2010年12月22日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月21日

『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』岡美穂子(東京大学出版会)

商人と宣教師 南蛮貿易の世界 →bookwebで購入

 東アジア海域を舞台として、近世世界史がようやく見えはじめてきている。本書を読み終えて、最初にそう思った。西欧中心史観としての「大航海時代」と日 本のナショナル・ヒストリーとしての「南蛮貿易」は、それぞれそれなりに研究蓄積がありながら、「世界史」がなかなか見えてこなかった。その謎を解く鍵 が、本書から垣間見えた。

 本書は8章からなり、多くの章はもととなる論文があるが、論文集ではない。「序章 世界史における南蛮貿易の位置」と「終章 聖と俗が交錯する南蛮貿易 の終点」が新たに書き加えられることによって、ひとつのまとまりのある単行本になっている。最近の博士論文のなかには、序章も終章もなく、脈略のわからな い論文が数本ならんだだけというものがあるが、単行本として出版されるときは、こうあってほしい。

 本書の目的は、「序章」冒頭で、つぎのように述べられている。「一六世紀後半から一七世紀前半にかけてのポルトガル人の東アジア海域における活動を、 「ヨーロッパの拡張」という視点からいったん切り離し、「東アジア海域世界」に参入してきた一勢力として観察することで、彼らがこの海域でどのような影響 を受けて変容し、また彼らの存在によってこの海域にいかなる変化が生じたのかを探ることにある」。

 著者、岡美穂子は、「序章」「第一節 問題提起−「南蛮人」の帰属意識」で、まずスペインとポルトガルを「イベリア両国」という語で、十把一絡げにする なという。スペインは最初から領土拡張を重視し、ポルトガルは貿易を重視して、それぞれが根拠地としたマニラとマカオはまったく異なる存在形態であった。 また、最新の研究成果から、アジア間貿易の担い手であったポルトガル人の多くは改宗ユダヤ人で、血縁に基づく商業ネットワークを築いていたと指摘してい る。すなわち国を追われたこれらのポルトガル人に、国家を背負っているという意識はそれほどなかった。

 つぎに、「第二節 本書の構成と諸課題」で、南蛮貿易の研究は、ヨーロッパから極東アジアまでの広大な地域の歴史認識と、経済史、キリスト教史などの諸 々の幅広い知識が要求されることを前提として、「東アジアという環境のなかで日本=マカオ間の貿易関係の再構築」を試みる研究が必要だと述べる。そして、 東アジアで活動した海賊、商人、宣教師の区別は、それほどなかったことを指摘する。近世であるから曖昧であるのが当然であるにもかかわらず、排他的な近代 の国民国家のイメージで、これまで捉えてきたからだろう。著者は、「実際には東アジア海域ではそのような「公的関係」よりもむしろ、商人と宣教師たちが互 いの利害関係にもとづいて、相乗的に活動を展開したことこそが注目に値する」とし、「国籍上の分類ではポルトガル人であったとしても、その帰属意識は多種 多様であった点にも注意を要する」という。つまり、これまでの研究は、「「ポルトガル」という国家の名称と「ポルトガル人」というエスニシティが混同さ れ」、「マラッカ以東で活動したポルトガル人の私貿易集団や国家への帰属意識の薄い個人の活動も、安易に」「ポルトガルという「国家」のアジア進出」のな かに包摂してきたのである。

 本書は、3部8章(「第�部 一六世紀の東アジア海域とポルトガル人」3章、「第�部 南蛮貿易の資本」2章、「第�部 商人と宣教師」3章)からな る。それぞれの章には「はじめに」と「おわりに」があり、章の目的・課題が明記され、それに対応した結論・まとめがあってわかりやすい。ポルトガル、スペ イン、イタリア、インドの文書館に所蔵されている南欧語の原史料に基づいた考察は、説得力がある。惜しむらくは、巻末に史料一覧、参考文献目録がなく、地 図が1枚もないことだろう。

 本書によって、西欧中心史観やナショナル・ヒストリーという先入観から解放された近世東アジア海域史が、見えてきた。しかし、まだ文献からわかることか ら歴史像を構築しようとする基本は変わっていない。つぎの課題は、文献だけからではわからない海域史はなにかを考えることだろう。本書から垣間見えたよう に、東アジア海域で商業活動していたのは、ヨーロッパ人、中国人、日本人だけではない。しかも、「公的関係」だけではなく、さまざまな帰属意識をもつ人び とがいた。それぞれの海域で主導権を握っていたのは、これら陸域に活動の拠点をもっていた人たちばかりではなかった。「倭寇」だけではない海賊とも海商と も区別のつかない国籍不明あるいは無頓着な人びとが、南中国海にもインド洋にも、東南アジアの多島海にもいた。南蛮貿易は、西欧と極東アジアを結ぶさまざ まな人びとによって担われていた。これらの「見えない」人びとの存在を意識することによって、新たな世界史像があらわれてくることだろう。

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