2010年12月28日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月27日

『一七世紀科学革命』 ヘンリー,ジョン (みすず書房)

一七世紀科学革命 →bookwebで購入

 マクミラン社の「ヨーロッパ史入門」というシリーズの一冊である(邦訳はみすず書房から)。235ページあるが、本文150ページほどのコンパクトな本で80ページ以上が用語辞典、索引、300冊近い参考文献、訳者解説、日本語の参考文献にあてられている。

 入門書とあなどって読みはじめたが、見通しのよい明解な記述に舌を巻いた。

 科学革命の解説はまず自然の数学化をどう説明するかがポイントになるが、本書は科学革命以前の天文学はプラトンの流をくむ数学的部分と、アリスト テレスの流れをくむ自然学的部分からなる「混合学」だったと大づかみに把握した上で、プトレマイオスの周天円やエカントは実在ではなく、計算のための単な る補助線とみなされていたとつづける。

 プトレマイオスは観測される惑星運動を説明するために数学的なモデルを考案したが、その結果提案された仮設的構築物や作業仮説は、アリストテレス 主義的自然学とは整合性がないと考えられた。人々はプトレマイオスの体系をまるごと拒否してもよかっただろうが、実際にはうまくいく天文理論はプトレマイ オスのものしかなかった。有用なプトレマイオス天文学を使いつつも、同時に天界の本当の姿はアリストテレスの宇宙論に描かれているものに違いないと考える ことで、決着をはかるしかなかった。

 アリストテレス自然学とプトレマイオスの天動説は一体のものと見なすのが一般的なので、両者が調停不能な対立関係にあると言われてもぴんと来ないが、よくよく考えればアリストテレスの質的な説明とプトレマイオスの量的な説明は水と油である。

 オジアンダーは『天球回天論』出版の実務をまかされると地動説(太陽中心説)=計算の道具説をうたった序文を勝手につけくわえ、コペルニクスの支持者から猛反発を受けたが、計算のための道具という点ではプトレマイオス説も同じだったのだ。

 著者はさらに自然学と数学の対立は社会的身分にもおよんでいたと指摘する。自然学を研究するのが大学を出た知識人なのに対し、計算士や建築家、技師はただの数学職人と見なされていた。数学職人の社会的地位は科学革命によって床屋外科医や画家などとともに著しく向上した。

 数学的な自然把握が権威を持ちはじめると一つ問題が持ちあがった。アリストテレス自然学は自明の経験的命題から出発するのに対し、数学的命題は素 朴な日常的知識に反するものが多い。たとえばマイナスの数とマイナスの数をかけるとプラスの数になるとはどういうことなのか。数学は人工的な構築物であ り、限られた条件下でしか成りたたないのに、なぜ自然に適用できるのだろうか。

 数学的認識の確実性の問題にとりくんだのはカントであり哲学の問題として議論される傾向があるが、著者は哲学論議には向かわず、数学的認識を正当 化したのは実験だと指摘する。数学的モデルと一致する実験結果がえられたら、自然はその数学的構造をとっていると見なすわけである。実際、数学化された自 然科学の権威を確立したのは『純粋理性批判』よりも実験だったろう。

 マルクス主義歴史観が全盛だった頃は実験的手法は職人によって生みだされたとされていたが、今日では「職人」と見なされていた実験の担い手は実は 錬金術師だったり自然魔術師だったことが明かになっている。そもそも中世以来、実験は錬金術師や自然魔術師の独擅場であり、実験器具も彼らが考案し、改良 したものだった。

 科学革命の最大の達成であるニュートンの万有引力の発見も魔術とかかわっている。ニュートンが錬金術の研究に打ちこんでいたことはよく知られてい るが、科学的な研究にも物活論的や万物照応的な魔術的発想を背景にしていることが明かになっている。たとえば『光学』で白色光を七色のスペクトルに分解し たが、初期の草稿では七色ではなく五色にになっていた。最終的に青色と橙色をくわえて七色にしたのは音階と光のスペクトルを対応させるためだったという。

 万有引力の法則は機械的接触のない遠方に直接力が伝わるとしているので、同時代のデカルト派やライプニッツ派の学者からスコラ哲学の「隠された 力」の焼直しだと批判された。ニュートンは表向き、何故ではなく如何にを問うのが科学だとつっぱねたが、裏では魔術的思考にどっぷり浸かっていたことがわ かっている。

 著者は最終章でニュートンは実際は突破口を開いたにすぎず、力学はむしろ大陸系の学者によって築かれたと指摘している。ニュートンの虚像を作りあげたのは18世紀の啓蒙主義者であり、17世紀科学革命という概念そのものも18世紀啓蒙主義の産物だったとしている。

 本書は内容もすぐれているが、翻訳がひじょうに読みやすい。科学革命を知るための決定版といってよいだろう。

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2010年12月27日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月25日

『望遠鏡以前の天文学』 ウォーカー編 (恒星社厚生閣)

望遠鏡以前の天文学 →bookwebで購入

 天文学は望遠鏡の登場で大きく変わったが、本書は望遠鏡以前の天文学を17章にわけて通覧した論集である(邦訳版は13章)。副題に「古代からケ プラーまで」とあるが、ヨーロッパだけではなく、インド、イスラム圏、極東(中国・朝鮮・日本)、さらには邦訳では割愛されてはいるが、マヤ、アステカ、 アフリカ、大洋州(アボリジニー・ポリネシア・マオリ)、先史巨石文明時代のヨーロッパまでおさえている。この目配りのよさは大英帝国の遺産かもしれな い。

 執筆者も多岐にわたり、英米の大学や博物館に籍をおく天文学史、科学史、古典学、考古学の専門家が参加している。中には天文学を専攻したことのある投資家という肩書の人もいるが、趣味で研究をつづけているのだろうか。

 個別に見ていこう。

「エジプトの天文学」(ウェルズ)

 古代エジプト人は一年を365日とする暦を用いていたり、星の位置によってナイル河の氾濫の時期を予測するなど、高度な天文知識を有していたが、 その知識は神話とないまぜになっていた。古代エジプト人は天の川を裸の女神ヌウトに見立て、春分の日の日没地点と重なる双子座を口に、冬至の日に日出地点 と重なる白鳥座のデネブを産道の出口に擬していた。春分から冬至までは人間の妊娠期間にほぼ等しいことから、古代エジプト人は一陽来復を女神ヌウトの出産 と考えていたという。

 エジプト文明は長大なナイル河流域で発展したので北のデルタ地帯の上エジプトと南の溪谷地帯の下エジプトにわかれるが、暦も上エジプトの太陽太陰 暦と下エジプトの太陽恒星暦にわかれていた。上下エジプトが古王国時代に統一されると下エジプトの暦が上エジプトの暦の特徴をとりこみながらエジプト全土 に広まっていった。

「メソポタミアの天文学と占星術」(ブリトン&ウォーカー)

 牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座……という星占いでおなじみの十二星座はメソポタミアの先住民族、シュメール人の文化にさかのぼる。メソポタミアは天文学と占星術の揺籃の地だった。

 シュメール人を征服したバビロニア人は天体観測を引きつぎ、宗教上大きな存在だった月の運行を予想しようとした。曲線を折れ線で近似する概算法や 60進法はバビロニア人の遺産である。ギリシア天文学がメソポタミアの天文学から受けた影響は従来いわれていた以上のものがあるらしい。

「プトレマイオスとその先行者たち」(トゥーマー)

 古代ギリシアではポリスごとにばらばらの暦をもちいており、誤差も大きかった。遅くともBC6世紀にはメソポタミアの天文知識がはいってきていたが、暦の精緻化や統一といった実用的な方向には進まず、天球という透明な殻が入れ子になる宇宙モデルの構築の方に進んだ。

 ここで問題になるのは惑星の逆行現象だが、同心球理論で最初の答えをあたえたのがエウドクソスである(同心球理論はいろいろな説明を読んできたが 本書が一番わかりやすい)。同心球理論はどうパラメータをいじっても火星の逆行を説明できないそうで、周天円理論と離心円理論にとってかわられることにな る。

 エウドクソスの300年後、ニケア生まれのヒッパルコスが周天円理論と離心円理論を集大成した。彼はメソポタミアから生の観測データと数学モデル を手にいれ、太陽と月の大きさを計算した。彼はまた基本的な観測器具であるアストロラーブを発明し、天文計算を簡略化する三角表を作った。

 さらに300年後、プトレマイオスが『アルマゲスト』によってギリシア天文学を集大成する。プトレマイオス自身は『アルマゲスト』が決定版とは考 えておらず、後世の人々に修正されることを望んでいたというが、結果的に1500年にわたって崇められつづけ、ローマ教皇庁公認の宇宙モデルともなった。

「エトルリアとローマの天文学」(ポター)

 ローマ人は他の学問同様、天文学でもギリシアを踏襲しただけだったが、イタリア半島の先住民族であるエトルリア人の迷信好きの影響からか、占星術 になみなみならぬ関心を寄せるようになる。占星術師は「カルデア人」と呼ばれ、東方の密議宗教とともに流行し、ストア派にまでとりいれられるようになっ た。

 東方宗教の一つであるキリスト教が勝利をおさめると占星術は逆に排撃されるようになったが、学問としてプトレマイオスの体系を学ぶことは推奨された。

「ギリシア後期およびビザンツの天文学」(ジョウンズ)

 東地中海世界は1453年のコンスタンティノープル陥落までギリシア語が支配的だったが、古代末期からルネサンスにいたる1300年の間に知的中心はアレクサンドリアからコンスタンティノープルに移り、宗教は異教からキリスト教に交替した。

 『プトレマイオス表』と『簡易表』は古代末期に急速に普及したが、バビロニアの計算方式に完全にとってかわることはなかった。プトレマイオスは難しすぎたので簡単に使えるバビロニア方式との併用がつづいたのである。

 『アルマゲスト』を改良しようという動きはなかったが、注釈書や手引書は多数書かれた。中でも高い水準にあるのは新プラトン派のプロクロスによるものだという。

 ビザンチン帝国時代になるとヘラクレイオス帝が天文学の空白地帯だったコンスタンティノープルにアレクサンドリアのステファノスを招いた。ヘラク レイオス帝はコンスタンティノープルの緯度で使える『簡易表』の著者に擬せられているが、実際の著者はステファノスだったらしい。

 この後、偶像崇拝破壊運動などがあってコンスタンティノープルの天文学は途絶えるが、9世紀になってギリシア語の学問が復活する。パピルスの巻物で保存されて来た写本は長持する羊皮紙の冊子に書き写された。イスラム圏がギリシア語文献を貪欲に移入したのもこの頃である。

 11世紀になるとイスラム圏で独自に発展した天文学を輸入しようという動きがはじまり、『プトレマイオス表』とは異なる数値(ダマスクスでイスラ ム天文学者が観測した数値)が天文計算にあらわれるようになる。ビザンツ天文学はプトレマイオスの体系を発展させずにそのまま伝えたことに意義があるとさ れてきたが、後期には独自の展開が見られたことは特筆に値する。しかし第四回十字軍の略奪と1453年のコンスタンティノープル陥落でギリシア人学者とギ リシア語写本は西方に流出し、ビザンチン天文学は終幕をむかえる。

「紀元後千年間のヨーロッパの天文学:考古学的記録」(フィールド)

 本書は文献記録中心だが、本章は考古学的遺物として残っていたり絵画の中に描かれている天体観測器具をとりあげている。天球儀や日時計などだが、特筆すべきはオーパーツとして有名な「アンティキテラの機械」である。

 「アンティキテラの機械」とは1901年にアンティキテラ島沖の沈没船の中から引きあげられた青銅製の歯車装置である。あまりにも複雑かつ精巧に できていたので古代の遺物とはなかなか認められなかったが、1950年代になってX線写真で歯車と銘文が確認されて研究が本格化し、現在では天文計算をお こなうための機械式計算機だろうと推測されている。

「インドの天文学」(ピングリー)

 暦を改良する試みはヴェーダ時代からあったが、インドで天文学が本格的に研究されはじめるのはギリシアの植民都市経由でメソポタミア天文学と占星術が移入されてからである。占星術はインドに定着し、天文計算の必要からインド独自のサンスクリット天文学が発展した。

 さまざまな学派が興ったが、5世紀にアールヤバタという大天文学者があらわれ、アールヤ学派とアールダラートリカ学派という二つの学派を創始し た。アールヤ学派は南インドで栄えたが、アールダラートリカ学派はサーサーン朝ペルシアに伝わり初期イスラム天文学に多大な影響をあたえたという。

 19世紀末までは占星術師や暦製作者は伝統的なインド天文学の天文表を使いつづけたが、20世紀にはいると西洋から移入された近代天文学に変わっていった。

「イスラーム世界の天文学」(キング)

 近年、ヨーロッパ中心主義への反省からイスラム科学と、イスラム科学がルネサンスにあたえた影響が見直されているが、天文学史の世界でもイスラム 天文学に注目が集まっている。本章はわずか40ページの小編ながらイスラム天文学の濫觴から独自の発展、ヨーロッパに対する影響までコンパクトにまとめて いる。

 アラブ民族は砂漠の民なのでもともと天文に対する関心が深く、月の満ち欠けなど天文知識をもっており、『コーラン』にも太陽や月、星が言及されて いる。断食月のはじまりと終りも月の観測にもとづいている。イスラム帝国が成立すると、帝国の各地に残っていたヘレニズム天文学の遺産をとりこみ、しだい に独自の天文学が発展していった。

 最初にアラビア語の天文学書が作られたのはインドとアフガニスタンで、インド天文学にもとづくものと『アルマゲスト』にもとづくものがあった。


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kinokuniya shohyo 書評

2010年12月26日

『天文学の誕生』 三村太郎 (岩波科学ライブラリー)

天文学の誕生 →bookwebで購入

 いささか誤解をまねく題名である。副題に「イスラーム文化の役割」とあるので、天文学とはいっても近代天文学の誕生にイスラム文化がどう影響した のかを論じた本だろうと察しがつくが、近代天文学についてふれているのは最初と最後の章だけである。本書は天文学という切口からアッバース朝イスラム帝国 の王権と文化政策をさぐった本で、アッバース朝の本としては実におもしろく、一般書にはこうした内容の本は他にないのではないかと思う。

(イスラム天文学については『望遠鏡以前の天文学』の第8章が百科全書的にゆきとどいた説明をくわえている。本書はアッバース朝の文化政策に焦点を絞った内容なので、イスラム天文学全般が知りたかったら『望遠鏡以前の天文学』を読んだ方がいい。)

 ムハンマドの没後、イスラム共同体は「神の使徒の代理人」たるカリフが治めるようになるが、第四代カリフでムハンマドの娘婿のアリーが暗殺された 後、アリーと対立していたシリア総督ムアーウィヤが第五代カリフとなり、以後ウマイヤ家がカリフの地位を世襲するようになった。これがウマイヤ朝で、ギリ シャ語圏の行政システムを採用したためにメルキト派キリスト教徒が行政の中枢を占めた。一方、ムハンマドの血族であるアリーの子孫こそが正統のカリフであ るべきだと考える人々はシーア派を形成して対抗勢力となった。

 ウマイヤ朝イスラム帝国はイベリア半島からアフガニスタンまで急激に版図を広げたが、アラブ中心主義に偏して非アラビア人ムスリムに、ムスリムな ら課せられるはずのない人頭税や地税を課したために改宗被征服民族の間に不満が広がった。747年、ムハンマドの叔父であるアッバースの子孫がシーア派ペ ルシア勢力の支援を受けて蜂起し、749年、イラクのクーファでカリフに推戴された。これがアッバース朝である。

 アッバース朝は被征服民族、中でもペルシア民族の力を借りて成立した政権なのでサーサーン朝ペルシアの後継国家という性格を持たざるをえなくなっ た。サーサーン朝ペルシアはゾロアスター教を国教としていたが、ゾロアスター教ではすべての学問はゾロアスター教に由来するとしていたために、あらゆる書 物の収集・翻訳が国家事業としておこなわれていた。アッバース朝第二代カリフのマンスールはサーサーン朝に倣って翻訳事業をはじめたが(『アルマゲスト』 などの天文学書がアラビア語に翻訳された)、それだけでなくサーサーン朝で重んじられていた歴史占星術までも復活させた。

 歴史占星術とは外惑星の合という長い周期によって国家の行く末を占う占星術で、すべての惑星が牡羊座の0度で合となる43億2000万年の約数に あたる36万年を「世界年」としていた。ゾロアスター教では『アヴェスタ』の注釈書に世界誕生の瞬間のホロスコープが記載されるなど歴史占星術が重視され たが、マンスールの宮廷には占星術師が集められ、『カリフの即位と統治』や『宗教と王朝の書』など歴史を占星術的に解釈した書物があらわされた。

 マンスールの時代にはインドの天文学書である『シンドヒンド』が翻訳されるなど、インド天文学の導入も盛んだった。

 インド天文学はギリシア天文学を独自に発展させたものだったが、本書によるとインドにはいったのはヒッパルコスまでで、プトレマイオスははいって いなかった。球面三角法もなく、すべて平面三角法で解かれ、天文定数もヒッパルコス段階のものだった。インド天文学は『アルマゲスト』よりは遅れていたと いえるかもしれない。ではなぜ注目されたのか。

 本書はインド天文学が注目されたのはまず第一に実用的だったからだとする。算用数字で位取りで記述するインド式計算法は巨大な数字をあつかうので、位取りで記述するインド式計算法は圧倒的に有利であり、三角法もインドで現在の三角法に近いものに改良されていた。

(この条は『望遠鏡以前の天文学』の第8章の記述とズレがある。同書によると初期のズィージュはインド数字(アラビア数字のことをアラビア語圏では インド数字と呼ぶ)ではなくアラビア文字による記数法による60進法で記述されており、インドの三角法はもっと現代に近い形に作り直されたという。)

 イスラム圏ではインド天文学の形式に倣った実用的な天文学書があらわされ、ズィージュと呼ばれた。ズィージュにはインド天文学が知らなかったプト レマイオスの手法や定数をとりいれたものも出てきたが、それだけではなく、天文学の重点が計算からギリシア的な論証へと移っていった。

(本書だけを読むとズィージュはマンスールの宮廷ではじめて作られたと受けとりかねないが、『望遠鏡以前の天文学』によると、8世紀にはイスラム帝国の版図になったインドとアフガニスタンで多数のズィージュが編纂されていた。)

 ギリシア的な論証の重視はアッバース朝王権の要請だった。イスラム帝国は内部に多くのキリスト教徒やギリシア哲学を奉じる異教徒をかかえこんでい た。他方ではペルシア人が重きをなすようになっために、ペルシャ人の間に広まっていたマニ教が勢力を拡大していった。アッバース朝王権はギリシア的論証に 通じた彼らに対抗してイスラム教の教理を擁護する必要があった。特に危険なのは「二元論者」と呼ばれたマニ教だった。マニ教はグノーシス主義やゾロアス ター教の影響を受けて生まれた新しい宗教だったが、論理的に一貫しており、キリスト教の教父が多くの論駁書を書かねばならないほど教理問答に長けていた。

 アッバース朝の宮廷はギリシアの学問をおさめた知識人を顧問として招き、彼らの助言を通じて帝国内のさまざまな声を汲みあげたが、この統治システムはアッバース朝の後の政権でも踏襲されたという。

 最後の章ではイスラム天文学ではじまった『アルマゲスト』批判がコペルニクスに影響をあたえた可能性に言及しているが、史料が乏しいこともあって可能性にとどまっている。

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2010年12月25日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月24日

百年文庫30『影』 ロレンス 内田百� 永井龍男(ポプラ社)

『影』(百年文庫30) →bookwebで購入

「アンソロジーは名作を掘り起こすスコップである。」

好きな曲をセレクトして自作のコンピレーション・アルバムを作ることは音楽の世界ではよくおこなわれてきたが、それと同じことが文学の世界でも起きつつあ るらしい。気に入った短編小説を集めて私的なアンソロジーを組むのである。電子書籍のリーダーの登場が大きいだろう。紙の書籍をばらしてスキャンしリー ダーに入れれば簡単に編める。そのために書籍の背を裁断する商売が繁盛しているらしい。
 

紙の本が好きな私は、長旅でたくさんの本を持っていけないような状況にでもならないかぎり、電子書籍で文学を読むことはないと思うが、アンソロジー という考え方には惹かれる。編み直すことで埋もれていたものがよみがえったり、別の読み方が可能になったりということが、たしかにあるからだ。

本書もそうしたアンソロジーのひとつである。 D.H.ロレンス「菊の香り」、内田百�「とおぼえ」、永井龍男「冬の日」の3つが『影』というタイトルのもとに集められている。いちばん長いのはロレン スの「菊の香り」だが、手入りにくい点でもこれがいちばんだろう。あとの2編はいまも入手可能な文庫で読むことができるけれど、ロレンスの「菊の香り」が 入っていた文庫は絶版になっている。

「菊の香り」は、しっくりいっていなかった夫婦の夫のほうが死んでしまうという話だ。家に運び込まれてきた夫の遺体を見たとき、妻の中に湧いてきた モノローグがすごい。夫婦はもともと他人でしかない、というのはよく言われることだが、そういう世間一般の共通認識をこのように描いてみせるのが短編の凄 みなのだと圧倒された。

「菊の香り」はタイトルとしては地味である。また日本の読者には和風すぎてイギリスの炭鉱町とイメージがつながりにくいし、また筋にも直接関係がな い。だがこれが登場するのとしないのとでは作品の奥行きはまったくちがってくる。近距離で描かれていた事柄が、このタイトルを付けたことで普遍性を獲得し ている。短編には小道具が必要だが、どこにも咲いていそうな茶色い小菊のつんとくる香りが心憎いばかりに決まっている。

内田百�の「とおぼえ」はいかにも百�らしい怪談だ。最後の数行でするっと主客が入れ替わる。まだ夏の名残で生暖かな風の吹いている秋の宵、一休み しようと坂上の氷屋に入る。中はがらんとしてかき氷はなくて代わりにラムネを勧められ、それを飲みながら主人と話をする。知っている店ではない。見知らぬ 町を訪ねた帰りに立ち寄っただけなのだ。会話がちぐはぐで、その亀裂がしだいに開いて異界へ誘う。低周波の電波がピタッと合ってしまったような、めったに ないけれど身に覚えのある状況である。そう感じさせるところが百�の真骨頂なのだろう。

永井龍男の「冬の日」は年末になると無性に読みたくなる作品である。庭で仕事する畳屋親子、張替えた畳のにおい、砂糖醤油をつけて焼いた切り餅、年 越し蕎麦……。年の瀬独特の風情が描き込まれ、乾いた空気のにおいすら漂ってくる。その大晦日の慌ただしさをまとめ上げているのが元旦の夕陽である。朝陽 ではなく冬枯れの枝越しに見える夕陽であるのにふいをつかれてページから目をあげる。煮えたぎるような夕陽の赤に引き寄せられる主人公の登利の姿が瞼を離 れない。情欲を夕陽に重ねて生命力として表現しているのが見事だ。

アンソロジーの魅力は、こんな作家がいたのか、この人がこういう作品も書いていたのか、という驚きを与えてくれることだろう。たとえばロレンスとい えばだれもが思い浮かべるのは『チャタレー夫人の恋人』で、それを読んでいる人は多いと思うが、短編にまで手を伸ばしている人は少ないだろう。事実、私は 今回はじめて読んでちょっと衝撃を受け、もっと読みたいという気になっている。

内田百�は現代でもファンは多いし、読み継がれている作家だと思うが、永井龍男はどうだろう。あまり知られていないのではないか。ロレンスの『チャ タレー夫人の恋人』のように、あの作家と言えばこれというような代表作がない場合、いい作品を書いていても人の記憶に残りにくいのである。アンソロジーは そうした名作を掘り起こすスコップのような役割を果たしてくれるだろう。本の出版点数が増えて巨大な森と化している昨今、好きな作家に出会うための道しる べとしても機能する。

『影』は「百年文庫」という短編のアンソロジー・シリーズのなかの1冊で、漢字一文字のタイトルの付いた100冊から成っている。2010年秋から 刊行がはじまり、いま半分ほどが出版されたところだ。通勤電車のなかで一冊読めるほどの薄手の本だが、手にしっくりと馴染む装丁が美しい。思わず人に贈り たくなるような雰囲気もあって、だれにどれをプレゼントしようと考えるのもなかなか愉しいのである。


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2010年12月22日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月21日

『幼女と煙草』ブノワ・デュトゥールトゥル(早川書房)

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「フランス風ブラックユーモア」

 イギリス人のブラックユーモア好きは有名だ。かつてダイアナ妃が交通事故で亡くなった時に、同僚が尋ねた。「ダイアナ妃が最後に食べたデザートは何だか 知っているかい?」私が分からないと言うと、「タルトタタンだよ」と言った。私が首を傾げていると「タルト・ランヴェルセ、さ」と付け加えた。それで意味 が分った。

タルトタタンはアップルパイを間違ってひっくり返して出来たという説がある。そして別名タルト・ランヴェルセ(Tarte renversée)とも言う。Renverserはフランス語で「ひっくり返す」と言う意味だ。だが、もう一つ「車で人を轢く」という意味がある。その 形容詞形なので、意味は「車に轢かれた」……何とも不謹慎な話だが、この同僚が英領北アイルランド出身だと言うと、でき過ぎだろうか。

しかし、ブノワ・デュトゥールトゥルの『幼女と煙草』を読むと、ブラックユーモアに関し、フランス人もなかなかイギリス人に引けを取らないと感じる。冒頭 は一人の死刑囚デジレ・ジョンソンが処刑前の最後の希望を述べる所から始まる。それは一服の煙草だ。これが大問題となる。なぜなら刑務所は完全禁煙であ り、煙感知センサーまでついているからだ。だが法律では「死刑囚は、刑の執行前に、習慣に適った最後の望みを果たす事が許されて」いる。

ベトナム系の所長(舞台はパリがイメージされているが、現在フランスは死刑を廃止している)は困惑し、処刑寸前に最高裁に判断を求める事になる。結局最後 の一服が許可され、タバコ会社や無能弁護士がからんでくるが、何とジョンソンは処刑前に花を摘み「人生バンザイ」をテレビの視聴者にメッセージを送る。こ れがきっかけとなって、ジョンソンは大統領恩赦を得て、一躍英雄になる。

 ここまでだと、単なるフランス的ドタバタ劇の様を呈するが、それと並行して恐ろしい話が進んでいく。主人公は市役所に勤めているが、バスの中で子供たち の傍若無人ぶりに怒りを感じる。しかし、他の人は子供たちを優しげに見守る。微妙な違和感があるのだが、それが次第に明らかになる。この社会は子供を過度 に保護し、全ての権利を与えているのだ。市役所内でも、子供が遊んでいれば邪魔をしてはいけない。
 
主人公はささやかな反抗として、市役所内のトイレの個室でこっそりとタバコを吸う習慣がある。子供たちのために役所も全面禁煙となっているのだ(フランス は2008年1月からレストラン、カフェ、公共施設等で禁煙を実施している)。だがこれが彼の運命を決定付ける。タバコを吸っている所を5歳の女の子に目 撃され、彼女を叱ったために、とんでもない事になっていく。ジョンソンの話と主人公とが繋がるのは、同じ弁護士を通じてだ。だが、この弁護士が登場する辺 りから、話は完璧に不条理劇となっていく。

  主人公の主張は捻じ曲げられ有罪となり、テロリスト集団が人質を取り「殉教者(マルティール)アカデミー」(もちろんこれはスターアカデミーの風刺であ る)を始め、作品はおぞましい大団円へと一気に登りつめていく。カミュの『異邦人』のムルソーやカフカの『審判』のKの姿が目に浮かぶ。

 最後は決して笑えないのだが、どこか不気味な滑稽さが残る。毒は毒でも甘い毒なのである。現代社会の風刺などという常套句では捉えられない面白さを持っ ている。読む人によって違うものを見つけ出すかもしれない。その辺りが「巧み」な作家のようだ。何せ主人公の飼っている犬の名前が「サルコ」なのだから (フランスの現大統領サルコジの親称)。


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kinokuniya shohyo 書評

2010年12月21日

『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』岡美穂子(東京大学出版会)

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 東アジア海域を舞台として、近世世界史がようやく見えはじめてきている。本書を読み終えて、最初にそう思った。西欧中心史観としての「大航海時代」と日 本のナショナル・ヒストリーとしての「南蛮貿易」は、それぞれそれなりに研究蓄積がありながら、「世界史」がなかなか見えてこなかった。その謎を解く鍵 が、本書から垣間見えた。

 本書は8章からなり、多くの章はもととなる論文があるが、論文集ではない。「序章 世界史における南蛮貿易の位置」と「終章 聖と俗が交錯する南蛮貿易 の終点」が新たに書き加えられることによって、ひとつのまとまりのある単行本になっている。最近の博士論文のなかには、序章も終章もなく、脈略のわからな い論文が数本ならんだだけというものがあるが、単行本として出版されるときは、こうあってほしい。

 本書の目的は、「序章」冒頭で、つぎのように述べられている。「一六世紀後半から一七世紀前半にかけてのポルトガル人の東アジア海域における活動を、 「ヨーロッパの拡張」という視点からいったん切り離し、「東アジア海域世界」に参入してきた一勢力として観察することで、彼らがこの海域でどのような影響 を受けて変容し、また彼らの存在によってこの海域にいかなる変化が生じたのかを探ることにある」。

 著者、岡美穂子は、「序章」「第一節 問題提起−「南蛮人」の帰属意識」で、まずスペインとポルトガルを「イベリア両国」という語で、十把一絡げにする なという。スペインは最初から領土拡張を重視し、ポルトガルは貿易を重視して、それぞれが根拠地としたマニラとマカオはまったく異なる存在形態であった。 また、最新の研究成果から、アジア間貿易の担い手であったポルトガル人の多くは改宗ユダヤ人で、血縁に基づく商業ネットワークを築いていたと指摘してい る。すなわち国を追われたこれらのポルトガル人に、国家を背負っているという意識はそれほどなかった。

 つぎに、「第二節 本書の構成と諸課題」で、南蛮貿易の研究は、ヨーロッパから極東アジアまでの広大な地域の歴史認識と、経済史、キリスト教史などの諸 々の幅広い知識が要求されることを前提として、「東アジアという環境のなかで日本=マカオ間の貿易関係の再構築」を試みる研究が必要だと述べる。そして、 東アジアで活動した海賊、商人、宣教師の区別は、それほどなかったことを指摘する。近世であるから曖昧であるのが当然であるにもかかわらず、排他的な近代 の国民国家のイメージで、これまで捉えてきたからだろう。著者は、「実際には東アジア海域ではそのような「公的関係」よりもむしろ、商人と宣教師たちが互 いの利害関係にもとづいて、相乗的に活動を展開したことこそが注目に値する」とし、「国籍上の分類ではポルトガル人であったとしても、その帰属意識は多種 多様であった点にも注意を要する」という。つまり、これまでの研究は、「「ポルトガル」という国家の名称と「ポルトガル人」というエスニシティが混同さ れ」、「マラッカ以東で活動したポルトガル人の私貿易集団や国家への帰属意識の薄い個人の活動も、安易に」「ポルトガルという「国家」のアジア進出」のな かに包摂してきたのである。

 本書は、3部8章(「第�部 一六世紀の東アジア海域とポルトガル人」3章、「第�部 南蛮貿易の資本」2章、「第�部 商人と宣教師」3章)からな る。それぞれの章には「はじめに」と「おわりに」があり、章の目的・課題が明記され、それに対応した結論・まとめがあってわかりやすい。ポルトガル、スペ イン、イタリア、インドの文書館に所蔵されている南欧語の原史料に基づいた考察は、説得力がある。惜しむらくは、巻末に史料一覧、参考文献目録がなく、地 図が1枚もないことだろう。

 本書によって、西欧中心史観やナショナル・ヒストリーという先入観から解放された近世東アジア海域史が、見えてきた。しかし、まだ文献からわかることか ら歴史像を構築しようとする基本は変わっていない。つぎの課題は、文献だけからではわからない海域史はなにかを考えることだろう。本書から垣間見えたよう に、東アジア海域で商業活動していたのは、ヨーロッパ人、中国人、日本人だけではない。しかも、「公的関係」だけではなく、さまざまな帰属意識をもつ人び とがいた。それぞれの海域で主導権を握っていたのは、これら陸域に活動の拠点をもっていた人たちばかりではなかった。「倭寇」だけではない海賊とも海商と も区別のつかない国籍不明あるいは無頓着な人びとが、南中国海にもインド洋にも、東南アジアの多島海にもいた。南蛮貿易は、西欧と極東アジアを結ぶさまざ まな人びとによって担われていた。これらの「見えない」人びとの存在を意識することによって、新たな世界史像があらわれてくることだろう。

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kinokuniya shohyo 書評

2010年12月21日

『倍音』中村明一(春秋社)

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「音・ことば・身体の文化誌」

2006年7月のブログで紹介した『「密息」で身体が変わる』の 著者、中村明一が新著『倍音』を上梓した。人間同士のコミュニケーション手段として欠かすことのできない「音」の倍音構成をもとに考察された文化論が展開 されている…──と紹介すると、堅苦しい印象になってしまうが、そうではない。本書は日本と西欧の文化の違いを「倍音」というユニークな視点からとらえ た、とても新鮮で読みやすい本である。著者は国際的に活躍中の尺八奏者だが、尺八という純日本的な楽器に習熟しているからこそ感づいたことに違いない。そ れを単なる感覚・感想として放置せず、誰もが納得できるような論理的検証を伴った形でまとめあげたのだ。

倍音とは自然界に存在するほとんどすべての音に含まれている成分だ。高周波の、平たく言えば「高い音」である。倍音の発生源となる音は「基音」と呼ばれ る。機械を使えば基音のみの音を作るのは簡単だが、情緒のかけらもない無粋な響きで、いわゆる「コンピューターで合成した音」そのものだ。基音を軸にして 発生する倍音の中には、あまりに高くて人間の聴覚では聞きとれないものも多々あるが、最近の研究では「たとえ耳では聞こえなくても肌で感じている」とい う。CDをはじめ音がデジタル処理されるようになってから、この「聞こえない倍音」は人為的にカットされるようになったが、その影響は思ったより大きいの かも知れない。

倍音の高さ、配分、強さなどによって「音色」が劇的に変化する。そしてまた「人の心に訴える力」も変わるのだ。この倍音には「整次数倍音」と「非整次数倍 音」があり、中でも「非整次数倍音」の多寡が人の感覚に大きな影響を及ぼしているのだそうだ。一般的には「さしすせそ系」の、たとえばシャーシャーとか シューシューなどといった音に、より多くの非整次数倍音が含まれている。これこそが日本の文化には欠かせない"きも"なのだ。風の音や小川のせせらぎ、虫 の鳴き声などに独特の風情を感じとってきた日本人の感性は、同じ要素を楽器に、そして音楽にも求めてきた。他方、西洋音楽の響きは整次数倍音が中心となっ ているのだそうだ。本来の日本人の琴線には触れにくい、なじみの薄いものだったのだ。

どちらが良い、悪い、あるいは優れている、劣っている、という比較をするのではない。倍音が人の感覚や感情にどのような影響を及ぼすか、どんな印象となる かが、楽器のみならず森進一や美空ひばりなどの声も引き合いにわかりやすく説明されている。響きにくく、反射の少ない日本の音響環境、そしてそこに育った 日本の音楽と、教会の中のように残響の多さが特徴の西欧の音響環境とそこに育った音楽とは、根本的に方向が違うものだったのだ。そこに気がつくことによっ て、今までないがしろにされてきた日本の伝統音楽にもっと興味を持つ人が増えるのであれば、何よりも喜ばしい。

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2010年12月15日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年12月15日

『共視論 — 母子像の心理学』北山修編(講談社)

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「重なる視線が意味するもの」

 いきなり「共視論」などと言われても何のことか想像がつかない。まるで�一見さんお断り�みたいなタイトルである。しかし、このテーマ、かなりの注目株 ではないかと筆者は思っている。その可能性と広がりはなかなかのものだ。この論集では執筆者の中心は精神医学や心理学の専門家だが、今後もっと広い領域に 影響を及ぼしてもおかしくないと思う。

 そもそも「共視」とは何か。発達心理学にはjoint attention(直訳すると「共同注視」とか「共同注意」)という概念がある。ふたりがともにひとつの対象に目をやる行為のことである。このような行 為をわざわざ概念化するのは、このジョイント・アテンションの発生が幼児の発達の中ではとても意義深いことと考えられているからである。誰かとともにひと つの対象をながめるようになることは、幼児の心において�画期�を成す。それは幼児が他者の意図や心的状態を読み取り始めた証拠だからである。

 この論集の編者・北山修は、このジョイント・アテンションという先行概念をもとに「共視」という語を造った。わざわざ新しい言葉をあてたのは、よ り広い文化学のコンテクストに打って出るためである。きっかけとなったのは浮世絵だった。北山は膨大な浮世絵のコレクションを調査してきたが、その中から 母子像だけを取り出して分類すると、ある構図が繰り返し現れることに気づく。母と子がともにひとつの対象を眺めるという図が非常に多いのである。たとえば 母とその胸に抱かれた幼児とが、かざした傘に向けて視線をやる歌麿の「風流七小町 雨乞」のように。そこで北山は考えた。こうして子供が母の視線を追いな がら母と対象を共有し、その中から言語を習得したり、思考のパタンを学んだりする、そのプロセスが浮世絵には雄弁に表現されているのではないか、と。(第 1章 北山修「共視母子像からの問いかけ」)

 しかし、このような着眼はきっかけにすぎない。「母子関係が媒介物を橋渡しにして開かれていく」という認識を出発点においてみると、「共に眺め る」という行為が情緒的・身体的な交流でも非常に重要な意味を持っていることに考えが及ぶ。たとえば「面白い」という感覚。一説には、この語は火を囲みな がらひとつの話題に引きこまれている人々の顔が、白く映えることに由来するのだという。interestingという感覚の基底には「共に眺める」という 身振りがあるということである。(20)

 出発点が浮世絵ということにも表れているように、本書は、文化現象や症例を具体的な図版やイメージと結びつけて語る点に特徴がある。とりあげられ る材料としては浮世絵、とくに母子像が多いのだが、ほかにも印象的だったものとして、やまだようこによる小津安二郎の『東京物語』の分析があった(第三章 「共に見ること語ること — 並ぶ関係と三項関係」)。映画では、尾道から東京に出てきた老夫婦が、子供たちに歓待されるどころかむしろ厄介者扱いされ、 体よく熱海の旅館に追い払われるという筋書きになっている。老夫婦はその宿屋でも騒音のために寝つけず、浴衣のまま海外に出て行って海を前にならんで腰を おろす。有名な場面である。

とみ 京子ァどうしとるでしょうなァ……?
周吉 ウーム……。そろそろ帰ろうか。
とみ お父さん、もう帰りたいんじゃないですか?
周吉 いやァ、お前じゃよ。お前が帰りたいんじゃろ。
周吉 東京も見たし、熱海も見たし——。
周吉 もう帰るか。
とみ そうですなァ。帰りますか。(85)

ふたりが並んで堤防にすわって海をながめている。まさに「共視」の場面だ。だから、その�視線�にもいろいろな意味が読み込めるのだが、やまだはこ こでの�言葉�にも注目する。この会話、まるで二人が輪唱しているようではないか、と言うのである。「かさね」の語りになっているのだ。

「そろそろ帰ろうか」「もう帰りたいんじゃないですか?」「お前が帰りたいんじゃろ」「もう帰るか」「帰りますか」というよう に、「カエル」「カエル」「カエル」「カエル」「カエル」 が、微妙にズレを含んでくりかえされる「カエル・コール」が交わされているのである。どちらがこのことばを発してもいいほど、自己と他者のことばが、共鳴 的にうたうようにリフレインされ、ひびきあっている。(86)

このような考察は、一般のテクスト分析を行う者にも大きな示唆を与えてくれると思う。

私はこのような「かさねの語り」を、主体と客体が対面的に対峙してやりとりする「対話的語り」と区別して、「共存的語り」と名づ けた。対話的語りは、バフチンが理論化したように、自己の声と他者の声は対峙して闘い、「とるか、とられるか」という闘争のアリーナでおこなわれる。共存 的語りでは、二人の主体が並ぶ関係に立ち、自己と他者の声は相互主体的で共鳴的に重ねられ、ズレのあるくりかえしをおこなうことで会話が推移してい く。(86)

やまだのいう「共存的」な語りのことさらな出現は、たとえば『東京物語』のような作品の何とも言えない�変な感じ�のおもしろさを説明してくれるだ ろう。とともに、このような共存的な語りがもっと目立たない形で広く一般の語りの中でもこっそり機能しているのではないかと仮定してみたくもなる。筆者の 友人は電車の中での30代女性の「そうそう合戦」に注目し、「あの人たちは、一方で�そうそう�と相手の話に勢いよく相づちを打っているようでいながら、 実は一切相手の話を聞かずに自分の話だけしているようなのだ!」と感動していたが、こんなところにも「共存的語り」の一変形が見られるかもしれない。

 この本の構成は実にヴァラエティに富んでいる。すでにとりあげたもの以外にも、以下のような切り口がある——江戸の劇場文化(田中優子)、発達心 理学(遠藤利彦)、知覚心理学(三浦佳世)、社会心理学(山口裕幸)、精神病理(黒木俊秀)、育児文化(中村俊哉)。こうして異なるアプローチをならべる ことで、「共視」という話題に無理に枠をはめるより柔軟な広がりを持たせることを狙ったのだろう。それが成功していると思う。

 ここまででとりあげきれなかった章にも、「共視」にかかわりそうな、しかし、同時に別の関連領域にも踏みこんでいるような興味深い指摘がたくさん あった。たとえば脳にある種の欠損を負った患者の話(第七章 遠藤利彦「まなざしの精神病理」)。この患者はなぜか他者の感情のうち、�恐怖�だけが読み 取れなくなった。その原因をさぐっていくと、どうやら相手の�まなざし�のとらえ方が関係していたという。この患者は、他者の視線に注意を向けることが出 来なくなっていたのである。これは「まなざしにかかわる精神病理学的な現象が、ほとんどの場合、他者との関係性における不安や恐怖を反映してい る」(185)という指摘と合わせて考えてみると、なかなか意味深い事例である。浮世絵母子像の「共視」なら、焦点のあたるのは慈愛とか保護といったテー マだが、視線は恐ろしいものともなりうる。「正視恐怖」という症例があることからもわかるように、こちらを脅かすものとしても視線は機能するのだ。そのよ うな機能が「共視」と表裏になる形で働いているのだとすると、いろいろ考えてみたくなることが出てきそうだ。…と、こんなふうに�ゲームの場所�を広げる 窓口として、「共視」のこれからには大いに期待できそうな気がする。


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2010年12月12日日曜日

asahi shohyo 書評

「本音の声を伝える勇気を」 現代詩花椿賞・有働薫さん

2010年12月12日

写真:詩人の有働薫さん拡大詩人の有働薫さん

表紙画像著者:有働 薫  出版社:思潮社 価格:¥ 2,310


 第28回現代詩花椿賞の贈賞式が東京都内であり、詩集『幻影の足』(思 潮社)で受賞した有働薫さんがあいさつした。現実と幻想のあわいの世界を巧みに描き、71年の人生が陰影豊かに浮かびあがる。30代半ばで詩作を始め、 48歳で第1詩集を刊行。仏現代詩の翻訳者でもある。「この初受賞は生涯最大のビッグイベント。この1週間、賞に値する才能のある詩人なのだと自己暗示を かけて過ごした」と心境を語った。

 「私は終戦の年に小学1年生。戦後の混乱期でも、子供にとっては外側からの拘束がゆるい自由な時代だった。

自分が何をしたいのか、希望をもって問い、自己の精神を肥やすことができた。私たちの世代のそんな恵まれ方を今まできちんと伝えてきたのか、気にかかっている。考えを口に出さぬ気質は抜けないが、本音の声を伝える勇気を持つことこそ、自分が今するべき唯一のことではないか」(白石明彦)

表紙画像

幻影の足

著者:有働 薫

出版社:思潮社   価格:¥ 2,310

asahi shohyo 書評

低成長で「正義」に関心 日米研究者に影響したロールズ

2010年12月12日

表紙画像著者:ジョン・ロールズ  出版社:紀伊國屋書店 価格:¥ 7,875


 ジョン・ロールズ『正義論』は71年の刊行以降、米国や日本でどのように受容されたのか。ベトナム反戦運動や黒人解放運動が続いた米国では広く読まれ、72年末のニューヨーク・タイムズ書評新聞では、5大重要単行本の一冊にも選ばれた。

 東大の井上達夫教授(法哲学)によると、発表時の米国思想界は、「『正義とは何か』といった価値は各人の感情や信念に依存する相対的なもの」とする価値相対主義が支配的だったが、『正義論』は「規範的に正義の原理を唱え、理論的に擁護しようという議論を復活させた」。

 政治学は実証分析重視、政治理論は過去の思想家の学説解釈が中心だった当時の日本の研究者の間でも、現実の社会問題をとりあげて規範的議論を唱えることがさかんになったという。

 しかし、日本社会では、先の大戦への反省や「正義」を振りかざす米国への反発からか、あまり「正義」の論議は高まってこなかった。サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)がベストセラーになり、「正義」への関心が急上昇したのはなぜだろう。

 井上教授は、格差社会の広がりが、「正義」論を呼び寄せたと見る。「低成長の経済的利益をどう配分するかという分配的正義に関心が高まるなか、教授が講義で示した倫理的葛藤を直視し、熟議する姿勢が、『正義』が含む独善的な負のイメージを少しは払ったからではないか」

表紙画像

正義論

著者:ジョン・ロールズ

出版社:紀伊國屋書店   価格:¥ 7,875

表紙画像

これからの「正義」の話をしよう——いまを生き延びるための哲学

著者:マイケル・サンデル・Michael J. Sandel

出版社:早川書房   価格:¥ 2,415

2010年12月10日金曜日

asahi shohyo 書評

ききみみ図鑑 [作]宮田紘次

[評者]南信長(マンガ解説者)

[掲載]2010年12月5日

表紙画像著者:宮田 紘次  出版社:エンターブレイン 価格:¥ 651


■広がる音の世界、五感が共振

 紙に描かれたマンガからは音が出ない。が、だから音の世界を表現できないかといえば、そんなことはない。むしろ音が出ないからこそ、実際に音の出るメディアより豊かな音像を結ばせることも可能。その好例が本書である。

 音楽が目に見える少年の屈託と解放を描いた「視(み)える音」、ある"歌姫"の数奇な運命をつづった「奪われた歌」、セリフも 擬音もまったく使わず生命の鼓動を感じさせる「始まりのリズム」、お嬢様学校の伝統的あいさつをめぐる物語「秘密の合言葉」、瀕死(ひんし)の床にある曽 祖父のお見舞いに行った少女の心理を描く「空っぽの音」など、全8話+番外編を収録。音をテーマにしている点は全編共通だが、それぞれに趣向を凝らした多 彩な設定で飽きさせない。

 さらに見事なのは、音そのものの"見せ方"である。少女がかき鳴らすエレキギターの響き、古代の楽器の妙(たえ)なる調べ、水 滴が落ちて跳ねる音、電話越しの見知らぬ女性の声、病床から聞こえる呼吸音……。それらが視覚情報として入力されながら、脳内には鮮明な音の世界が広が る。まさに音が見えるというか、艶(つや)やかな情景描写や登場人物たちの表情、情緒豊かな物語に想像力が刺激され、五感が共振し始めるのだ。

 これが初連載の作者だが、闊達(かったつ)で色気あるタッチ、過度に説明しない巧みな語り口には貫禄すら漂う。一方で、音のシャワーを浴びたかのような読後感は新鮮。マンガならではの快楽がここにある。

    ◇

 初出は「月刊コミックビーム」ほか

表紙画像

ききみみ図鑑 (ビームコミックス)

著者:宮田 紘次

出版社:エンターブレイン   価格:¥ 651

2010年12月8日水曜日

asahi shohyo 書評

ゴーレムの生命論 [著]金森修

[評者]田中貴子(甲南大学教授・日本文学)

[掲載]2010年12月5日

表紙画像著者:金森 修  出版社:平凡社 価格:¥ 777


■人工生命体、なぜ「怪物」化される

  歌人・西行が死体の骨の片々を集めて「人」を造った、という話が中世の説話集『撰集抄(せんじゅうしょう)』にある。しかし、秘法を駆使して造った「人」 は風流を解さず、言語を持たない「もの」として誕生した。困惑した西行は、それを高野山の奥に放置したまま都に帰ってしまうのである。

 もちろん事実ではない。しかしこの説話には、本書で扱われているゴーレムという人造人間をめぐる問題と重なり合う要素が見られる。それは、人間が人工生命体を造ることにかかわって否応(いやおう)なく発生する諸問題だ。

 ゴーレムとは、ユダヤ教の秘法を究めた者が土から造り出すことのできる人工生命体である。しかし、ゴーレムは言語行為をもとか ら欠いており、また、「魂」がないとされている。この二つの特徴は前述の西行の造った「人」と似ており、人工生命体と人間との間に横たわる大きな差異とし て描かれている。

 人工生命体はこのように「人間未満」の存在として「怪物」化されてゆくが、それは、人が自然に反して生命を創造することへの警 告を表す、と著者は言う。たしかに、聖書の人類創造になじみのない者でも、人為的な生命の発生には、驚嘆とともに一種のおののきを感じることがあるだろ う。たとえばクローン生命体の創造や、人間の胚(はい)性幹細胞であるES細胞を使用する実験に対する倫理的な批判は今でも存在する通りである。

 そして、創造した生命体に「魂」があるのか、という議論もある。ゴーレムは最後に土に還(かえ)るが、外見が人間そっくりの 「もの」の生死を人が決定してよいのか。著者はこうした問いに明確な答えを出すことはしないが、ゴーレムに代表されるものたちの問題系を、ホフマンの「砂 男」から映画「エイリアン4」に至る豊富な例を取り上げることで提示しようとする。

 もとより評者も諸問題に答えを出せるものではないが、著者のやや迂遠(うえん)に見える論述のなかには、これからなされるべき議論の素(もと)がちりばめられており、読者に思考を迫るものとなっていると感じた。生命の神秘に関心ある方は一読されたい。

    ◇

 かなもり・おさむ 54年生まれ。東京大学教授(フランス哲学、科学思想史など)。

表紙画像

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

著者:金森 修

出版社:平凡社   価格:¥ 777