2009年9月11日金曜日

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【UTCP Juventus】荒川徹

2009.09.11 荒川徹, UTCP Juventus

UTCP・RA研究員の荒川徹です。近現代美術とその理論を研究しています。具体的には、セザンヌの絵画および、ミニマル・アートを中心とする1960-70年代のアメリカ現代美術を対象としています。

私の昨年からの主要な問題は、複数のスケールをもつ時間的変化(=出来事)の錯綜した複合体としての〈自然〉を芸術作品がいかに表現するかというこ とです。それに対する分析の方法論としては、抽象的・還元的と見なされるような諸要素を、時間的な過程へと変換し、動的な諸関係のネットワークをつかみと ること──そして制作行為によって編成された抽象的自然世界の秩序を明らかにすることです。

過去の研究内容については、昨年度執筆した記事があります。ここではおもに、以降の私の研究動向と関心を記します。

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左:セザンヌ《シャトー・ノワールの上の岩屋の近くの岩石》(1904年頃)
右:セザンヌ《シャトー・ノワールの公園の木々と岩石》(1904年頃)

20世紀の開始まもなく、とりわけ1902年に自らのアトリエをもって以来、セザンヌの作品は以前に比して混沌とした流動性を顕著に示すようになっ た。描かれた形象の同定作業を遅延させることから「抽象的」とも記述されたその過激な展開は、むしろ心的概念による対象の区分(描き分け)を崩壊させるま でに、自然の複雑な推移全体の表現に取り組むことでした。それは光や風の動きといった知覚可能な推移だけでなく、友人の地質学者に教わった地質学的時間の ような知覚不可能な推移も含んでいる。そこでは、岩石群を不動の形態としてではなく、むしろ形成作用として木々の現象的な変化と同化・同期させる異様な表 現を行っています。対象の遅延効果は同時に、知覚不可能な変化もふくめて自然的時間が一挙に凝縮された加速の印象を、情動的にもたらすことになります。そ こでは、観察者の現在時は知覚的な限界を失い、先史的な時間スケールの変化と交錯するようにして時間的位置づけを再編成される。それは、絵画を感覚-知覚 が記録する諸瞬間の接合面としてより、異なる時間系の接合されたネットワークとして思考することを可能にします。そこでは静的な空間構成ではなく、時間構 成こそが問題となります。

上記の観点──構成的な時間論のアプローチは、昨年からのUTCPの活動で展開し、メルロ=ポンティの現象学的なセザンヌ論の暗黙の源となったホワ イトヘッドの自然哲学を媒介すること、そしてセザンヌをフィジカルなピクチャレスクの系譜に位置づけたロバート・スミッソン晩年の制作・批評に連結するこ とによって考察しています。たとえば昨年の記事でも紹介した作品《ジュールダンの小屋》(1906)においてセザンヌが行っている表現の潜在性は、スミッ ソンの時間的形態論を媒介することでアクチュアルに分析可能になります。

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セザンヌ《ジュールダンの小屋》(1906年)

セザンヌにおける小屋と大地の不可分な溶解は、《部分的に埋められた小屋》(1970) でスミッソンが物理的に実行しているエントロピー的廃墟に先行する絵画的表現となる。セザンヌにおける空と木々の一体化した結晶化は、スミッソン《スパイ ラル・ジェッティ》(1970)において微少な塩結晶が巨大な螺旋状の成長として思考されていたことが示唆的です。ここでのセザンヌの実践は、一つの階層 的な構成原理(形態-背景、水平-垂直…)に従う部分の集合ではなく、あらゆる形象が平衡に達する無秩序さの増大のなかで、隣接する諸形態の相互作用が生 みだすきわめて混成的な個体化の作用として、風景全体を変成していったことが分かります。

このような非-還元主義的な立場からは、おのずと〈複雑系芸術学〉と呼べるようなアプローチに導かれることになります。しかし、私の目的は科学概念 の一面的で胡乱な適用ではありません。むしろ、芸術作品のような複数の度合いにおいて抽象化を経た人工物の秩序を、経験の基準なきスリルから分析し表現可 能なものにすることです。今後の研究は、上記のパースペクティヴから、還元主義的なモダニズムのパラダイムに対する1960年代中葉からのアーティストの 実践と抵抗を明らかにしたいと思っています。

長期的な展望では、今までまったくの手付かずであった東洋芸術・思想の研究にも着手する方針です。それは諸々の行為の手法からなる、より日常的な関 心とも結びついています。1970年周辺のアメリカ現代彫刻における、自律的な彫刻それ自体という観念の解体は、地勢に従い、不定な自然変化と移動する観 察者の視点変化を含みこむ、庭園術(ピクチャレスク、セントラル・パーク、そして禅庭園を含む)との接近を示すようになりました。わたしが現在とりわけ東 洋の庭園術において関心があるのは、石を立てるような身体と物体の接触から、視角とタイミングにおいて変動する時空間を創出することの、内在的な自然把握 のあり方です。今後は昨年からのUTCPの活動で得た、脳神経科学から東洋美術に至る、圧倒的に広い地平から得た複数の視角を生かし、明確な構図のなかに 展開していきたいと思っています。

荒川徹

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/utcp-juventus-toru-arakawa/



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