2009年9月15日火曜日

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西郷隆盛辞世の漢詩?「故山に骨埋めよう」医師の日記に

2009年9月15日18時48分

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写真:山崎泰輔の日記のコピー=西郷南洲顕彰館提供山崎泰輔の日記のコピー=西郷南洲顕彰館提供

 西南戦争で敗れた西郷隆盛の辞世の可能性がある漢詩が見つかった。鹿児島市立西郷南洲顕彰館が11日発表した。28文字の漢詩で、西南戦争で政府軍の医師だった山崎泰輔(1840〜98)の日記にあった。西郷の辞世は残っておらず、専門家は本物なら貴重だと指摘する。

 同館によると、1877年9月24日の記述にこうある。

 《肥水豊山路已窮 墓田帰去覇図空 半生功罪両般跡 地底何顔対照公 西郷隆盛》

 意味は「肥後や豊後への道は窮まった。故山に帰り骨を埋めよう。維新完遂のため覇を唱えたが、今となってはむなしい。半生を振り返ると功罪両様の跡が残った。死後にどんな顔をして、照国(島津斉彬)公にお会いすることだろうか」というらしい。

 筆跡は山崎だが、日記の日付は鹿児島市城山で西郷が49歳で死去した日と同じ。漢詩の直前には、西郷らの戦死の知らせを受けたという記述もある。

 日記は札幌市在住の山崎の遺族が保管。解読を依頼された古文書研究家から同館に1月に問い合わせがあったという。同館が調べたところ、韻など漢詩作法の 平仄(ひょうそく)が西郷が残したものと似ているという。西郷と山崎の接点は不明だが、西郷の息子などを通じて政府軍側にも伝わった可能性がある、と同館 の高柳毅館長は話す。

     ◇

 原口泉・鹿児島大教授(日本史学)の話 西郷隆盛は歴史の節目節目で自分の思いを漢詩で残してきた。戦況がせっぱつまっている時期に詠んだものな ら誰かが書き留めたはず。それが、軍医として学識のある山崎の目にとまり、山崎が日記に記したものとも考えられる。西郷研究に大事な発見になるだろう。




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