2009年10月4日日曜日

mainichi shasetsu 20091004

社説:東京落選 五輪の夢語り続けよう

 2016年の夏季五輪・パラリンピックの開催地がブラジル・リオデジャネイロに決まった。南米大陸で初めての開催で、五輪に新たな歴史が刻まれることを歓迎したい。

 52年ぶり2度目の五輪を目指した東京は2回目の投票で落選した。1988年の五輪招致で名古屋がソウルに大敗し、08年五輪招致では大阪がわずか6票で早々と姿を消した。夏季五輪招致の3連敗を免れようと切り札の首都・東京で挑んだが、またしても夢はかなわなかった。

 敗因はさまざまあろう。だが、今回の東京招致は石原慎太郎東京都知事の独り芝居で、それが墓穴を掘ったという印象をぬぐえない。

 「日本で再び夏季五輪を」の声がスポーツ界から上がったのは金メダル16個を含むメダルラッシュに沸いた04年のアテネ五輪後だった。日本オリンピック委員会(JOC)はさらなるスポーツ振興と国際競技力向上につなげるため夏季五輪の招致を国内主要都市に呼びかけた。

 すでに08年五輪の北京開催が決まっていたため、JOCが目指したのは20年五輪だった。名古屋と大阪の失敗を踏まえ「1回の立候補で当選は難しい」と、16年五輪にも立候補し、実績を積む作戦を立てた。

 ところが国内招致都市争いで福岡を破った東京は石原都知事の強力なリーダーシップのもと、16年五輪の実現に向け一気に突き進む。9月に77歳になり、すでに4選不出馬を表明している石原都知事にとって任期中に五輪招致を勝ち取るには16年五輪しかなかったのだろう。

 この結果、東京の五輪招致は「北京五輪の8年後になぜ同じアジアの東京なのか」というアキレスけんをスタートから抱えこむ。「なぜ」に答えが出せないまま、招致活動は上滑りした状態で投票日を迎えた。

 五輪招致は失敗したが、東京の提案がすべて無駄だったとは思えない。コンパクトな会場配置や財政、治安問題などで高い評価を受けた。「環境に配慮した五輪」という理念は今後、ますます必要性が高まり、平和の祭典としての五輪に新たな使命として書き加えられるべきだ。

 東京招致に費やした150億円の巨費も詳細に使途を明らかにすることで、今後の五輪招致に当たり貴重な資料として役立てることもできよう。

 名古屋と大阪は1度の惨敗で五輪への夢を語り続けることをやめた。訴えた理念はその場限りの作文だったと自ら認めたようなものだ。今回は同じ轍(てつ)を踏むべきではない。

 2日の最終プレゼンテーションで「地球の将来のための環境五輪」を訴えた15歳の三科怜咲さんや、その後の世代のためにも、日本は五輪の夢を語り続けなくてはならない。

毎日新聞 2009年10月4日 0時08分



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