賀川豊彦、ノーベル文学賞候補にも2回
【ロンドン支局】平和運動の指導者として知られる賀川豊彦(1888〜1960)が、1947年と48年の2回、日本人として初めて、ノーベル文学賞の候補になっていたことが、スウェーデンのノーベル財団がインターネットで公開した候補者リストから明らかになった。
賀川が平和賞候補になっていたことは知られていたが、リストでは54年から56年まで3年連続で平和賞候補に挙がっていたことも確認された。
神戸市生まれの賀川は、幼くして両親を失い、16歳で洗礼を受けた。結核に侵され余命が短いと思い、イエスに倣おうと決意。1909年に、21歳で神戸の貧民街に住み、病者保護や無料葬儀などの救貧活動を始め、協同組合運動や平和運動を指導した。
自伝小説『死線を越えて』は戦前400万部のベストセラーとなり、スウェーデン語を含む十数か国語に翻訳された。講演したことがある北欧で特に、戦前から戦後にかけ高く評価され、シュバイツァー、ガンジーとともに「20世紀の3大聖人」ともたたえられた。
ノーベル賞の選考過程や候補者名は非公開で、50年以上たって公開される。文学賞は50年まで、平和賞は56年分まで公開されている。
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