2011年03月06日
『近代日本の「手芸」とジェンダー』山崎明子(世織書房)
手芸とひとことでいっても、そのありようはさまざまだ。それを仕事にまでしてしまう人もいれば、子どもの入学する幼稚園で使う袋物が「手作り必須」だっ たりしてやむなく、という人(袋を縫うだけなら手芸でなく裁縫というべきだろうが、名前は刺繍で!などといっつてくる幼稚園もあるのが驚きである)、師匠 と仰ぐほどの名人に「弟子入り」し、壮大なパッチワーク作品作りなどに励む人。
限りなく実用に近いところから、「ほとんど芸術」「ほとんど工芸」レベルにいたるまでという、その守備範囲の広さはひとえに、これをする人が「女性」で あることによる。女性がするものである、というジェンダー規範が「手芸」という言葉に内包されていなければ、たとえば上記のふたつの制作物とその行為は、 同じ概念のもとに存在せず、何かべつの価値づけと制度づけがなされていたのではないだろうか。
「手芸」は近代日本の産物である。「手芸」は、それを女性がおこなうものとして認識されることによって「手芸」となったのだ。本書は、明治時代における手芸の概念の成立と、それと同時になされた手芸のジェンダー化があつかわれている。
近代国家形成期、皇后を頂点とするヒエラルキーのおのおのの階層のなかで、女性を国民たらしめる上で、手芸の果たした役割は大きかった。たとえば女子教 育の場で、あるいは女性誌などのメディアを通じて手芸が奨励されるとき、好んで繰りひろげられた言説は、手芸が「婦徳の涵養」のためであるというものだ。 フトクノカンヨウ、つまり婦人としての徳を育むことは、女性を良妻賢母たらしめ、日本国家の国民としての役割を果たすことにつながるというわけである。
近代日本におけるこの手芸の奨励、それとともに手芸の概念が定まってゆく課程は、下田歌子が女子教育の場で展開した「手芸論」、宮中での皇后による「養 蚕」の創出とそれにまつわるメディア上の言説、明治期に刊行された手芸テキストにあらわれるディスクールなどによって検証されてゆく。
ところで、上記二番目の「皇后の養蚕」についてだが、明治の二十年代頃までは、まだ手芸の概念は明確ではなく、養蚕・製糸・紡績などの繊維に関する仕事をはじめ、古くから「女功・女紅」と呼ばれた女性による手仕事全般をも含んでいたのだという。
宮中で古代よりなされていたとされる皇后による養蚕が「復興」されたのは明治四年のこと。これを報道する新聞記事が、皇后が公のメディアにあらわれた最 初だったという。以来、新聞や女性雑誌で「皇后の養蚕」は繰りかえし報じられ、そこでは、国民すべての「母」たる皇后の婦徳が称賛され、権威づけられた。 さらに、「皇后の養蚕」はさまざまな文脈において読みかえられ、それによって発せられるメッセージは、手仕事や育児、看護などを女性役割として規定するこ とにつながった。そのため、近代国家形成期における表象システムのなかで、「養蚕」は「手芸」のなかでもとくに重要なものとされたのだ。
そもそも「手芸」とは、ひろく手仕事やテクニックを意味する言葉でもある。これと似た意味をもつものに「技芸」があるが、「技芸」が「わざ・げ い・たくみ」など、洗練された技術を意味するのにくらべて、「手芸」はたんに「手による芸・ものを作る芸」をさすものであるという。今日の「手芸」に通じ る一連の行為は、明治期には「技芸」と呼ばれることもあったが、それが次第に廃れ、「手芸」に統一されてゆく。それは、明治期の「美術」の制度化にともな う「美術」や「工芸」概念の成立と無関係ではない。この点について著者は、一九九〇年代にさかんになされた、「美術の近代化」に関する諸研究についてふれ たあと、こう述べる。
これら諸研究を踏まえて、改めて「手芸」という語を見るならば、「美術」に近づく「工芸」とも、「工業」に寄与する「工芸」と も異なる場に位置づけられていることがわかる。端的にいうならば、「工芸」を吸収していく「美術」制度からも切り離され、そして工芸的要素を必要とした産 業からも切り離され、二重の意味で社会の制度から疎外されていくのが「手芸」であった。この二重の疎外の意味を解く鍵となるのが、近代国家におけるジェン ダー編成であり、女性と「手芸」を強固に結びつけるジェンダー象徴体系である。
忙しい母親のために、我が子のための幼稚園バック作りを請けおってくれる業者もあれば、アクセサリーや小物などの手作り品を販売する女性による ネットショップも数限りない。布や糸などの素材を表現の手段とする女性美術作家もいれば、もはやあらゆる動機をこえてひたすら創作にはげむ母親の手作り品 を「オカンアート」と称してこれを取り沙汰する感性もある。私が女性の労働と表現について考えようするとき、「手芸」ははずすことのできないトピックだ。 これにまつわる種々の問題を、本書は明らかにし、示してくれた。
あとがきで、本書のテーマと著者を結びつけたのは、「世界に二つとない」服を作って着せてくれた母と、「私の持ち物にいつも見事で愛らしい刺繍をほどこしてくれた祖母」であると著者は書き、こうしめくくっている。
創造することの喜びを最も豊かに知っている母たちに、これが決して(手芸)批判の書ではなく、多くの女性たちの営みをみつめ直すものであることをわかってもらえることを心から願っている。
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