2013年11月12日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2013年11月11日

『インパラの朝』中村安希(集英社文庫)

インパラの朝 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「日本の進むべき道を考えるための一冊」

 パリでメトロに乗っていると、小銭をもらうために車内を回ってくる人によく出会う。歌を歌ったり詩を朗読したり人形劇を演じたりして何か芸を見せてくれ る人もいれば、自分は失業者で今日の食事のためのお金もないので助けてほしいと言いながら、帽子を差し出す人もいる。興味深いのは、彼等に小銭を上げて援 助をするのは、裕福な身なりの人よりも、自分も生活するのがやっとではないのかと思われる人の方が多いということである。

 中村安希の『インパラの朝』を読んでいると、同じようなことを感じる。貧乏旅行をしている中村よりも、遙かに貧しい人々が彼女を様々にもてなして くれる。食事、宿泊、土産、娯楽、運賃、何もかも面倒を見てくれて、お金は全く要求しない。自分たちの食べ物を削ってでも、彼女に美味しいものを食べさせ ようとする。

 彼等のことを「貧しい」と思うのは、先発国に住む我々の傲慢にすぎない。大都市に住み、高給を取りながらも、毎日忙しく朝から晩まで働き、体を酷 使し、家族とのんびり過ごす暇もないような生活が、人生のレベルにおいて彼等よりも貧しくないと果たして言えるのだろうか。お金の多寡や、現代的な設備の 有無で幸福度は測れない。私たちの方が彼等に恵んでもらうものが多いのかもしれない。そんなことを『インパラの朝』は教えてくれる。

 副題の通り、この作品は若い女性が一人でユーラシア・アフリカ大陸を684日間旅した記録だ。楽しいことばかりではないし、涙を流すことも多い。 よく生きて帰って来られたと思えるような出来事も多々ある。しかし、作者はこのような旅から、素晴らしく健全な精神を学んでいる。

 かつてイラクで日本人人質事件があった時、東京にいた彼女は職場の同僚と新宿のスタバでコーヒーを飲む。同僚は何のためらいもなく「人質たちを冷 たく笑い、軽蔑の言葉を口にした—共感と同意を求めるように、あたかも当然のことのように。」彼女は考える、事件に巻き込まれて死ぬのは嫌だが「国家とい う無責任な総体の、陰謀の一部を担いながら、誰かが死んでいく様を眺めているのも嫌だった。」同僚より遙かに健全な考え方である。

 パキスタンで出会った青年が言う。「僕たちはね、日本がとても好きだった。とても尊敬していたんだよ。日本の技術は世界一だ。日本はあれだけすご い技術と頭脳を持った国なのに、その力を武力の増強や核開発に使わない。すごい国だと評判だった。お金があって、技術があって、それでいて高いモラルのあ る国。信頼できる国だった。だけど突然、君の国は、アメリカ側にくっついてイスラム社会に牙を剥いた。イラクやアフガンに襲いかかった。僕らはとてもガッ カリしたよ」ここには日本が本来進むべきだった道が示されている。

 アフリカの交通事情を見て、中村は考える。「多くが事故に巻き込まれ、車が凹み、ガラスが割れて、トラックやタンクローリーは勢いあまって横転 し、バスはついに爆発し、乗客もろとも燃え尽きればいい。とにかく道路を作ればいい。とにかく発展すればいい。とにかく車をどんどん走らせ、環境をどんど ん破壊して、どんどん事故を起こせばいい。何をやっても構わない—発展途上の国々は、先進国のごみ箱なのだ。」先発国のエゴイズムの結果がアフリカの現状 なのだ。

 愛国心を持てと人は言う。だが日本は今世界から愛される国となっているだろうか。愛国心は人から強制されるものではない。皆が自然と愛することの できる日本を作り上げるためには、中村の貴重な証言が役に立つだろう。人を信じない者は、他者からも信じられない。懐疑の上に成り立つ関係ではなく、違い を認識し、認め合うことで、世界との距離は縮まる。世界は欧米諸国だけではない。これからの日本の歩むべき姿について考えさせてくれる刺激的な作品であ る。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

Posted by 石村清則 at 2013年11月11日 22:53 | Category : 生きかた/人生




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