幻影の書 [著]ポール・オースター
[掲載]2009年1月11日
- [評者]尾関章(本社論説副主幹)
■重なり合い共鳴するいくつもの物語
パニクる。ドジる。そんな様子を描くのが実にうまい。
夜更けに帰宅した主人公の鍵束との格闘。暗闇の中で「鎖には鍵が六本つながっていて、どれが玄関の鍵だか知りようはない。(中略)あてずっぽうに鍵を一本選んで穴に差し込んだ。半分まで入ったところで、つっかえた」。
「六つに一つ」の運にもてあそばれる現実。人はいつも偶然に身を委ねているのである。その十数ページ後には主人公が銃口を自らの頭に向け、弾はないと信じて引き金に手をかける場面があるが、そんな大きな偶然の緊迫感も、小さな偶然の細密描写があるからこそ生きてくる。
さすが『偶然の音楽』を書いた作家らしい。
いくつもの物語が重なり合う。飛行機事故で妻子を失った主人公の話。無声映画時代の喜劇俳優兼監督が過ちと放浪の末にニューメ キシコの農場でひっそりと暮らし、世には出さない映画をつくってきたという話。その映画。さらにその映画の登場人物が書く小説。これらが幾重にも層をなし て共鳴し合う。
主人公が俳優のことを知るきっかけは、家族を亡くした後に初めて笑ったテレビ番組だった。心ひかれて彼の作品について本を書 く。それを読んだ俳優本人が会いたがっているという手紙が妻から舞い込み、夫妻に近しい女性が催促に来る。俳優はいま死の床にあり、撮りためた作品群は死 後ほどなく処分されるのだという。
主人公はその女性と一夜をともにした後、帰路に同行する。道中、彼女が語る俳優の半生記は、この本の中のもう一冊の本と言ってもよい。そして、主人公がどうにか見ることができた作品にも、小説家が自作の原稿を燃やすシーンがある、という重層の妙。
人に見せない作品なんて無に等しいのではないか。だが、主人公の目を通してそれをかいま見ると、その作品世界こそが厳然と実在し、それをつくった人物の生涯のほうが幻に思えてくる。
ネタばれになるので詳しくは言えないが、含みのある終わり方がそんな倒錯を優しく包んでくれる。
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THE BOOK OF ILLUSIONS
柴田元幸訳/Paul Auster 47年生まれの米国の小説家。著書に『偶然の音楽』など。
- 偶然の音楽 (新潮文庫)
著者:ポール オースター
出版社:新潮社 価格:¥ 620
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