2009年8月6日木曜日

asahi shohyo 書評

ロシア人の見た幕末日本 [著]伊藤一哉/もうひとつの日露戦争 [著]コンスタンチン・サルキソフ/後藤新平と日露関係史 [著]ワシーリー・モロジャコフ

[掲載]2009年8月2日

  • [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)

■硬直的な認識を崩す ソ連崩壊後の新史料

 ソ連邦の崩壊後、ロシアでは史料の公開が進んでいる。その中で、近代の日ロ関係について新史料を取り込んだ研究が三冊公刊された。いずれも我々が抱きがちな硬直的なロシア・ソ連認識を崩してくれている。

 1858年10月(安政5年9月)、長くつらいシベリア横断の旅を終えて、初代の駐日ロシア領事ゴシケーヴィチが箱館(函館) に船で到着した。中国に駐在した経験を持つ新領事は、この後6年余りを日本に駐在する。この間に彼が本国の外務省との間に交わした報告や訓令を精力的に収 集して、彼の眼(め)から見た幕末を描いたのが『ロシア人の見た幕末日本』である。だが、幕末の描写より印象的なのは、彼が赴任当初に本省から受けていた 訓令だ。「われわれは唯一、日本との交易の強化と拡大を願っている。その内政問題へ干渉しようとの野心も意図もわが国の政策には存在しない。(略)わが国 の意図がゆがんで理解されることのないようくれぐれも注意せよ」。領事はこれを守り、海軍の暴走などを批判し、慎重に日本に対応したのだった。

 1905年1月、「われわれの艦隊には、意気阻喪の印象が広がっている」とマダガスカル島から妻にあてて書いたのは、日露戦争 でバルチック艦隊を率いてきた提督ロジェストヴェンスキーである。提督の妻あての手紙を柱にした『もうひとつの日露戦争』は、艦隊の驚くべき実態を明らか にする。例えば、同艦隊は決して「最精鋭」の艦隊ではなく新旧の戦艦の寄せ集めで、バルト海からの航海中に絶えず修理が必要であった。未曽有の長距離を航 行するために絶えず給炭に苦しんだ。艦隊と海軍省との意思の疎通が円滑でなく、マダガスカル島付近で一カ月も停泊を余儀なくされた。こうして艦隊は、厭戦 (えんせん)気分の満ちたままに日本海にたどり着いたのだ。通説のように提督は「横柄」で「変人」なのではなく、苦難に立ち向かう「鉄の意志」を持った司 令官だったのだ。

 1929年4月、後藤新平が没した後、大川周明は「日本国中に一人もロシアと口をきき得るものがいなくては不便不利もはなはだ しい」とその死を悔やんだ。『後藤新平と日露関係史』は、一般に「大陸進出論者」とされる後藤が、実際には、慎重な現実主義者であったという。満鉄総裁、 外相、東京市長などを務めた後藤は、独露との関係を良好に保って、「英米の横暴を牽制(けんせい)し抑制すべし」と考えていた現実主義者であった。彼は 「シベリア出兵」の唱道者として批判されるが、現実にはアメリカを考慮し、慎重姿勢を取っていたのだ。この現実主義のゆえに、革命後も、ソ連側からは話が できる唯一の日本人政治家として扱われ、現に、1928年1月には、スターリンと、中国政策、国交問題などについて直接話し合ったのだという。

 こうして、硬直的な日ロ関係観を見直す新事実が明らかになってきている。今後も日本に関する新史料がますます発掘され、新たな日ロ理解が促進されることが期待される。

    ◇

 『ロシア人』/いとう・かずや 56年生まれ。北海道新聞記者▽『日露戦争』鈴木康雄訳/Konstantin O. Sarkisov 42年生まれ。山梨学院大学大学院教授▽『後藤新平』木村汎訳/Vasilij Molodjakov 68年生まれ。歴史学博士。

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ロシア人の見た幕末日本

著者:伊藤 一哉

出版社:吉川弘文館   価格:¥ 2,940

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もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)

著者:コンスタンチン・サルキソフ

出版社:朝日新聞出版   価格:¥ 1,575

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後藤新平と日露関係史

著者:ワシーリー モロジャコフ

出版社:藤原書店   価格:¥ 3,990

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