2009年10月7日水曜日

asahi shohyo 書評

牛を屠(ほふ)る [著]佐川光晴

[掲載]2009年10月4日

  • [評者]平松洋子(エッセイスト)

■「働くよろこび」語る克明な記述

 モンゴルの草原で移動式住宅のゲルに泊まっていたとき、家長のじいさんが小動物の獲物を一匹ぶら下げて帰ってきた。

 見ていると、腰に下げたナイフを操ってつるりと皮を剥(む)き、ぶつ切りにして焼いてくれた。歯茎に沁(し)みる濃い肉の味。あのおいしさは今も忘れられない。

 『牛を屠る』。描かれるのは、生活の糧を得るために市営屠場(とじょう)で働いた十年の日々だ。いきなり初日に怒鳴られる。 「おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ」。しかし、ここは日に百五十頭の牛と五百頭の豚を解体し、枝肉にしあげる過酷な作業場なのだ。牛の眉間(みけ ん)をハンマーで叩(たた)く、ナイフで喉(のど)を刺し頸動脈(けいどうみゃく)を切る、「面皮剥(めんかわむ)き」「足取り」「腹出し」……死にもの ぐるいで腕を上げるほかない。

 いつでも辞めることはできたし、迷いもした。それを押しとどめたのは「働くよろこび」だ。

 切れ味のいいナイフの研ぎかた。スピーディーで正確な動き。皮や肉を傷つけず剥く高度な技術……屠る仕事には、おいそれとは到達できない高みがあった。働く価値を支えたのは、危険を分かち合う仲間との連帯感。

 わたしは、ひとりの男の成長記として読んだ。肉体を駆使して労働をよろこびに換え、自負を獲得しながら一人前に育ってゆく二十代の歳月。隣り合わせの偏見や差別は、逆に仕事の意味を際立たせ、社会で生きる手ごたえを与えたにちがいない。

 自分の経験に価値を見いだす克明な記述を追いつつ、わたしも発見した——屠ることは、食べるための肉に生かすこと。

 いのちを食べる。にんげんのおこないの一部は、これまで屠るひと自身によって語られてこず、屠場の気配さえ囲い覆ってきた。その現実こそ、わたしたちの社会の脆弱(ぜいじゃく)さを示してはいないか。

 モンゴルのじいさんが言っていた。孫が十五になったら羊の屠りかたを教えてやるんだ。それはナイフを握った手ごと体内に差し入 れて大動脈を切り、土を血で汚さず解体する生活技術だ。赤い頬(ほお)をして馬を追っていたあの子。彼はいま堂々たる手つきで羊を屠っているだろう。

    ◇

 さがわ・みつはる 65年生まれ。『縮んだ愛』で野間文芸新人賞。『銀色の翼』など。

表紙画像

牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)

著者:佐川 光晴

出版社:解放出版社   価格:¥ 1,575

表紙画像

縮んだ愛

著者:佐川 光晴

出版社:講談社   価格:¥ 1,575

表紙画像

銀色の翼

著者:佐川 光晴

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,700

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