2010年6月25日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年06月21日

『正義の他者—実践哲学論集』ホネット,アクセル【著】(法政大学出版局)

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「ホネットのポストモダン論」

 フランクフルト学派の第三世代のホネットの粘り強い思考が記録された一冊である。時事的な論文も含まれるが、注目は前著の『承認をめぐる闘争』での考察 を展開した「正義の他者」と、文明がもたらす害悪に注目した社会学的な思想系列をていねいにたどった「社会的なものの病理」だろう。

 「正義の他者」では、ポストモダンの哲学運動が最初は理性批判を中心とするものであったのにたいして、「今日では倫理学的転回と言われるほどに、倫理学 と正義の問題に力を注ぐようになった」(p.145)ことに注目する。それはポストモダンの倫理学が、「非同一的なもの(すなわち他者)と適切にかかわり あうことによって初めて人間の正義の要求が満たされる」(p.146)と考えるようになったからである。

 たとえばリオタールの『文の抗争』の中心的なテーマは、「後続の文が先行する文にたいして〈不正〉を行っている」(p.151)ことを指摘するこ とにある。というのは、両立することができない言説が存在するからである。たとえば「労働者たちの想像を絶する労働条件への抗議」も、市場社会における 「経済効率性の言語」の中では場をもつことができず、沈黙せざるをえないのである。こうした断絶はナチスの強制収容所で収容された人々と看守の間でも発生 したのだった。

 ただしホネットはこの断絶は指摘されたままであることはできず、ある「規範的な性格をもった道徳理論の展開」(p.153)を要請するが、この道 徳理論の展開は、ハーバーマスの討議倫理学の枠組みにおいて実現可能であると考える。リオタールはハーバーマス激しく批判しているが、リオタールがこうし た道徳理論を展開しようとすると、ハーバーマスの倫理学を援用しなければならなくなるというわけである。

 ハーバーマスの倫理学が示したのは、「道徳的な行為コンフリクトを了解志向的に解決することに役立つべき実践的討議において、すべての主体が強制 されることなく自分の利害関心と要求とをはっきりと表明てき平等なチャンスを持たなければならない」(p.167)ということであり、この場が存在しなけ れば、言説の対立は片方の沈黙で終わるしかないからである。

 これにたいしてレヴィナスの影響のもとで正義の問題を考察し始めたデリダでは状況が異なる。デリダが友愛の概念を考察しながら明らかにしたのは、 他者との関係が非対称な場合と対称的な場合があるということだった。友愛の関係のうちにある他者は、「同情と好意という情動的なレベルにおいて私に非対称 的な義務を訴える」(p.171)と同時に、「道徳的な人格としてすべての他者と同じように尊重されることを求める」のである。

 これは友愛の絆において、他者が愛情と道徳的な人格という二つの異なる次元において登場するということである。愛情の関係においては、「いつくし み」を求める非対称な存在であり、道徳的な人格の関係においては、尊重を求める対称的な存在なのである。この二つの次元が錯綜した友愛の絆においては、デ リダはこの問題を政治的に解決しようとはしない。

 しかし法の問題の考察においてはさらに一歩を進めて、この二つのパースペクティブのどちらも、「正義」の問題であることを指摘するようになる。そ してどちらの正義もそれ自体で自足することができず、「正義はつねに正義そのものを越え出てゆく」(p.178)ことを指摘するのである。これは個別的な 場面においてはケアを要請し、普遍的な場面においては平等を要求すると考えることができるだろう。

 ホネットはデリダがここで「カント以来の正義の伝統において引かれている境界線をすでに大きく乗り越えてしまっている」(p.180)と指摘す る。そしてそれにつづく論文「アリストテレスとカントの間」「正義と愛情による結びつきの間」「愛と道徳」などは、この問題を『承認をめぐる闘争』の延長 線上でさらに検討したものである。

 巻頭の「社会的なものの病理」の論文では、文明のもたらした堕落と疎外を指摘したルソーに始まる社会哲学の歴史を「堕落」という観点から追跡した ものであり、ニーチェのニヒリズム批判がその一つの帰結であること、ドイツの社会学の基礎を築いたジンメルとウェーバーがこの問題意識を継承していること を指摘する。そこからルカーチ、フランクフルト学派、アレント、そして現代の社会哲学の現状にいたるまで展望する。目配りのきいた論文で、お勧めである。

【書誌情報】
■正義の他者—実践哲学論集
■ホネット,アクセル【著】
■加藤泰史、日暮 雅夫ほか訳
■法政大学出版局
■2005/05/25
■399,50p / 19cm / B6
■ISBN 9784588007934
■定価 5040円

●目次
1 社会哲学の課題(社会的なものの病理—社会哲学の伝統とアクチュアリティ;世界の意味地平を切り開く批判の可能性—社会批判をめぐる現在の論争地平で の『啓蒙の弁証法』;"存在を否認されること"が持つ社会的な力—批判的社会理論のトポロジーについて ほか)
2 道徳と承認(正義の他者—ハーバーマスとポストモダニズムの倫理学的挑戦;アリストテレスとカントの間—承認の道徳についてのスケッチ;正義と愛情に よる結びつきとの間—道徳的論争の焦点としての家族 ほか)
3 政治哲学の問題(道徳的な罠としての普遍主義?—人権政治の条件と限界;反省的協働活動としての民主主義—ジョン・デューイと現代の民主主義理論;手 続き主義と目的論の間—ジョン・デューイの道徳理論における未解決問題としての道徳的コンフリクト ほか)


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kinokuniya shohyo 書評

2010年06月22日

『小説家という職業』森博嗣(集英社)

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「小説家になりたいなら小説を読むな!!」

小説家という職業
 天才作家、森博嗣の執筆のノウハウがすべて公開されている。おもしろい。読むべし。(と書いたものの、僕は森博嗣の小説作品をまともに読んだことはない のだ。エッセイのほうが好きな読者である)

 森は、名古屋の国立大学教授をしながら、趣味の工作の資金を稼ぐためのアルバイトとして娯楽小説を書いてきた。彼独自の方法論、執筆姿勢について 書かれている。

 僕はこの手の本(小説のノウハウ本)を沢山読んできた。本書を読んで、「小説を書くためのノウハウ本」を読むのを辞めることにした。最後の一冊で ある。

 書きたいことがあればさっさと書く。書いたものをおもしろいと思うかどうかは読者が決めること。書いたら内容は忘れる。読み返すことはない。小説 を書くことは職人の仕事である。1人で取り組む。いわばひとりベンチャー起業である。

 1人で始める仕事の魅力は、チームワークでは得難いものがある。

 冒頭にいきなり太ゴチックでこう結論が書かれている。

 もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。

 他者の作品を読んでばかりいると、影響される。影響されると、オリジナルなものが書きにくくなる。普通とは逆の発想でものを書くためには、小説を 読まなくてもいい。読むことで他者のイメージで自分の脳を占領されるよりも、自分の脳から生み出されるイメージを言語化していくほうが建設的な時間の使い 方、というわけだ。

 まったくその通りだ。

 そして感銘を受けたのは、出版不況であり、小説の危機と言われている時代ではあるが、森は小説の可能性を信じていることだ。

 たった1人でできる。文字だけの表現である。ほとんどコストゼロで始められるし比較的的短時間で可能。(森の1日の執筆時間は約2時間で、10日 くらいで一冊書いてしまうのだ。天才だと思うが、本人にその自覚はまったくない)。失敗しても失うものは時間くらいのものだ。
 にもかかわらず、読者は、すぐれた小説作品を読んだとき、たった1人の人間がゼロから生み出したことに感動する。人は、人に感動する動物なのだ。その迫 力は未来永劫続く、というのだ。

 まったくその通りだ。

 僕はユニークフェイスという問題を私小説的に書いてきた。いまも書いている。
 組織は消えても本は残る。僕が死んでも本が残る。だから書いてきた。本を書くという営みはすばらしい。
 
 小説ノウハウ本を読むのは、これが最後だ。悔いのない読書体験だった。
 


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kinokuniya shohyo 書評

2010年06月24日

『解読ユダの福音書』ジャック・ファン・デル・フリ−ト(教文館)

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「一級のミステリー」

 これは二〇〇六年五月に初めてコプト語の原文が発表された『ユダの福音書』の本文とその読解である。新約聖書の伝統的な外典には、このような文書は存在 しない。「裏切り者」のユダを書き手あるいは主人公とする福音書があるわけがないのだ。そして予想にたがわず、これはグノーシス文書である。

 それは冒頭近くで、イエスが自分は誰かという有名な問いをすると、ユダはこれに「あなたは、不死なる者すなわちバルベーローのアイオーンから来られ、そ してその名を私が口から発するのがふさわしくない、そのお方からあなたは発してきたのです」(p.88)と答えていることからも明らかだろう。この固有名 と名詞は、グノーシスの重要な名だからだ。

 しかしこれまで発見されてきたグノーシス文書と違うのは、これがあくまでも新約聖書の他の福音書と同じように、キリスト教の聖書の物語の内部に、 まるで象眼されるようにはめこまれているということである。しかもユダの福音書としてである。

 著者は、この福音書とその他のクノーシス文書を読み比べることで、欠落の多いこの文書の特異なありかたを浮き彫りにしてみせる。そしてこの解読に よって明らかになったはのは、このクノーシス文書がいかに巧みに新約聖書の世界を嘲笑し、みずからの世界の卓越性を誇示しているかということである。

 特に圧倒的なのは、この書物においてキリスト教の教会の制度そのものが愚弄されていることである。冒頭近くでイエスは使徒たちがパンで感謝の祈り をしているのをみて笑う。使徒たちは「私たちがしているのは正しいことはではありませんか」(p.87)と尋ねる。するとイエスはこの儀礼で「あなた方の 神が賛美をうけるでしょう」(p.88)と答える。

 使徒たちは不思議に思って、イエスは「私たちの神の息子ではありませんか」(同)と尋ねる。するとイエスはこれを否定し、使徒たちが自分を知るこ とはないと断言する。パンを使った聖餐の儀式は、わたしの神ではなく、「あなたがたの神」のための儀式であり、自分は「あなたがたの神」の息子ではないと 指摘するのである。これは教会の儀礼の意味を正面から否定することになる。

 次にイエスのユダ以外の一二使徒とユダがみた夢が語られる。使徒たちは、一二人で礼拝をしているところを夢見る。しかし困ったことに、この司祭た ちは罪人なのである。「自分の息子を捧げる者たちがおり、また、自分の妻を捧げ、賛美し互いにへりくだる者たちがおり、また男と寝る男たち が」(p.90)いるのである。するとイエスはこの一二人の司祭が使徒たちであり、彼等は罪人であり、「彼らは私の名によって、恥ずべき仕方で、実りのな い木を植えた」(p.91)と叱り、「祭壇の前であなたがたが誤らせた群衆」を犠牲と捧げていると非難するのである。キリスト教の教会がイエスの名におい て、人々を間違った道に導いているというのである

 何よりも傑作なのは、十字架で死んだのはイエスではないというキリスト教の内部の仮現論よりも巧みにイエスの死を処理しているところだろう。もち ろんこの文書でも死刑になるのは、イエスの仮の身体である。ただしイエスはたんに天に戻るのではなく、この世の支配者たちにイエスを死刑にしたと信じさせ ることで、世界の終末をもたらすことになっているのである。そのためにもユダは仮のイエスを死刑にさせる必要があるのであり、そのために「裏切り」が必要 とされるのである。この福音書はユダのその決意と犠牲をたたえる書物となっているのである。

 著者の分析は詳細で、まだ多数の裏付けとなる解読がある。最後までハラハラとして書を置くことができない一級のミステリーの味わいのある書物とし て、ぜひ一読を勧めたい。世の支配者を嘲笑するときのイエスの不気味な「笑い」について知るだけでも読む価値があるだろう。


【書誌情報】
■解読ユダの福音書
■ジャック・ファン・デル・フリ−ト/著
■戸田聡/訳
■教文館
■2007/06
■290, / 20cm / B6判
■ISBN 9784764266667
■定価 2520円


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asahi shohyo 書評

絆(きずな)と権力—ガルシア=マルケスとカストロ [著]アンヘル・エステバン、ステファニー・パニ チェリ

[掲載]2010年6月20日

  • [評者]柄谷行人(評論家)

■文学と革命の「友情」 意味があった80 年代

 1982年ノーベル文学賞を受賞したガルシア=マルケスの名声は、スペイン語圏はいうまでもな く、世界中に広がった。"マジック・リアリズム"と呼ばれたその作風が、近代文学(リアリズム)の界域を一気に超えたのである。日本でも、80年代にあっ た文学の活気は、マルケスによって付与されたといっても過言ではない。たとえば、大江健三郎が『同時代ゲーム』を書き、中上健次も『千年の愉楽』を書い た。しかし、当時日本でほとんど知られていなかったのは、マルケスがキューバ革命とカストロの独裁を支持し続けたことである。本書が探究するのは、その謎 である。

 カストロはもともと共産党とは関係がなかったが、米国による経済的制裁のため、ソ連の支援に頼るほかなくなった。だが、彼は次 第にソ連派となり、また同時に、独裁者となっていった。キューバにロシアや中国とは異なる、ラテン・アメリカ流の快活な社会主義を期待した、知識人・文学 者は幻滅し、一斉にカストロ批判にまわった。そのとき、コロンビアの作家マルケスがカストロを支援したことは意外であった。マルケスはその作品で、中南米 に特徴的な"独裁者"を描いたが、それがまさにカストロに当てはまることは、誰にも(カストロ自身にも)明らかであったからだ。にもかかわらず、カストロ はそれを許容し、マルケスもカストロは独裁者ではないと弁護しつづけた。それはなぜなのか。

 カストロとマルケスの古くからの"友情"についての伝説があり、また、カストロの文学好きがいわれる。しかし、それらは疑わし い、と著者はいう。これはもはや文学の問題ではない。カストロにとって、マルケスの文学的名声が権力の維持のために不可欠であった。一方、マルケスがカス トロ支持を決めたきっかけは、1970年に民主的な選挙で実現されたチリの社会主義政権が、米国に支援されたピノチェトのクーデターで破壊されたことに あった。マルケスは、もはや文学どころではない、と考えた。彼もまた革命のために、自身の文学的名声を徹底的に利用しようとしたのだ。彼はカストロと一緒 に活動する政治家となったのである。

 とはいえ、そのようにいうことは、別に、マルケスをおとしめることにならない。私が本書を読みながら痛感したのは、"文学"が 特別な意味をもつ時代があった、そして、1980年代がそのピークであった、ということである。その時期、"文学"は、米ソの二項対立を超える想像力であ り、真の革命を意味した。"文学"そのものが"マジック・リアリズム"であった。マルケスとカストロの「絆」も、そのようなマジックによって築かれたもの だ。しかし、ソ連崩壊とともに、そのような前提は壊れた。現在、ラテンアメリカの各地に、社会主義政権ができているが、そこでは、キューバはもはや重要で はないし、"文学"もかつてのような役割を果たしていない。

    ◇

 野谷文昭訳/Angel Esteban 63年スペイン生まれ。Stephanie Panichelli 78年ベルギー 生まれ。ともにスペインの大学で文学を研究。

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絆と権力—ガルシア=マルケスとカストロ

著者:アンヘル エステバン・ステファニー パニチェリ

出版社:新潮社   価格:¥ 2,415

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同時代ゲーム (新潮文庫)

著者:大江 健三郎

出 版社:新潮社   価格:¥ 820

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千年の愉楽 (河出文庫—BUNGEI Collection)

著者:中上 健次

出 版社:河出書房新社   価格:¥ 630

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書籍の全文検索を実験 電子化ルール作り、3省が方針

2010年6月22日

 電子書籍の流通促進のためのルール作りを検討してきた文部科学、経済産業、総務の3省によ る懇談会が22日、報告書をまとめた。書籍の電子化を進めてきた国立国会図書館が出版社などと連携し、蔵書の全文検索サービスの実験を始める方針を打ち出 した。

 実験は、作家や出版社などの合意を得た範囲内で、同館が電子化した蔵書や、出版社が提供する電子化した書籍の本文を、パソコン などで検索できるようにするもの。ただ同館の長尾真館長が提唱してきた、電子化した蔵書を一般の人にネット経由で有料公開する構想に、講談社など大手は反 発しており、実験に参加するかどうかは不透明だ。

 報告書には、電子時代の図書館のあり方を検討する協議会の設置も盛り込まれた。書籍の電子化が進むことで、図書館のサービスの 利便性が高まり、書籍を買わない人が増える、との懸念を出版社などが訴えたためだ。

 また、電子書籍の流通促進にとって鍵となる著作権の管理について、方向性が異なる二つの方策が盛られた。

 書籍を電子配信する際の著作権処理のコストを下げるため、著作権を集中管理するしくみを、著作者や出版社などによる会議を設け て検討することにした。一方、作家や出版社などが各自で著作権を管理し、IT(情報通信)技術を駆使して効率的に処理する実証実験もすることにした。(赤 田康和)





asahi shohyo 書評

矛盾だらけの禅—悟りを求めるアメリカ人作家の冒険 [著]ローレンス・シャインバーグ

[掲載]2010年6月20日

  • [評者]横尾忠則(美術家)

■戒められ冷たくされてもなお続く

 西洋人が東洋の神秘に憧(あこが)れ始めた60年代、日本人だと見ると禅問答をふっかけてくるアメリカの知識人は多かった。そのこ とが仏縁になって僕は禅寺に1年間参禅することになった。

 「何しに来られたのか?」

 「悟りに……」

 「人は生まれながらに悟っておる。その上にまだ悟りたいのか」。僕とある老師とのチンプンカンプンの会話だ。

 「まあ黙って座りなさい」。禅は只管打坐(しかんたざ)あるのみ。理屈無用の世界だ。

 本書の著者は作家だが若くして発心し、禅の世界に足を踏み入れた。そして次第に精神の危機に侵されていく。読者の興味の対象は 皮肉にもその精神の崩落過程だ。これは禅を経験した者が一度は辿(たど)る道程である。僕はサッサと足を洗ってしまったが、この作家は執拗(しつよう)に 食い下がる。彼の師の球童老師はすでに彼の心を見抜いて作家である著者を何度も戒める。

 小説を書くのをやめろ。でないと「頭でっかちから抜けだすことができない」と。何が言いたいかというと、白隠禅師が言うように 「一度死ねば真に生きることができる」のだ。「死ぬ」ということはバカになることである。禅はバカになる修行である。僕がつまずいたのもここだった。

 しかし、この著者は小説を捨てることができない。だったら禅から足を洗うしかない。彼は二者択一を迫られる。老師はきっと、禅 を小説を書くための駆け込み寺にしてもらいたくないと言いたかったに違いない。やる以上「死ぬ」しかない。つまり禅のアマチュアはいないのだ。禅はプロ フェッショナルでなければならないのである。

 日本に帰った老師の後を追って著者は日本にやってくる。そして老師に会うが、老師の一変した態度の冷たさに彼は驚愕(きょうが く)する。何か礼節を欠いたのではと悩みもする。その答えが見つからない。まるで公案を突きつけられたように苦しむ。でもその答えは彼が作家であり続けて 犠牲を払おうとしない態度にあるのではないのか。それでも著者の冒険は終わらない。

    ◇

 山村宜子訳/Lawrence Shainberg 米国の作家。ニューヨーク在住。

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矛盾だらけの禅—悟りを求めるアメリカ人作家の冒険

著者:ローレンス シャインバーグ

出版社:清流出版   価格:¥ 2,625

asahi shohyo 書評

フーコー 思想の考古学 [著]中山元

[掲 載]2010年6月20日

  • [評者]斎藤環(精神科医)

■消えゆく「人間」にこめられた期待

 ミシェル・フーコー。彼の思想はポストモダニストと呼ばれた思想家たちの中でも、とりわけ射程が深い。「生の権力」批判などは現代 においてこそアクチュアルだ。日本でも、芹沢一也や佐々木中といった若い研究者によって、フーコーの現代的な継承が試みられている。

 著者はインターネットの哲学サイト「ポリロゴス」を主宰するかたわら、数多くの翻訳や入門書を通じてフーコーを紹介し続けてき た。本書は晩期フーコーを扱った『賢者と羊飼い——フーコーとパレーシア』、中期フーコーを主題とする『フーコー 生権力と統治性』に続いて、初期のフー コーの仕事を緻密(ちみつ)に解読した労作だ。

 本書で検討されるのは、1950年代から60年代にかけて書かれた『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『知の考古学』『言葉と 物』といったフーコー初期の著作群である。精神医学や心理学への本質的な批判が冒頭に置かれ、個人的にも引きこまれる。

 しかし本書の白眉(はくび)は、何と言っても第七章だろう。61年に博士論文『狂気の歴史』の副論文として提出されつつも、ほ とんど読まれなかった「カント『人間学』の序」について、詳細な解説と検討がなされている。

 フーコーによれば、世界は「源泉、領域、限界」という三重の構造のもとに現れる。カント以降の哲学は、この本質的な分割の構造 を否定しつつ反復してきた。

 言語の発生を考えるには、言語の存在を前提にしなくてはならない。このように、いかなる起源をめぐる問いも、起源がすでに現在 に含まれていることを明かすのみだ。それゆえ人間をめぐる問いかけは、人間をその同一性のもとに再発見するものにしかならない。現代哲学が落ち込んでしま う、この「人間学的な眠り」を逃れるには、「人間」を消し去るほかはない。

 そう、砂浜に描いた顔のように消えていく「人間」にこめられたのは、フーコーの絶望ではなく期待なのだった。本書はそうした期 待を継承するであろう若い世代へと向けた、すぐれた啓発の書でもある。

    ◇

 なかやま・げん 49年生まれ。哲学者、翻訳家。『賢者と羊飼い』など著者多数。

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フーコー思想の考古学

著者:中山 元

出版社:新曜 社   価格:¥ 3,570

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賢者と羊飼い—フーコーとパレーシア

著者:中山 元

出 版社:筑摩書房   価格:¥ 5,250

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フーコー 生権力と統治性

著者:中山 元

出版社: 河出書房新社   価格:¥ 2,940

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狂気の歴史—古典主義時代における

著者:ミシェル・フーコー・田村 俶・Michel Foucault

出版社:新潮社   価格:¥ 6,300

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臨床医学の誕生

著者:ミシェル・フーコー・神谷 美恵子・Michel Foucault

出版社:みすず書房   価格:¥ 5,250

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知の考古学(新装版)

著者:M・フーコー

出版社: 河出書房新社   価格:¥ 3,675

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言葉と物—人文科学の考古学

著者:ミシェル・フーコー

出 版社:新潮社   価格:¥ 4,725