「反核」掲げぬ原爆慰霊 長崎で被爆2世ら音楽祭
昨年の水辺の森の音楽祭。長崎港に面するステージの対岸に見えるのは長崎の象徴のひとつ稲佐山=吉田敬三さん提供
約7万人の命が奪われた長崎原爆。霊を慰め、あの日を継承していくための音楽祭が8、9日に長崎市の長崎水辺の森公園で開かれる。これまでの平和運動や式典のあり方に、どこか違和感や距離感を感じていた被爆2世らの企画だ。
「8・9 水辺の森の音楽祭」。「反核」とも「反戦」とも掲げていない。ただただ、命日に帰ってくる人々を音楽で迎え、慰霊するためにいる実行委員は約50人。3分の2が被爆2世だ。
きっかけは08年2月。保険代理業の水浦裕士さん(34)が行きつけのワインバーの店主梅沢武秋さん(50)に「8月9日のイベント」を提案したことだった。
被爆2世の水浦さんは、幼いときに見た原爆資料館の展示がとても怖かったことを引きずってきた。「反核」と言うと、すぐに政治色を付けてみられることも 嫌で「原爆」から遠ざかっていた。変わったのは06年。梅沢さんら飲み仲間から、故・岡本太郎が原爆をテーマに描いた巨大壁画「明日の神話」をめぐるイベ ントに誘われて参加。この時の「おもしろかった体験」に加え、代理業として独立したことで「街に根付きたい」と考えるようになった。
同じく被爆2世で、旧来型の平和運動に疑問をもっていた梅沢さんは提案を受けた時、作家・田口ランディのエッセー「真夏の夜の夢」を読んでいた。その一節に、田口さんが8月6日にヒロシマを訪れた時の様子があった。
マスコミがあふれる朝の様子に驚き、平和式典が形骸(けいがい)化していると感じた田口さんが、灯籠(とうろう)流しが始まるころに平和記念公園 に足を運ぶと、どこからともなくチェロの音が聞こえてきた。目をこらすと、奏者は世界的なチェリストのヨーヨー・マ。即興の演奏だったという。田口さんは 「生きるものも、死せるものも、蘇(よみがえ)り、たったひとつの音色によって結ばれていた」と書いていた。
「これだ」。梅沢さんや水浦さんら6人で始めた実行委員会は、ひそかに「ヨーヨー・マ・プロジェクト」と命名。昨年、1回目の音楽祭を開く。出演者は長 崎県内から12組30人、観客は約200人。それが今年は長崎のほか、東京や広島、福岡などからプロ、アマ合わせて35組70人が出演する。フォーク、 ロック、演歌、和太鼓など音楽はさまざま。ステージはビール箱100個の手作り、開催費用は約30万円だ。
8日は午後4時から、9日は午前11時2分の黙祷(もくとう)のサイレンとともに始まり、いずれも午後8時まで続く。もちろん無料だ。
梅沢さんは言う。「未来へのメモリアルとして、原爆で亡くなった人の犠牲の上に我々があるという感謝の気持ちを込めての音楽祭。みんなが楽しんでやればまた来年もやりたい、となる。そういう形で続けていければと思う」(編集委員・大久保真紀)
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