2011年11月13日日曜日

asahi shohyo 書評

藝文往来 [著]長谷川郁夫

[評者]角田光代(作家)  [掲載]2007年03月18日   [ジャンル]文芸 

■本と人とが熱く関わった幸福な時代

 原稿のやりとりのさなか、じつに不誠実な対応をされ、相手を怒ろうと思ったものの、怒れなかったという経験が私にはある。なぜ怒れなかったか。メールのやりとりしかしておらず、相手の顔を知らなかったのである。顔も声も知らない相手を、本気で怒ることは難しい。
 本書を読んでいると、ああ、時代は変わってしまったのだなと深く思う。時代ばかりではない、書物の持つ熱というものも、否応(いやおう)なく変化したのではないか。
  小沢書店という出版社の社主であった著者が、交際のあった作家や編集者、彼らの著作物と関(かか)わった記憶が、本書には贅沢(ぜいたく)なほどあふれて いる。言葉通りの交遊もあれば、書物を通しての交遊もある。作者とまみれるようにして本を作った歴々の編集者たちにも触れている。再現の叶(かな)わない 美しい時間が、この本には流れている。
 「愉(たの)しそうにしかし真剣に遊んだ」、小沼丹。「そうはイカのキンタマ!」と花札遊びに興じる中野 孝次。家出先まで著者を迎えにこさせ、大船駅で黙してワンカップを開け続ける田村隆一。編集者の父の死を悼み、走り書きの長い手紙をファクスで送った水上 勉。毎週ビアホールにあらわれ、編集者たちに料理と酒をおごった吉田健一。行間から体温が、熱がわき上がってくる。本に対する熱であり、本を媒介に関わり 合う人々の熱である。
 とはいえ、単なる交遊の記録ではない。本書にある言葉通り、著者にとって「文は人なり」であり「本もまた人」、作家、編集者、造本に関わるすべての人々が分かち難く結ばれている。
 作家と編集者のつながりが変わったのだから、小説自体が変わるのは当たり前だと気づかされる。どちらがいい、悪いと私は思いたくない。けれどどちらが幸福かとは問うまでもない。
 書物を消費物に成り下げることなかれと、今の時代に向けて、静かに、しかし誇らかに言い放つような一冊である。箱入りの凝った造本にも、著者の本への思いがあふれている。
 評・角田光代(作家)
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 平凡社・2310円/はせがわ・いくお 47年生まれ。早大在学中に仲間と小沢書店を創立。00年まで社主。

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著者:長谷川郁夫  出版社:平凡社 価格:¥2,310

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