2013年5月1日水曜日

asahi shohyo 書評

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち [著]内田樹

[評者]大貫妙子(シンガー・ソングライター)

[掲載] 2013年04月26日

表紙画像 著者:内田樹  出版社:講談社 価格:¥ 1,470

■現代社会の再構築に必要な「身体的実感」

 タイトルを見ただけで、気持ちが滅入(めい)る本である。
 私は子どもを育てた経験がないので、今の教育現場や子どもたちの声に接する機会はほとんどない。でも若い世代にとって、今の時代が私の育った頃からくらべると過酷であろうことは想像できる。
  本書は、佐藤学さんの『「学び」から逃走する子どもたち』、諏訪哲二さんの『オレ様化する子どもたち』、苅谷剛彦さんの『階層化日本と教育危機 不平等再 生産から意欲格差社会へ』、山田昌弘さんの『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』から示唆を受けた哲学者の内田樹さんが、教育と労働の現 場での子どもたちや若者たちに見られる、学ばないこと、働かないことをよしとする「理解しがたい趨向(すうこう)」を考察し、まとめたものだ。
  「プロ教師の会」代表の諏訪さんは、1980年から90年代にかけて、日本の学校の様子ががらりと変わってしまった、と言う。たとえば、授業中に教師が 「私語をやめなさい」と注意すると、「うるせえな、聴いてるよ」と振り返り、「なんで聴いてるのに注意するんだよ」と噛(か)みつく。教師が「だって私語 しているじゃないか」と重ねて問うと、生徒はあくまで「聴いている」と言い張る。
 生徒がトイレで煙草(たばこ)を吸っている。それを教師が見咎(とが)め、「こら、煙草吸っただろ」とただすと、煙草をもみ消しながら「吸ってねえよ」。目の前で吸っていたのに「吸ってない」と強弁するのである。
  昔の不良少年は、悪いことをしたという自覚があった。今や、教師も生徒自身もその事実を現認しているにもかかわらず、事実そのものを「そのようなことはな かった」と平然と否認する。そういうエクスキューズの仕方が、ある時期を境に全国的になり、最近はその傾向がもっと年長の世代、80年代に高校生だった諸 君にまで広がっているのだという。
 よくニュースで不祥事を起こした企業の責任者が釈明するシーンを目にするが、たいてい最初は「訴状を見ていないのでコメントできません」と木で鼻をくくったような返答をする。告訴を受けても、最初のうちは「そのような事実があるとは聞いていない」と突っぱねる。
 内田さんはその背景を探る。おそらく、彼らは子どもの頃から、どんなに動かぬ証拠を示されても、とりあえず「やってねえよ」と突っぱねるところから交渉を始めるということを習慣としてきたので、それ以外の対応ができなくなってしまったのではないか、と。
     *
  家族関係にも目を向ける。戦後60年、日本の家族にとって、父親が働いて家計を支えているという実感は希薄になった。今や妻が夫に示す最大の奉仕は「夫の 存在それ自体に耐えていること」であり、家族中で誰がもっとも家の財産づくりに貢献しているのかという測定は、「誰がもっとも不機嫌であるか」に基づくの だという。
 なんとも、これが現代日本の家庭の基本ルールなのだ。内田さんが言う。現代の日本人が、「私は不快に耐えている人間」であり、あなた は「私を不快にさせている人間である」という被害—加害のスキームを瞬間的に作り上げようとする能力を異常に発達させつつある。そのことに誰もがだいぶ前 から気づいている、と。
 たしかに、過密都市には不快が充満している。私が本書をがんばって読んだ理由のひとつは、そういう今の社会の現実を、言葉として知りたかったから。不快な海の中を漂っているのではなく、そこで何が起こっているのかを言葉できちんと整理し捉えることが大切なのだ。
     *
  内田さんとは以前お会いしたことがあり、武道の話で意気投合した。「体軸」をつくるということが大切なのだ、と。車を運転していて交差点で止まると、私は いつも舗道を渡っていく人を見る。とにかく姿勢が悪い。「姿勢」とは生きることに繋(つな)がり、人の気力を支えるもの。姿勢を正せば、気力は満ちるので ある。
 そこで、もうひとつ現代社会が忘れ、あるいは置き去りにしているものの中に「育む」がある。それは手間も体力も時間もいることだけれど、内田さんや私の世代には「育まれた」という実感がある。その身体的な「実感」はとても幸せなものだ。
  内田さんは本書を出した時点(2007年)で、こう期待していた。収益、株価、財産、格付けといった「数値や記号」ではなく、「温かく、持ち重りのするた しかな身体実感」の上に社会関係を再構築しようとする志向が、新しい兆候としてある。この潮目の変化が、蔓延(まんえん)するグローバリズムに対する健全 な「揺り戻し」として、今後の日本社会の地殻変動的な変化をもたらす。それを見守りたい、と。
 だが、そういう間に本当の地殻変動が起きた。いよ いよ「下流志向」をもたらした現代社会からの「揺り戻し」が加速するかと期待したのだけれど、どうもそう簡単なことではなさそうだ。今の社会で起きている ことを知りたい方は本書をぜひ読んでほしい。示唆に富む本であることは間違いない。
     *
 最後にひとつ、本書に出てくるような、学ばないこと、働かないことを肯定する若者とは違う若者を紹介しておきたい。
 身近な例だけれど、私の親友(男性)は男手ひとつで子ども3人を育てたが、まだ子どもが幼い頃に「おとうさんは君たちを中学までは面倒みる。あとは自力で学校へ行け」と告げた。子どもたちは働きながら定時制に行き、あるいは自衛隊に入りつつ成長した。
 その子どもたちが素晴らしいのだ。私のまわりでは不快な若者はいないし、よく働く。また、20代の中にはおとなを反面教師とした新しい価値観を持ち、モノづくりをはじめる若者もたくさんいる。
 そのような若者の数は多くないのかもしれないが、この国の行く末がどうであれ、私は心配していない。みんなが同じ船に乗ることはないのだから。

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