かどうかは分かっていない。うつ病と いう診断結果の急激な増加は、向精神薬の解禁と連動している。さらに、病気でない人にお金を使わせるには「健康不安」という武器がある。「メタボ」はじめ ありとあらゆるものに警告が発せられ、健康商品が大量に消費されている。本来は「ストレスに強い」ことを強要する社会の問題であるにもかかわらず、それは 問題としないで医療に金を使わせる構造になっているのだ。本書は、そのような多くの事例が語られている。
 本書には賛同する人もしない人もいるだろう。しかし、頭の片隅で「何かおかしい」と思っている人は多いのではないか。医療の過剰を問題化してゆく必要性が高まっているというのが、この本の編集意図だ。ようやくそういう時が来た。
    ◇
 長崎出版・2310円/いのうえ・よしやす 56年生まれ。札幌学院大学元教授(臨床社会学)。同氏ら8人で執筆。

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著者:井上芳保、近藤誠、浜六郎  出版社:長崎出版 価格:¥2,310

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